「働く」の不幸を取り除け!組織課題へ取り組む産業医の役割【浜口伝博×倉重公太朗】第1回
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今回のゲストは、産業医の浜口伝博(はまぐち つたひろ)さん。産業医科大学(旧労働省設立)を卒業後、病院に勤務し、東芝や日本IBMで専属産業医として活動しました。独立してFirm & Brain を設立した後は、顧客企業の統括産業医、労働衛生コンサルタントとして活躍するかたわら、政府委員や医師会、関係学会の役員を務めています。産業医の世界では第一人者と言える浜口先生に、これからの時代の産業医の在り方や、企業においての必要性について伺いました。
<ポイント>
・時代とともに変化する産業医の役割
・働くことで不幸にしない世の中へ
・若い人ほどメッセージに傷つきやすい
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■企業における産業医の役割とは
倉重:今回は産業医のパイオニアである、浜口先生にお越しいただいています。大変恐縮ですが、自己紹介をいただけますでしょうか。
浜口:私は厚生労働省が唯一持っている医科大学である産業医大医学部を1985年に卒業して、ずっと産業医をしてきました。専属産業医として、東芝に10年、IBMに10年勤め、ベンチャービジネスを経由して、この10年間は独立開業型の産業医をしています。この間大学と連携して研究も継続し、医学博士も取得させていただきました。今は大学で講義したり、学会で発表したり、日本医師会での活動、厚労省の委員もしたりと楽しく過ごしています。
倉重:今は独立されているのですね。
浜口:そうです。大手企業の統括産業医や、いくつか嘱託産業医もしています。
倉重:有名な企業もあると聞いていますが、社名を出せるところはありますか。
浜口:皆さんがご存じと言えば、ファーストリテイリングでしょうか。ユニクロやGUを全国展開しています。世界を相手にビジネスをするグローバルカンパニーです。売上も業界世界2位になりました。コロナもあって大変ではあるのですけれども、経営陣とスタッフが一丸となって頑張っています。
倉重:産業医って医師の中ではある意味マイナーな分野とも思うのですが、そもそも、どうして産業医を目指されたのですか。
浜口:入った大学が産業医大だったということと、大学で6年間にわたって産業医学の講義があるわけですが、聞いているとけっこう未来型の社会医学なわけです。「これからの社会発展には必要な医学だ」と感じました。産業医がうまくいくかどうかは未知数でしたが、「産業医大を卒業するんだから、まずは産業医として社会に出よう!」という気概でした。やらない、という選択肢より、まずはやる! やって駄目だったらまた戻ればいいと思っていました。
倉重:今でこそ皆が産業医のことを知っていますが、昔はかなり少数派の就職先だったのでは?
浜口:今でもマイナーです。眼科や皮膚科などは、医学分野では「マイナー」と言うのですが、産業医は当時それ以下でした。
倉重:なるほど。そういう意味では、読者の中にも「産業医は何をやっているのか分からない」という方もいらっしゃると思います。まず、どういう仕事なのか教えていただけますか。
浜口:産業医の一番の目的は、「労働災害を起こさない!」、つまり「働くことで不幸にしない!」ということです。
人は幸せになるために働いていると思うのですが、それとは裏腹に、「稼がなければいけない」という現実もあります。この裏腹な人生に、人は働くということに大量の時間を投じています。
倉重:人生の大部分を費やしますよね。
浜口:まあ、20歳過ぎで入社して、60、70歳で退社したら、40、50年間働くわけでしょう。これほどの長期間をつまらない時間として過ごすなんて、これほどの不幸はありません。「働きさえしなければ、こんな不幸に出合わなかったのに……」と悔やむ人、けっこういますよ。職場ストレスだけじゃなくて、体を痛めている人もいる。できることなら、働くことが本人の幸せにつながってほしいですよね。でもなかなかそれがうまくいかない。
産業現場には事故やケガがつきものですから、不幸の象徴は第一に労働災害です。産業医学にもどれば、古くは奈良の大仏をつくるときの水銀中毒やその他金属中毒の問題がありますが、昔からいろいろな職業で、それ特有の健康問題や病気があります。
倉重:炭鉱のじん肺やアスベストの問題などもありますね。
浜口:よくご存じですね。
倉重:裁判対応をしていましたので。
■産業医の役割は時代とともに変化する
倉重:産業医のあり方も、昔と比べてかなり変わっているかと思っています。やはり工場といった炭鉱現場などの物理的災害、あるいは、化学薬品などの災害のようなところから、オフィスワークが増えてきて、メンタルの問題なども非常に多く出てきているわけです。そういう中で求められる役割には変化がありますよね。
浜口:おっしゃるとおり変化しています。歴史的には中毒学と感染症対策が産業医学のメインストリートでした。
倉重:鉛や有機溶剤などの中毒ですね。
浜口:時代も進んで、これらに関してはすでにかなりの対策が取られてきました。大きく言えば、人間の外側にある有害要因をどう管理対処するかが産業医学のテーマだったわけです。対策の優先順位は、その原因物質をなくすこと。それができないのなら、次策としてはその物質への暴露回避を目的にマスクやグローブの使用をする、暴露時間を短くするために労働時間を減らす、立ち位置を変える、最悪、ヒューマンエラーがあっても暴露事故にならないように工学的な対策をする、などが工夫されてきました。こんどは人間の内側にある問題がテーマになっています。典型例がメンタルヘルスの問題で、これは以前からあるわけですが以前と比べて増えているかと言うと「そうでもない」という人もいます。
倉重:顕在化するようになっただけかもしれません。
浜口:そうなんです。この背景には、以前は治療対象としていなかったメンタルヘルス不調を疾患概念でとらえて、病名をつけて治療対象にするという精神科医療の変化があります。ですので以前はちょっとした「おちこみ」や「不安気分」があっても、クリニックに行こうなどとは思わなかったのですが、今では治療対象となりますので堂々と診断書も出てきます。適応障害という病名が増えてきているのもそのせいです。
倉重:それは、うつ病とは違うのですか。
浜口:わかりやすくいうと、何かの原因をきっかけにその結果としてうつ病の病態になるというケースが適応障害です。一般的なうつ病は、原因が分からないというのが多いのですが、それに対して適応障害は「発病の原因がなくなればほぼ半年以内に症状も消失する」という傾向があって、従来のうつ病とはずいぶん違います。これは適応障害の定義の一つにもなっています。
倉重:職場に行っているときだけ、うつ症状が出るものもありますよね。
浜口:例えば、職場で「会いたくない」人がいたり、「この仕事は自分に合っていない」と思っていたりがあれば、その間は「うつ状態」から脱せないでしょうね。でもその原因が消去されたら、半年以内に回復するということです。職場にはいろいろと問題があります。人間関係しかり、仕事がうまくいかない、過重労働などなど、それに、プライベートの問題も重なりますから誰もがストレスだらけです。最近は、労働者側のストレス耐性が弱まっているという傾向もあるような気がします。小さいころに適当な不幸経験もあったほうがいいかもしれませんね(笑)。
倉重:そうですか。やはり耐性がついていないのでしょうか。
浜口:不幸な経験をある程度してきていると、そこからの回復方法、脱出方法を自分なりに身につけていますから、これらはやはり訓練と言えますね。
倉重:それは何歳ごろに訓練したらいいのですか。
浜口:脳の成長が急速に進む幼少時代は、しっかりと安心と安全を確保してあげることが大切です。人は裏切らない、あなたを脅かさない、ということを学ぶ時期です。そうしないと健全に子供の脳が発育しません。徐々に社会性が芽生えてくる小学生ごろから自分で友達づくりで悩み始めます。やがて先輩格の小学生たちと交わるような時期になって理不尽さもだんだん出てきます。
倉重:命の危険がないような「安全な理不尽」を経験しろという話ですね。
浜口:「マズローの欲求5段階説」というのがあります。最初は、生存の欲求です。飲み食いができて家がある、生物として生き続けるための基盤的欲求です。次に安全の欲求、そして所属の欲求と続きます。マズローの段階説は人間の誕生から生育していく発達段階として解釈するとよくわかります。その意味で、所属の欲求段階は、ちょうど小学生に当たる年代で仲間作りの時期です。その時期は、仲間外れが一番怖いです。仲間外れにならないように言動を修正して折り合いをつけていかないといけないわけです。
倉重:そうですね。
浜口:下手をすると、仲間外れになってしまいますので小さなストレスも我慢しないといけません。「こういうことを言ってはいけない」とか、「このタイミングで、こうするほうがいい」ということを学習して、だんだんトレーニングされていきます。小中学校では男の子は男の子同士、女の子は女の子同士で遊びます。なぜかと言うと、同性のほうが、世界観が似ているので会話のやりとりの練習にはもってこいなんです。
「こういう言い方をしても大丈夫なんだ」あるいは「こんなときは、こうすると誤解を受けるので止めとこう」ということを学びます。同性は価値観が似ているので、学習がしやすい。それをすませたあとで、高校や大学で異性と出会い、異性とのコミュニケーションスキルを学びます。そうやって、知らない世界の人たちと出会っても交流できるようにしていくわけです。ですから、小さいころにトラブルを起こしたり、誤解されたりする小さな失敗経験を繰り返すことで、行動スキルやコミュニケーションスキルが上がります。そういう訓練の機会が現代は少ないのでは、と感じます。
倉重:なるほど。別の産業医の方とも話したときに、最近ストレス耐性が低くなっているという話が出ました。ちょうど「子どもには剣道や少年野球などを通して、安全な理不尽を経験させたほうがいい」という話をしていたのです。
浜口:確かにそうですね。
倉重:親御さんなどは意識してもいいのかなと思いました。
浜口:今、小・中学生の子どもたちは多くがテレビゲーム好きですよね。友達が遊びにきたときも一緒にゲームをします。そのときに見ているのは、相手の顔ではなくて、画面です。
倉重:それはコミュニケーションではないのですね。
浜口:遊びながら人の顔を見ていませんから、人の表情を読み取る能力が養えないんです。目の動きや顔の表情などを読み取りながら、会話をする機会が少ないんですよ。
倉重:そういうことも、幼いころからの訓練なのですね。
浜口:訓練です。ゲームがなかった時代は、面と向き合って顔を見て、行間や表情を読みながら瞬時の会話をしていました。それはトレーニングなのです。今の若い世代は、われわれと比べたらトレーニングの量としては極端に少ないのではないでしょうか。
倉重:そうすると、やはり人と人とのぶつかり合いによる問題が生じやすくなりますよね。
浜口:彼らは行間や顔の表情を読み取れない、などとメディアで言われたりもします。またLINEなど、ずっとテキストやりとりが多いと思うのですが、テキストの交換は、着信してから少し考えて返事を送ることができますよね、即応力が要りません。しかし、人との実際の会話では即応力が求められます。
倉重:確かにそうです。
浜口:ですので、即応できる能力が求められる電話対応などは、職場で極端に嫌う若年者もいるようです。また彼らは逆にテキストにはすごく敏感で、相対的に依存してしまっているので、仮にテキストで「死ね」とか「バカ野郎」と書いて送られてきたら、言葉以上の強烈な否定や恫喝になって本人に伝わります。
倉重:そうか。同じテキストメッセージでも、世代によって受け取り方が異なるのですね。
浜口:世代によって全然違います。僕はよく管理職者に「仕事でのテキストは本当に気を付けて、丁寧な言葉で送らないと駄目です」と教育しています。そもそも、基本的にテキストは冷たく伝わりますからね。
倉重:やはりここ最近テレワークが増えて、「チャットなどで指示が来るのが、冷たい」という意見が、実際にあります。
浜口:そうなのです。テキストは普通に事務的に書いたメッセージだと冷たく伝わります。「あの件はどうなった」と書いても、受けた社員は「あの件はどうなっているんだ、てめえ」のように伝わりかねません(笑)。
倉重:責められているように感じてしまうと。
浜口:だから僕は管理職に言うのです。「『あの件はどうなった』と書いたら、その文末には『(笑)』と書き加えて送れ」と。
倉重:なるほど、語尾に「~」と付けてみるのもいいですね。
浜口:若い人はテキストが命に刺さってしまうのです。「われわれの感覚とはちょっと違うということを理解して、送らなければ駄目です」と言っています。
(つづく)
対談協力:浜口伝博(はまぐち つたひろ)
産業医科大学医学部卒業。病院勤務後、(株)東芝および日本IBM(株)にて専属産業医として勤務。
(株)東芝では、全社安全保健センター産業医を務め、日本IBM(株)では、統括産業医、アジアパシフィック産業医を担当した。同時に、日本産業衛生学会理事、東京都医師会産業保健委員、厚労省委員会委員としても活躍する。現在、産業医、労働衛生コンサルタント、産業保健コンサルタントとして活躍中。
企業・団体での講演や医師会産業医研修会での講師担当も多い。 受賞歴:産業医学推進賞、日本産業衛生学会奨励賞、中央労働基準局局長賞、産業医科大学基本講座最優秀講師賞など。 教育:産業医科大学産業衛生教授、東海大学医学部講師、順天堂大学医学部講師としても学生を指導している。