なぜキヤノンのマスゾエ的行為は批判されないのか
舛添前東京都知事は、「違法ではないが不適切」と認定された行為によって、痛烈な批判を浴びて辞任に追い込まれましたが、東芝メディカルシステムズを買収するに際してキヤノンがとった手法についても、公正取引委員会が同様の認定をしたにもかかわらず、なぜ、キヤノンに対しては、目立った批判がなされていないのでしょうか。
公正取引委員会の注意を受けたキヤノン
キヤノンは、東芝メディカルシステムズを買収するに際して、極めて技巧的な手法を用い、そのことによって、6月30日に公正取引委員会から注意を受けるという異常な事態を引き起こしたにもかかわらず、今のところ、目立った社会的な批判を受けてはいないようです。
しかし、キヤノンの行為には、「事前届出制度の趣旨を逸脱し、独占禁止法第10条第2項の規定に違反する行為につながるおそれ」が認められたにもかかわらず、単に「おそれ」が違法性にまで至らなかったが故に、注意にとどまっただけなのですから、これはもう、典型的にマスゾエ的、即ち、「違法ではないが不適切」という事態であるわけです。
同じマスゾエ的状況なのに、片や、公職の辞任につながり、片や、さしたる批判もなく素通りというのは、なぜなのか。背景の事情として、公正取引委員会は、注意をしたものの、買収自体については承認していること、技巧的な手法の詳細が公表されていないこと、所詮は、巨大企業間の特殊な経済取引にかかわることで、一般の利害には関係ないことなどがあるのでしょう。
しかし、キヤノンは、法律の潜脱行為であることを明確に自覚したうえで、敢えて積極的に違法の「おそれ」を犯し、しかも、「おそれ」は「おそれ」にとどまり、違法とは認定されないことにつき、十分に予見をしていたとみられるので、そこには、社会的非難に値する好ましからざる意図の存在を認定できます。故に、公正取引委員会は、異例の注意を行うことで、制度上可能な最大限の不快感を表明したということでしょう。
技巧的な買収手法
では、具体的に、注意を受けた買収手法は、どういうものだったのか。まず、3月9日に、東芝は、子会社の東芝メディカルシステムズの売却につき、キヤノンに独占交渉権を付与した旨、発表します。ここで、キヤノンを選定した理由の一つに、「手続きの確実性」をあげています。
次いで、3月17日に、東芝は、当日付けで、東芝メディカルシステムズの全株式を譲渡し、決済も完了して、子会社でなくなった旨、発表します。ところが、この日に、確かに、キヤノンとの間に譲渡契約書が締結されていて、キヤノンは代金を支払ってはいるのですが、東芝メディカルシステムズの議決権は、キヤノンに移転していないのです。
この議決権と経済価値を分離したところに、巧妙な工夫があります。もしも、通常の買収事案のように、キヤノンが東芝メディカルシステムズの全株式を取得すれば、当然に、議決権もキヤノンに移転し、東芝メディカルシステムズはキヤノンの支配下に入り、企業結合が成立したはずです。
ところが、独占禁止法では、こうした企業結合が競争を実質的に制限することのないように、事前に計画届出書の提出を義務付け、公正取引委員会において審査することにしていて、3月17日時点では、この事前届出はなされていなかったのですから、キヤノンは、東芝メディカルシステムズを支配下におくことはできなかったのです。故に、議決権だけを分離し、第三者に保有せしめたわけです。
この第三者ですが、これは、この買収の技巧のためだけに作られたもので、議決権を保有するためだけの実体のない法人です。しかし、それでも、キヤノンの支配下にはなく、議決権の行使において、キヤノンから完全に独立している限り、この時点では、東芝メディカルシステムズはキヤノンの支配下にはなく、故に、法律の形式上は、事前届出は必要なかったということになります。
もちろん、公正取引委員会としては、この法人の独立性について、慎重な検討を行ったとみられますが、結論として、独立性を否定することができずに、違法性の「おそれ」を認めつつも、違法性自体を認定できなかったのです。ただし、今後は、同様の事案を認めない方針のようです。
事前届出を回避した意図
では、キヤノンは、その後、どうしたのか。公正取引委員会は、6月30日に、審査を終了しているのですから、それよりも前に、3月17日以降のどこかの時点で、キヤノンは事前届出をしていたということでしょう。問題は、このように、審査には、それなりの時間を要するということです。
東芝が東芝メディカルシステムズの売却先をキヤノンに決定したのは、3月9日です。仮に、正規な手続きにより、この日に、キヤノンが事前届出をしたとしても、東芝の決算期である3月31日までには、審査は終了していなかったと思われます。
しかし、東芝としては、どうしても、年度内に売却を完了させたかったとみられ、故に、買い手のキヤノンは、売り手の意向に沿うべく、事前届出制度の趣旨逸脱を承知のうえで、高度な技巧を弄することで、敢えて意図的に、その適用を一時的に回避して、実質的な買収終了後に繰り延べたのです。
東芝は、キヤノンを譲渡先として選定した理由に、「手続きの確実性」をあげていますが、この意味は、キヤノンが年度内買収完了を確約したから、ということだと思われます。この点を、キヤノンと競っていた富士フィルムホールディングスは、不公正なものとして、問題視したのでしょう。
実際、東芝とキヤノンによる一連の行為は、脱法行為といわれても仕方ありません。舛添前知事の行為に比べても、その意図が明瞭だけに、より悪質にマスゾエ的だと思われます。
公表されていない手法の概要
具体的に、どのような技巧が使われたのかは、公表されていないので、詳細は不明です。しかし、公正取引委員会が公表しているところでは、キヤノンは、東芝メディカルシステムズの株式を目的とした「新株予約権を取得して、その対価として、実質的には普通株式の対価に相当する額を」東芝に支払ったとしています。また、東芝メディカルシステムズの議決権が分離されていたこともわかっています。
ということは、おそらくは、東芝メディカルシステムズは、東芝に対して、新株予約権と議決権のある株式を新規に発行し、その対価として、東芝の保有する自社普通株式を全株取得し、次いで、東芝は、新株予約権をキヤノンに譲渡し、議決権のある株式は、新たに設立された第三者法人に譲渡したのでしょう。つまり、東芝が計上した東芝メディカルシステムズの売却益というのは、正確には、新株予約権の譲渡益だったと思われます。
この段階で、キヤノンは、公正取引委員会に事前届出を行い、審査終了後に、新株予約権を行使し、第三者保有の議決権株式を適当に処理して、東芝メディカルシステムズを完全子会社にする、あるいは、6月30日に審査が終了しているので、もう、してある、ということでしょう。
東芝の債務超過回避
では、なぜ、東芝は年度内の譲渡完了を急いだのか。東芝は、3月17日の発表において、東芝メディカルシステムズの「全株式が確定的に譲渡されたことにより、2015年度に売却益として認識できた場合には、約5900億円(連結、税引前損益、概算)を計上する見込みです」としていて、実際に、これは計上されています。
また、4月26日には、ウェスチングハウス社の事業の約2600億円の減損等を公表し、結局、2015年度通期では、巨額の損失を計上して、2016年3月末において、株主資本は、約3300億円にまで減少しています。
つまり、もしも、東芝メディカルシステムズの売却益を2015年度中に計上できなければ、東芝は、必要な減損処理等ができなかったでしょうし、仮に、減損処理等を行えば、債務超過に陥っていたはずです。まさに、危機に直面するなかで、キヤノンが救いの手を差し伸べたということです。
キヤノンと東芝と行為の不公正性
しかし、もしも、東芝の債務超過を前にして、それを救済するにしろ、それを利用するにしろ、脱法的な技巧を提案することで、東芝メディカルシステムズを買収したのだとしたら、キヤノンの行為は、看過し得ないものです。
キヤノンもさることながら、東芝も、自称「不適正会計問題」、即ち、「違法ではないが不適正」と自認するマスゾエ的会計処理によって、経営危機に陥り、東芝メディカルシステムズ売却に追い込まれたのですが、その危機回避策において、再度、キヤノンのマスゾエ的手法に関与するという無反省な態度を示しています。
キヤノンは、事実上、マスゾエ的技巧により、競合していた富士フィルムホールディングスを出し抜いたことになりますから、買収も一つの経済取引であることからすれば、公正な競争を制限する不公正な手法を用いたことになります。
なぜ、誰も、キヤノンと東芝を批判しないのか、世の中には、日頃、コーポレートガバナンスについての高説を開陳する大勢の「有識者」がいたはずではなかったのか、理解に苦しみます。もしも、東芝の債務超過回避と事業再編という大きな課題の前に、小さなマスゾエ的行為に目を瞑るべきだというのなら、大きな公共の利益の前に、小さな私人の利益など踏みにじられてもいいというのと、どこが本質的に違うのか。
金融行政の視点
さて、視点を変えて、キヤノンの技巧の裏に、金融機関の関与があったのか。東芝とキヤノンの裏にいる銀行や投資銀行等は、本件に、どう関与していたのか、それは、全くわかりません。しかし、一般には、これほど巧妙な取引は、投資銀行の提案に基づくものと考えるほうが自然のような気がします。
また、能動的な関与はなかったかもしれませんが、受動的な関与、即ち、「違法ではないが不適切」との認識をもちつつも、全体的な金融機関の利益のために、黙認していたということは、十分に考えられます。しかし、今の金融行政では、金融界からのマスゾエ的状況の一掃を推進していることからすれば、金融機関の姿勢にも、大いに疑問があります。
従来の金融行政では、コンプライアンスの徹底を図ることで、確かに、違法な事態を一掃することに成功したのですが、逆に、違法でさえなければいいという倫理観の崩壊をもたらして、「違法ではないが不適切」なマスゾエ的行為を蔓延させてしまいました。
有名な例が投資信託の販売です。そこには、いかに不適切な投資信託が、不適切な方法で、不適切な費用構造のもとで、不適切な投資家に販売されている事実があろうとも、法令違反の事実は皆無に近く、法令違反の「おそれ」すら稀有という事態がありました。
つまり、法令遵守という最低限のこと、即ち、金融庁のいうミニマムスタンダードの徹底がなされたとしても、そのことは、法令の目的である顧客利益の保護にはならないということに、金融庁は気付いたのです。そこで、金融機関に対して、顧客利益の視点での業務改善、即ち、金融庁のいうベストプラクティスの追求を、各社の自主的な取り組みとして、促す手法に転じました。
この規制手法の転換を象徴的に表すものとして導入されたのが、今では有名になったフィデューシャリー・デューティー、わかりやすくいえば、顧客の視点で最善を尽くす義務です。フィデューシャリー・デューティーはコンプライアンスではないので、「違法ではない」ことは自明の前提として、顧客の視点での適正性に圧倒的な重点が置かれますから、もはや、マスゾエ的状況はあり得ないのです。
東芝とキヤノン、およびその取引金融機関の経営者には、ぜひとも、今の金融行政のあり方、特に、フィデューシャリー・デューティーを、しっかりと、勉強してほしいものです。