ベトナム人留学生はなぜ技能実習生を調査したのか(3)搾取にさらされた労働と技能習得の「不可能性」
日本の「外国人技能実習制度」。アジア諸国の若者たちがこの制度を通じ、日本各地で就労し、日本の産業を支えている。だが、外国人技能実習制度をめぐっては、低賃金などの処遇の問題に加え、就労先での暴力やセクハラ、不当な「強制帰国」など数々の人権侵害が伝えられてきた。
ベトナムから日本に留学したハノイ市郊外出身のグエン・ヒュー・クイーさん(27)は、こうした技能実習制度について調査し、大学の卒業論文を書いた。
この連載の1回目(「ベトナム人留学生はなぜ技能実習生を調査したのか(1)差別と搾取の技能実習制度と『憧れの日本』」)ではクイーさんの来日の背景を、2回目「ベトナム人留学生はなぜ技能実習生を調査したのか(2)送り出し地の実習生ビジネスと借金による『拘束』」では、ベトナムにおける「実習生ビジネス」について伝えた。
3回目となる今回は、技能実習生の「技能習得」をめぐる実態と、技能実習生が低賃金労働に置かれていること、さらに「家賃」の支払いなどを求められるため思ったように稼げない状況をリポートする。
■打ち砕かれる技術習得への希望、技能実習制度を知らない?受け入れ企業
「ベトナム人留学生はなぜ技能実習生を調査したのか(2)送り出し地の実習生ビジネスと借金による『拘束』」で書いたように、クイーさんは100万円に上る高額の渡航前費用を借金により工面した上で、この費用を仲介会社(いわゆる「送り出し機関」)に支払った後、来日前の日本語研修を経て、2008年3月に来日した。
クイーさんは、日本到着後は監理団体による日本語研修を京都で受け、その後、滋賀県の実習先機関(受け入れ企業)での就労をスタートした。
しかし、ほどなくしてクイーさんは受け入れ企業で予想しなかった事態に直面する。
専門学校で学んだ技術や知識を生かせると思って期待に胸を膨らませて来日したものの、受け入れ企業の工場では、彼に金属加工の技術や専門性の高い仕事を丁寧に教えてくれることはなかったからだ。
そもそも現場で働く従業員は、技能実習制度についてよく知らない様子だったという。そして、クイーさんに与えられたのはいわゆる「雑用」で、技能習得のチャンスはなく、単純労働を毎日繰り返すほかなかった。
■技術を教えることを拒否された技能実習生
だが、こうした中でも、クイーさんは工場の日本人従業員の技術を目で追いながら、技術を「自分のものにしよう」と考えるなど、簡単には希望を捨てなかった。
クイーさんは勤務後、毎晩のように自室で日本語の勉強をするとともに、技術関連の資料を読みこんだ。
日本の高い技術を身につけたい――。
日本の技術を身につけてからでないと、帰国できない――。
そんな思いを抱くクイーさんはある時、自分で工場の機械を動かしてみようとした。
それは現場の従業員の許可を得ないままの「勝手な」行動だった。しかし、技術を身につけたいと来日したクイーさんにとっては、なんとかして技術を学びたいという切実な願いから出たものだ。
だが、この彼の行動は現場の従業員を怒らせることになり、彼は従業員から厳しく注意を受けた。
この際、クイーさんは泣きながら、「なぜ技術を教えてくれないのですか」と日本人従業員に訴えた。
しかし、返された言葉は、クイーさんをさらに打ちのめすことになる。
「おまえに技術を教えても、3年間の実習が終わったら国に帰る。おまえに教えても、うちの会社のためにはならない」
日本人社員はこう言い放ったのだという。
それまで技術の習得を期待してきたクイーさんは、この言葉を前にして身動きできなくなった。
彼は「日本の高い技術を身につける」という希望を抱き、学内での選考を通過した上で、100万円に上る高額の渡航前費用を借金してまで工面し、人生の貴重な3年間を日本ですごそうと思いながら、来日したのだった。
彼は技能実習生としての来日に、自分の人生を賭けていたのだ。
けれど、日本で技能実習生としてのクイーさんに求められていたことは、決して技術の習得ではなかった。
■残業がないということの意味、少ない賃金を補う残業
その上、クイーさんを悩ませたのは、「思うように稼げない」という状況だった。
もともとの低賃金に加え、当時はリーマンショックの時期でもあり、職場ではほとんど残業がなかったからだ。
クイーさんもそうだが、技能実習生の多くは高額の渡航前費用を仲介会社(いわゆる「送り出し機関」)に支払って来日している。
渡航前費用は借金によって工面しているケースが多いこともあり、技能実習生の中には、「残業によってより多くの稼ぎを得たい」と考える人は少なくない。
限られた賃金しか得ることのできない技能実習生にとって、残業の持つ意味は大きいのだ。
しかし、リーマンショックの影響は大きく、クイーさんの実習先企業も残業をするほどの仕事量がなかったようだ。そのため彼は技術を習得する道を阻まれただけではなく、思ったような稼ぎを得ることもできなかった。
■手にした賃金でまず借金返済、「お金が貯まらない」
クイーさんが直面した課題は他にもあった。
彼の収入は、研修1年目には基本給9万3,000円程度で、そこから税金、保険料、「家賃」2万5,000円を引かれると、手取りは6万5,000円だけだった。この手取りから食費などを出すと残ったのは月に3~4万円だけになる。
2年目、3年目は基本給が11万8,000円ほどで、保険料、税金、「家賃」を引くと、手取りは9万5,000円程度になった。そこから食費などの生活費を払うと、残るのは5万円程度である。
クイーさんは、基本的に自炊し、昼食も自分たちでお弁当をつくって職場に持って行くなどして支出を切り詰めていたが、手元には思ったほどのお金が残らなかった。
一方、クイーさんは渡航前費用を支払うために借金をしていたため、手元に残ったお金はまず借金返済に充てられた。
もともと限られた収入。そして借金の返済。貯金は容易ではなかった。
■「家賃」による搾取、室内でもコートが必要な老朽化した部屋
さらに、クイーさんが支払っていた「家賃」には疑問がつきまとっていた。
クイーさんは同僚のベトナム人実習生1人と会社が用意した部屋で同居をしていた。この際、1部屋に対し「家賃」は1人2万5,000円ずつ、2人で5万円を支払っていたことになる。
ただし、会社が用意した部屋は2DKと広さこそ十分にあったものの、古く老朽化した建物だった。設備は不十分で、夏はとにかく暑く、冬はとても寒かった。
クイーさんは、電気代節約のためにクーラーは極力使わないようにしていた。少ない賃金しかないため、電気代も馬鹿にならないのだ。
また、部屋にはこたつがあったものの、途中から壊れて使用できなくなった。クイーさんたちにはものを余計な買う経済的な余裕がないため、ほとんどものがないがらんとした和室で、暑さや寒さにたえながら過ごすほかなかったのだ。
冬の寒さは特に厳しく、「外よりも部屋の中のほうが寒かった」というほどだったため、クイ―さんは室内でも常にコートを着て寒さをしのいだ。あまりに寒さに耐えかね、会社に訴え、やっとのことで電気ストーブとカーペットを支給されたが、それまでずっと我慢して過ごしていた。
ベトナムでは日本はまだまだ経済大国として憧れの存在であり、技能実習生の募集に当たっては「日本の高い賃金」が喧伝されている。
私もベトナムにいた際、ベトナム人から「日本では月の給料は25~30万円が普通でしょう?」と聞かれたことがあった。こうした日本の賃金や就労に関するイメージと、技能実習生の実際の日本での賃金実態や就労状況はかけ離れているとしか言いようがない。
それでも多くのベトナム人が、日本での技能実習生としての就労に自分たちの夢や希望を託そうとするのだ。
一方、外国人技能実習制度では、「国際協力」「国際貢献」のために技能実習生への技能移転を図るという建て前を掲げながらも、実際には、技能実習生の中には低賃金の単純労働部門に配置されている人が少なくなく、技能実習生が技能習得の機会を十分に与えられているとはいいがたい。
建て前と実態の間に大きなかい離が存在するのだ。
そして、日本で技能実習生が直面する技能実習の実態は、夢や希望を叶えることが生易しいものではないということを技能実習生自身に鋭く突き付ける。(「ベトナム人留学生はなぜ技能実習生を調査したのか(4)」に続く)
■用語メモ
【ベトナム】
正 式名称はベトナム社会主義共和国。人口は9,000万人を超えている。首都はハノイ市。民族は最大民族のキン族(越人)が約86%を占め、ほかに53の少 数民族がいる。ベトナム政府は自国民を海外へ労働者として送り出す政策をとっており、日本はベトナム人にとって主要な就労先となっている。日本以外には台 湾、韓国、マレーシア、中東諸国などに国民を「移住労働者」として送り出している。
【外国人技能実習制度】
日本の厚生労働省はホームページで、技能実習制度の目的について「我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力すること」と説明している。
一方、技能実習制度をめぐっては、外国人技能実習生が低賃金やハラスメント、人権侵害などにさらされるケースが多々報告されており、かねて より制度のあり方が問題視されてきた。これまで技能実習生は中国出身者がその多くを占めてきたが、最近では中国出身が減少傾向にあり、これに代わる形でベトナム人技能実習生が増えている。