【光る君へ】段田安則さん演じる野心満々の藤原兼家は、藤原師尹に邸宅を襲撃されていた
大河ドラマ「光る君へ」は紫式部が主人公ではあるが、公家間での権力闘争も大きな見どころである。段田安則さん演じる野心満々の藤原兼家は、かつて藤原師尹に邸宅を襲撃されていたので、その経緯などを取り上げることにしよう。
安和2年(969)2月、藤原師尹の従者数百人が藤原兼家の邸宅に押し寄せ、大暴れするという事件が起こった(『日本紀略』)。ことの発端は、師尹の従者と兼家の従者が喧嘩となり、師尹の従者が報復のため、兼家の邸宅に押し寄せたことにある。後述するとおり、これは大変な大乱闘になったという。
師尹(920~969)は、摂政・関白を務め、太政大臣にもなった忠平の子である。師尹の兄が師輔(兼家の父)だった。安和2年(969)3月の安和の変後、師尹は変の首謀者の源高明が失脚したことに伴い、左大臣に昇進したが、その半年後に病死した。
『栄花物語』によると、師尹は好き嫌いで人を判断するなどしたようで、あまり良い人物として描かれていない。『今昔物語』には、師尹が腹黒い人物だったと書かれているので、やはり人物としての評価は低い。
とはいえ、いずれも後世に成った書物であり、多分に脚色されている可能性もあるので、そのまま鵜呑みにはできないだろう。
話を元に戻すと、数百人という師尹の従者は、兼家の邸宅に殴り込みをかけると、屋敷を破壊したという。兼家の邸宅では、3人の兵が屋敷を警護していたが、しょせんは衆寡敵せずである。
師尹の従者の中には武装した者もあり、兼家の屋敷を守っていた者は矢傷を負った。いずれにしても、公家らしからぬ大事件となった。ただし、その後の展開については、一切触れられていない。
当時の公家やその従者は、些細な理由ですぐに喧嘩となった。現在ならば、お互いに「すみません」といえば済むようなことであっても、大乱闘になることがあり、ときに死者が出ることもあった。仮に、自分の仲間が殺されるようなことがあれば、相手に対する報復は常だったのである。
闘争心が激しかったのは、武士も同じだった。公家であれ武士であれ、恥をかかされたのに黙っていることは、決して許されなかった。自分自身の力で恥を雪ぐべく、相手に殴り込みをかけて報復するのである。これを自力救済というが、もちろん現代では犯罪である。事件の大きさにもよるが、警察に相談しよう。
主要参考文献
繁田信一『殴り合う貴族たち』(文春文庫、2018年)