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宇宙環境が皮膚に与える影響 - 宇宙飛行士の遺伝子発現解析から見えてきたこと

大塚篤司近畿大学医学部皮膚科学教室 主任教授
(提供:アフロ)

宇宙飛行士の皮膚は、地上とは異なる環境にさらされることで、どのような影響を受けているのでしょうか。最新の研究で、宇宙環境が皮膚の遺伝子発現に及ぼす変化が明らかになりました。

中国の研究チームは、国際宇宙ステーション(ISS)に滞在した10人の宇宙飛行士の毛包組織のサンプルを分析しました。毛包とは、皮膚の中にある毛の根元の部分です。彼らは、宇宙飛行前、滞在中、帰還後の3つの時点で採取されたサンプルの遺伝子発現データを比較しました。

【宇宙環境が皮膚に与える影響】

解析の結果、宇宙に滞在中の宇宙飛行士の皮膚では、地上にいる時と比べて327個の遺伝子の発現レベルが変化していたことが分かりました。一方、地球に帰還後のサンプルでは、発現が変化した遺伝子はわずか54個でした。このことから、多くの遺伝子の発現は地上に戻ると回復するものの、一部の遺伝子の発現は短期間では元に戻らないことが示唆されます。

また、宇宙滞在中に発現が増加し、帰還後に減少した遺伝子が311個見つかりました。これらの遺伝子は、皮膚の発達、角化細胞の分化、角質形成に関連していました。角化細胞は表皮を構成する主要な細胞で、角質は皮膚の最外層を形成します。これらの過程は、皮膚のバリア機能の維持に重要な役割を果たしています。

【皮膚バリア機能への影響と炎症反応】

研究チームは、皮膚関連の遺伝子に着目してさらなる解析を行いました。その結果、KRT14、KRT16、KRT17、FLG、S100A7など、皮膚のバリア機能に重要な10個の遺伝子を特定しました。これらの遺伝子は、宇宙滞在中に発現が増加し、帰還後に減少する傾向がありました。

特に注目すべきは、FLG遺伝子です。この遺伝子は、皮膚の角質層の形成に関与するフィラグリンというタンパク質をコードしています。フィラグリンは、角質細胞間の接着を強め、皮膚のバリア機能を維持する上で重要な役割を果たします。FLG遺伝子の変異は、アトピー性皮膚炎や魚鱗癬などの皮膚疾患との関連が報告されています。

宇宙環境が皮膚のバリア機能に影響を及ぼし、炎症反応を引き起こす可能性が示唆されます。宇宙での長期滞在が皮膚疾患のリスクを高める可能性があるため、宇宙飛行士の皮膚の健康管理は重要な課題と言えるでしょう。

【サーカディアンリズムとの関連】

研究チームは、サーカディアンリズム(概日リズム)に関連する遺伝子にも着目しました。サーカディアンリズムとは、約24時間周期で変動する生物の生理機能のリズムのことです。宇宙滞在中に発現が変化した遺伝子の中から、NTRK2、SRD5A1、PPP1R3Cの3つのサーカディアンリズム関連遺伝子が見つかりました。これらの遺伝子の発現は、宇宙滞在中に増加し、帰還後に元のレベルに戻る傾向がありました。

サーカディアンリズムは、皮膚の機能や恒常性の維持に重要な役割を果たしていると考えられています。地上とは異なる昼夜サイクルにさらされる宇宙環境が、皮膚のサーカディアンリズムに影響を及ぼす可能性が示唆されます。ただし、これらの遺伝子が皮膚に及ぼす具体的な影響については、さらなる研究が必要です。

今回の研究は、宇宙環境が皮膚の遺伝子発現に及ぼす影響の一端を明らかにしました。宇宙飛行士の皮膚の健康を維持するためには、宇宙環境がもたらすストレスに対する対策が必要と考えられます。また、この研究で得られた知見は、地上での皮膚疾患の理解や治療法の開発にも役立つ可能性があります。

今後は、宇宙環境が皮膚に及ぼす影響をさらに詳細に解明し、宇宙飛行士の皮膚の健康管理に活かしていくことが期待されます。同時に、宇宙環境を模擬した実験モデルを用いて、皮膚疾患の発症メカニズムの解明や新たな治療法の開発が進むことが期待されます。

参考文献:

Gu X, Han Y, Shao Y, et al. Gene expression changes reveal the impact of the space environment on the skin of International Space Station astronauts. Clin Exp Dermatol. 2023;48(10):1128-1137. doi:10.1093/ced/llad178

近畿大学医学部皮膚科学教室 主任教授

千葉県出身、1976年生まれ。2003年、信州大学医学部卒業。皮膚科専門医、がん治療認定医、アレルギー専門医。チューリッヒ大学病院皮膚科客員研究員、京都大学医学部特定准教授を経て2021年4月より現職。専門はアトピー性皮膚炎などのアレルギー疾患と皮膚悪性腫瘍(主にがん免疫療法)。コラムニストとして日本経済新聞などに寄稿。著書に『心にしみる皮膚の話』(朝日新聞出版社)、『最新医学で一番正しい アトピーの治し方』(ダイヤモンド社)、『本当に良い医者と病院の見抜き方、教えます。』(大和出版)がある。熱狂的なB'zファン。

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