31年前の夏、3連覇を目指すチームに突如として現れた“救世主”【追悼ティム・ウェイクフィールド】
今から31年前の1992年夏。当時のナショナル・リーグ東地区で3連覇を目指すピッツバーグ・パイレーツは、モントリオール・エクスポズ(現在のワシントン・ナショナルズ)と激しく首位を争っていた。
7月30日の時点で、両チームは54勝48敗と全くの同率。負ければおよそ2カ月ぶりに2位転落の可能性がある翌31日のセントルイス・カーディナルズ戦で、そのパイレーツに“救世主”が現れる。この試合がメジャー初登板となる先発のティム・ウェイクフィールドである。
メジャー初登板初完投から2カ月で8勝
26歳の誕生日を2日後に控えたルーキーは、伝家の宝刀のナックルボールを武器に10三振を奪うなど、オジー・スミス(2002年殿堂入り)ら3人の3割バッターを揃えたカーディナルズ打線を翻弄。146球を要しながらも2失点に抑え、見事にメジャー初登板を完投勝利で飾った。
この日、エクスポズが敗れたことで単独首位に返り咲いたパイレーツは、8月、9月は7割を超える勝率で勝ち進み、地区制導入後2度目の3連覇を達成する。ウェイクフィールドは先のデビュー戦を皮切りに13試合に先発して8勝1敗、防御率2.15と、終盤の2カ月あまりで大きく貢献した。
フロリダ工科大時代に同校の新記録となる通算40本塁打を放ち、1988年のドラフト8巡目でパイレーツに一塁手として指名されたウェイクフィールドだったが、マイナーリーグで打者失格の烙印を押されて高校時代に経験のあった投手に転向。きっかけはウェイクフィールドがキャッチボールでナックルを投げているのを見たコーチの1人が、編成会議で「彼には良いナックルがあるから、クビにする前にマウンドで見てみたい」と提案したことだったという。
「絶滅危惧種」のナックルボーラーとして45歳まで投げ通算200勝
1990年から投手として再出発したウェイクフィールドは、翌91年はマイナーAA級で15勝を挙げると、92年はAAA級で10勝してメジャー昇格。その頃のメジャーリーグでは、名うてのナックルボーラーだったフィルとジョーのニークロ兄弟が数年前に現役を退いていて、ナックルの使い手はチャーリー・ハフ(当時シカゴ・ホワイトソックス)とトム・キャンディオッティ(当時ロサンゼルス・ドジャース)ぐらいしかいなかった。
絶滅も危ぶまれていたナックルボーラーの系譜を継いだウェイクフィールドは、ボストン・レッドソックスに移籍した1995年から4年連続で2ケタ勝利を記録。松井秀喜がニューヨーク・ヤンキースでデビューした2003年からは2年続けてアメリカン・リーグチャンピオンシップシリーズでそのヤンキースと対戦し、計3勝を挙げている。
2004年に次いでレッドソックスがワールドチャンピオンに輝いた2007年は松坂大輔らと共に先発ローテーションを守り、41歳にしてレギュラーシーズンで自己最多タイとなる17勝をマーク。45歳で引退するまでに2ケタ勝利11回、通算627試合の登板で200勝180敗22セーブ、防御率4.41の成績を残した。
マダックス、グラビンらと同い年、57歳の早すぎる別れ
そのウェイクフィールドが脳腫瘍のために死去したと、10月1日(日本時間10月2日)にレッドソックスが発表した。
ウェイクフィールドと同じ1966年生まれの元メジャーリーガーには、いずれも殿堂入りのグレッグ・マダックス(元アトランタ・ブレーブスほか、通算355勝)、トム・グラビン(元ブレーブスほか、通算305勝)、ラリー・ウォーカー(元コロラド・ロッキーズほか、通算383本塁打)のほか、カート・シリング(元レッドソックスほか、通算216勝)、アルバート・ベル(元クリーブランド・インディアンズ=現在のガーディアンズほか、通算381本塁打)などがいる。57歳という若さでの別れは、残念でならない。
(文中敬称略)