コロナで欧州最大の被害を出した英国でマスク着用がここまで広がらなかった理由とは
「科学的知見はマスク着用に傾いている」
[ロンドン発]パブ(大衆酒場)、レストランに続き海外旅行も解禁にしたイギリスのボリス・ジョンソン首相が10日、今のところ地下鉄やバスなど公共交通機関の利用時にしか求めて来なかったマスク着用を店内など密閉空間で義務付ける考えを示唆しました。
ジョンソン首相はフェイスブックを通じて市民にこう呼びかけました。
「科学的知見のバランスはマスク着用に好意的に傾いており、それに従いたい」「店内でのマスク着用を確実にする方法に注目している」「これまではできるなら自宅にいてというのが共通認識だったが、今できるなら職場に戻るべきだと思う」
地域限定の封鎖、検査、追跡によってウイルスの感染を管理し、社会的距離政策から離脱することを目標に掲げています。都市封鎖から解除に向けたイギリスの足取りをまず見ておきましょう。
3月21日、 パブやナイトクラブなど飲食店を閉鎖
3月23日、ジョンソン首相がテレビ演説で不可欠な買い物、1日1度の運動、エッセンシャルワーカーを除く外出禁止を発令。都市封鎖
4月3日、最大4000人収容のNHS(国民医療サービス)ナイチンゲール病院をウォーターフロント再開発地区の国際展示場に開設
5月10日 、ジョンソン首相が「ステイ・ホーム(外出禁止)」のスローガンを「ステイ・アラート(警戒を怠るな)」に変更。スコットランド、ウェールズ、北アイルランドは変更せず
6月1日、学校を一部再開。6人までなら屋外での会合可能に。2メートルの安全距離は維持
6月8日、イギリスに入国、帰国した者は2週間自己隔離
6月15日、 商業店や動物園、礼拝所が再開。公共交通機関を利用する際はマスク着用
6月17日、サッカーのイングランド・プレミアリーグが無観客で100日ぶりに試合再開
7月4日、パブ、映画館、レストラン、美容室が再開。安全距離を2メートルから1メートルに緩和
7月10日、 ホリデー解禁。スペイン、フランス、ドイツ、イタリア、日本など59カ国から帰国しても2週間の自己隔離が必要でなくなる
“消費税”を20%から5%に引き下げ
イギリス経済の舵取りを担うリシ・スナク財務相は8日、7月15日から来年1月12日までの間、外食産業の食事やノンアルコール飲料、宿泊施設、動物園などアトラクションにかかる付加価値税(VAT)を20%から5%に引き下げると発表。コロナ危機からのV字回復を目指しています。
新型コロナウイルスは接触感染、飛沫感染、空気中を漂うエアロゾル(微粒子)を介して感染します。無症状や軽症の人が8割を占め、症状が現れる24~48時間前に最も感染力が高くなります。このため、気付かないうちに感染を広げてしまう「ステルス感染」の恐れがあります。
ウイルスは独りで動き回ることはできません。感染者によってウイルスが運ばれるため、都市封鎖をすれば感染は確実に収まります。しかし、経済活動が再開され、人の接触が増えていくと第二波が発生するリスクが高まります。
そこで注目されているのが他人にうつさないためのマスク着用です。
もともと欧米諸国や世界保健機関(WHO)は「発熱や咳、呼吸困難などの症状がない健康な人はマスクを着ける必要がない」「マスクが病気でない人を新型コロナウイルスから守るという証拠はない」とマスク着用の効果に否定的でした。
パニック買いで感染症対策のN95、FFP1/2/3マスク、外科用マスクが不足し、医療・介護関係者に回らなくなるのを恐れたこともあります。しかし日本をはじめマスクを着用したアジア諸国のコロナ死亡率が欧米諸国に比べ二桁、三桁も少ないことが見直しのきっかけになりました。
WHOは6月上旬「社会的距離を取ることができない時は(医療用ではない布の)フェイスマスクを着用すべきだ」と方針を転換しました。
ノーベル賞受賞者「第二波防止の特効薬はない」
リボソームの構造と機能の研究でノーベル化学賞を受賞したヴェンカトラマン・ラマクリシュナン英王立協会会長は7日に「第二波を防止する特効薬はない。安全距離を確保できない屋内では全ての人がフェイスマスクを着用することが必要だ」と訴えたばかりです。
王立協会の報告書によると、香港ではパンデミック最初の100日間に確認された14件のクラスター(集団感染)は全て屋内で発生。このうち11件113人はマスクを着用していないバー、レストラン、ジムで発生。マスク着用の環境でクラスターが発生したのはわずか3件11人でした。
4月上旬に歩行者1万50人を調査したところ97%がマスクを着用していました。新型コロナウイルスを完全に制御できた理由の1つはマスク着用だと香港当局は主張しています。
また、米空母セオドア・ルーズベルトでは1~4月の航海中に新型コロナウイルスの感染が広がり、乗員約4200人の約25%が感染。感染しなかった81%がマスクを着用しており、感染者の着用率は56%でした。
マスク着用率の国際比較
各国のマスク着用率を見てみましょう。
マスク着用率は世論調査会社Ipsosの調査(4月9~12日)ではベトナムが最も高く91%、中国83%、イタリア81%、日本77%、インド76%、フランス34%、カナダ28%、オーストラリア21%、ドイツ20%。
イギリスは16%と調査した15カ国の中で最下位になりました。3月12~14日から4月9~12日にかけマスク着用率はそれほど上昇していません。これに対してロシアは47%上昇。大きな被害を出したアメリカやイタリアでも38%上昇、フランスも28%増えています。
新型コロナウイルスをうつされないよう自分の周囲の人がマスクを着用することを望む人は日本で58%、ベトナムで55%、イタリアで53%にのぼりました。
ドイツのマックス・プランク人口研究所も3月13~4月19日にかけ、欧米8カ国で社会的距離や手洗い、マスク着用などのコロナ対策について調査しています。それによるとマスク着用率は4月第3週時点で欧州のエピセンター(発生源)になったイタリアが最も高く84%。
アメリカ66%、スペイン64%と続き、最もマスク着用率が低かったのはオランダで7%、イギリスは26%にとどまりました。
英国のマスク着用率が低いのはなぜ
イギリスのマスク着用率が低いのはどうしてでしょう。先日、高級住宅街ノッティングヒルで行われた屋外イベントを取材した時も筆者以外は誰もマスクを着用していませんでした。
イギリスで暮らし始めた頃、誰も交通信号機を守らないことに筆者は面食らいました。赤信号でも車の合間を縫って、市民は堂々と道路を横切っていきます。信じられないことに法律や規則で赤信号横断は禁止されていないのです。
ドイツでは車が来なくても赤信号を無視して横断報道を渡ろうものなら大変なことになります。近くに子供がいたら足を踏み出しただけでも「赤だ。子供がいるぞ(真似して赤信号を無視するようになったらどうする)」と注意されるでしょう。
罰金は5~10ユーロ(600~1200円)です。
こうした文化の違いは欧州連合(EU)離脱交渉にももろに反映されています。大陸側はルールが全てなのに、イギリスはルールを順守するよりお互いが得になるように融通を利かせた方がいいと考えるのです。
イギリスでは欧州最大の4万4650人もの死者を出しているにもかかわらず、パブやレストランが解禁されたスーパーサタデーの7月4日、ロンドンの繁華街ソーホーでは若者たちがどんちゃん騒ぎを繰り広げました。屋外とはいうものの、1メートルの安全距離は完全無視。
「能天気」「向こう見ず」「懲りない面々」と言えばいいのか、「付ける薬がない」と表現すればいいのか。イギリスはボランティアや寄付の文化が根付いているものの、おそらく大半の人に他人にうつさないためにマスクをするという利他の精神を求めるのは無理というものでしょう。
良い意味でも悪い意味でも個人主義が根付いているイギリスには日本のような「同調圧力」も「自粛警察」も存在しません。
イギリスにはいまだに自分たちは特別だという例外主義の気風が保守層の一部に残っています。その代表選手がジョンソン首相です。
しかしマスク着用が広がらなかったのは、他の国がどうしたというイギリス人の鼻持ちならない傲慢さというより、単純に法律や規則を定めなかったからでしょう。
重い罰則を設けない限り、第二波が来ようと、死者がどれだけ積み上がろうとイギリス人が店内で自発的にマスクを着用することは絶対にあり得ないと筆者は確信します。
(おわり)