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電通「鬼十則」的なるもの あなたの会社にも同じようなものはないか?ひとり歩きと誤解の連鎖が産む修羅場

常見陽平千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家
電通「鬼十則」がメディアで叩かれているが、人々は今までこれに憧れ真似してきた(写真:アフロ)

電通「鬼十則」について考える。電通自死事件に関連して、この言葉をメディアで見聞きする機会も増えた。2016年10月28日付の朝日新聞朝刊は「長時間労働を助長しかねない電通の企業風土を象徴する社員の心得」と指摘し、亡くなった高橋まつりさんの遺族も問題視していると報じている。他にも10月15日付の産経新聞朝刊、10月21日付の東京新聞朝刊などがこの言葉を問題視する記事を掲載している。

電通鬼十則とはこのようなものだ。

1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。

2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。

3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。

4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。

5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。

6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。

7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。

8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。

9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。

10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

出典:『電通「鬼十則」』(植田正也 PHP研究所 2001=2006)

もともと、電通「鬼十則」は同社の4代目社長であり中興の祖と呼ばれる吉田秀雄が今から65年前の1951年8月に社員のために書き留めたビジネスの鉄則、原理原則だ。

私は電通自死事件問題について、個人ブログを含めいくつかのサイトでオピニオンを書き、メディアでもコメントしてきたのだが、「これは大手広告代理店、電通だけの問題か?」ということをブレずに主張している(もちろん、大手広告代理店、電通ならではの問題もあると認識している)。電通「鬼十則」に関しても、電通「だけ」の問題なのか、考えるべきである。

ここで問題提起したい論点は3つある。

  1. 電通マンに限らず、この言葉はビジネスパーソンの行動指針としてリスペクトされてきたことを忘れてはならないのではないか?
  2. この言葉は誤読されてきたのではないか
  3. あなたの会社にも「電通鬼十則」的なものは存在しているのではないか?

「電通鬼十則」関連の書籍や、実体験を元にしつつ、論じることにする。

コピー、カバーされる電通鬼十則

私と「電通鬼十則」との出会いは、1997年の秋だった。その年、社会人になった。リクルートで通信サービスの営業部に配属された。教育担当の先輩から渡されたのが、電通「鬼十則」だった。コピーを渡された。リクルート式のドブ板営業に没頭し、朝から早朝まで働く毎日だったが、まだまだ電通の比ではないと驚愕する。この言葉を音読し、その厳しさと熱さ、妙な高揚感に震えた。

天空の城ラピュタ的に社内で空高く浮いていた私の、数少ない理解者の一人である同期女性に「こんなスゴイ言葉と出会った」とメールをした。彼女も先輩からコピーを渡されたという。「机の中に大事にしまっている」という返事がきた。

その後、転職したメーカーでは、同社の「鬼十訓」なるものがあり、電通「鬼十則」をそのままマネしたものになっており驚いたが、より衝撃を受けたのは、社員たちがまるでその言葉を自社の言葉のように思っていたことだった。

特に営業職をしていると、この言葉はバイブルのように引用され、上司が部下に自分のことのように伝承する。あたかも、経営者がドラッカーや松下幸之助の言葉を自分の言葉のように受け売りするように。

この電通「鬼十則」は、ビジネス雑誌の名言集なるものにもよく引用される。たまたま書斎の本棚に『日経ビジネスアソシエ』の2008年3月18日号の付録がついていた。電通「鬼十則」もその中の一節が紹介されている。

なお、この言葉がリスペクトされたのは、今に始まったわけではない。吉田秀雄記念館には自ら筆を取り書き上げた電通「鬼十則」が存在するが、それは1954年1月に阪急の創業者である小林一三社長の求めに応じて書かれたものだ。のちに小林家から寄贈された。

このように、この言葉は電通マン「だけ」の言葉ではない。リスペクトされ、引用され、受け売りされてきた。日本の企業社会において、想像を超えるほど広がっている言葉だと理解したい。これまでもネット上では社畜の象徴として批判され、今回の事件を経てその温床のように言われているが、電通に限らずビジネスパーソンの一定の層はこの言葉をリスペクトしていたことも忘れてはいけないのだ。

電通「鬼十則」は解釈が大切だ

電通「鬼十則」は海外でも礼賛されていた。植田正也氏の『電通「鬼十則」』(PHP研究所)によると、1970年代ごろから広告会社だけでなく、一般企業でも英訳されたものがほしいという要請が増えた。1976年にはGEのオフィスに日本語版が飾られたという。これにより、英訳版がより望まれた。英語版は”Dentsu’s 10 Working Guidelines”というタイトルになっている。

内容はこうだ。

1.Initiate projects on your own instead of waiting for work to be assigned.

2.Take an active role in all your endeavors, not a passive one.

3.Search for large and complex challenges.

4.Welcome difficult assignments. Progress lies in accomplishing difficult work..

5.Once you begin a task, complete it. Never give up.

6.Lead and set an example for your fellow workers.

7.Set goals for yourself to ensure a constant sense of substance.

8.Move with confidence. It gives your work force and substance.

9.At all times, challenge yourself to think creatively and find new solutions.

10.When confrontation is necessary, don’t shy away from it. Confrontation is often necessary to achieve progress.

出典:『電通「鬼十則」』(植田正也 PHP研究所 2001=2006)

もともとの日本語と比較して欲しい。「殺されても」などの過激な表現がある日本語版と比べると、随分とマイルドで、ソフィスティケートされたものに感じる。訳されたのが、原文が発表されてから25年以上あとであるし、海外の人にも理解されやすいように、配慮されたものとも言えるだろう。書き換えられたというレベルに感じる部分も正直あるが。もっとも、文化の違う人に伝えるために、根底の部分を訳したらこうなったとも言える。

なんせ、古い言葉である。65年前の言葉だ。今と時代背景が異なる。電通「鬼十則」をめぐってはネット上で「昭和だ・・・」という評価が見られるが、そもそも昭和の言葉なのだ。

だからこそ、真に受けるのではなく、解釈が必要なのである。現代流に解釈するとどうなるかという視点が大事だ。

この解釈も、外野から見るのと、中にいる人、その中でも言葉の意味を深く考えた人ではまったく異なる。例えば、伝説の電通マンと呼ばれる柴田明彦氏は『ビジネスで活かす電通「鬼十則」』(朝日新聞出版)や『漫画・電通鬼十則』(KADOKAWA)などで、電通「鬼十則」の解釈を試みている。

例えば、「摩擦を怖れるな〜」という一節は、折衝や交渉時に限ったものではなく、自分自身の既成・固定概念、前例、慣習、作法などすべてを冷静に見つめ直し、必要に応じて打破していくプロセスの「摩擦」というものも含まれるのではないか、と。いかにも強面の、軍隊、体育会風の電通マンが強引に仕事を進める光景を想定するかもしれないが、そういうわけでもない。これらの言葉を真に受けた、私のような外野の素人ではたどり着けない深い解釈は目からウロコだった。

彼はこの言葉と向き合うこと、考えて実行することは仕事に誇りと自分軸を持つ行為だと定義している。このような解釈は、外野の私たちにはたどり着けない。ましてや、言葉がひとり歩きしては誤解が生じるだけだ。

あたかも三波春夫の「お客様は神様です」に関する誤解と、本人や遺族による釈明にも通じるものがある。

問題は、この言葉がひとり歩きしてしまったこと、何かのあり方を強要する「だけ」のものだと解釈されてしまったこと、社内外に深く解釈し、伝える語り部がいなく(少なく)なってしまったことではないだろうか。

あなたの会社の電通「鬼十則」的なもの

前述したように、電通「鬼十則」は、ビジネスパーソンからリスペクトされてきた。そして、マネされてきた。この言葉に影響を受けたかどうかは別として、特に00年代になってからは企業において、ビジョン、ミッション、バリューを再定義する動きが出てきた。中にはポエムのようなものもあったが。前出の『日経ビジネスアソシエ』2008年3月18日号の目次を見るだけでも、この手の言葉は多数あることを再確認できる。

先が見えない時代において、各社でビジョン、ミッション、バリュー的なものが明確であることが礼賛された。しかし、中にはこれらの言葉もまた、長時間労働礼賛、社畜礼賛のものになっていないか。仮に美しい言葉であったとしても、だ。さらには、もともとの意味とは異なる解釈で広がっていないか。あるいは、現状と大きくずれ、従業員に過度な労働を強要していないだろうか。

モーレツ社員的なものをいつの間にか礼賛し、それに憧れていたとしたならば、そのことを虚心に直視し、敬虔な反省を持つべきだ。言葉はひとり歩きするということを我々は自覚しなくてはならない。時にこの手の言葉は組織や人を暴走させることも。

というわけで、この電通「鬼十則」批判に関しても、電通「だけ」の問題と捉えず、自分ごととして捉えるべきなのだ。

千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

1974年生まれ。身長175センチ、体重85キロ。札幌市出身。一橋大学商学部卒。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。 リクルート、バンダイ、コンサルティング会社、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。2020年4月より准教授。長時間の残業、休日出勤、接待、宴会芸、異動、出向、転勤、過労・メンヘルなど真性「社畜」経験の持ち主。「働き方」をテーマに執筆、研究に没頭中。著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。

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