北欧から学ぶ教育の役割や可能性
アイスランド、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランド北欧5ケ国の教育に関心を持つ研究者、学生、主婦(夫)や会社員などが集まって、北欧の教育に関する情報交換や勉強会などを行っている「北欧教育研究会(Study Circle on Nordic Education)」という有志のグループがある。
同グループが、最近『北欧の教育再発見-ウェルビーイングのための子育てと学び』という書籍を出した。これは、『北欧の教育最前線-市民社会をつくる子育てと学び』の続編である(注)。
同書を読んでわかることは、北欧の国々では、すべてがスムースかつ的確に行われているわけではないけれど、社会における考え方や価値観などを学ぶことが、学校等の教育機関だけに任され、託されているわけではないということだ。そして、社会と教育機関がさまざまな形でつながっており連動して、市民・住民が絶えず学び続け、それを実際の社会や生活で活かし、体感し実践し、それをさらに学びにフィードバックしていけるループが形成されているということである。そこでは、「学び」と「実践」は相互に連関し補強し合っているのだ。
このような環境は非常に羨ましい。日本は、長所やユニークで良い面はあるが、学校などの教育機関や教育が社会や実践から遊離しがちな傾向にある。その意味で、「学校」と「社会」、「学び」と「実践」のつながりという点では、北欧の教育から大いに学べるし、学ぶべきだろう。
同書で紹介されている北欧における教育の実例は多種多様であり、日本のコンテキスト(文脈)では参考にはなっても実現することは難しいものもある。読者にはぜひ同書を手に取って読んでいただきたいと思うが、本記事では、筆者の興味を引き、かつ実践できそうな3つの例だけを紹介したい。
1.「カラフル靴下が拓くダウン症への理解」
この記事では、スウェーデンの学校で行われている「バラバラの靴下を履いて学校に行く日」である「Rocha sockorna!(靴下でロック!)」という行事を紹介している。それは、3月21日は「世界ダウン症の日」で、ダウン症候群理解の啓発活動として、カラフルなあるいは左右が異なるなど目立つ靴下を履くという「Lots of socks(たくさんの靴下)キャンペーン」が世界中で実施されているのだが、そのスウェーデン版だ。
なぜ3月21日なのだろうか。人間の細胞の21番目の染色体は、通常2本だが、ダウン症の場合、生まれつき3本であるために、その染色体に関する数字の組み合わせから、国連がその日を「世界ダウン症の日」と定めているのだという。そしてまた、靴下は、2つでセットであることや、かかとで曲がっている形であることから、染色体の形状に類似してことも意味しているそうだ。
このようにして、「きっと子どもたちは、左右異なる靴下を楽しげに履いたり見せ合ったりしながら、ダウン症について学校で話を聞いたり、家や地域の人たちと話をしたりするのだろう。そして、ダウン症の人がどのような困難を抱え、どのような教育や支援のニーズがあるかといったことを学ぶ」のだという。
このようなテーマは、時により難しく重いものになりがちだが、この取り組みをすること(異なった派手な靴下を履くこと)で、日々の生活の中で、気軽にかつ手軽に、ダウン症をはじめとする多様な人々の存在を知り、彼らについて語り、理解を深めるきっかけになるだろう。日本の学校においても、すぐ始められそうだ。
2.「学校の食堂で高齢者がランチ」
スウェーデンのウプサラ市では、2022年、「シニアランチ」プロジェクトとして、市内の18の学校で、高齢者のための昼食の提供を有料だが低額で開始した。同国の学校給食はビュッフェ形式が多いので、このサービスによって、高齢者が子どもたちに交じって、給食が食べられるようになったのである。
このプログラムの目的は、「高齢者の健康とウェルビーイングを促進し、世代を超えた交流を促す」ことである。コロナ禍で一時中断していたが再開され、高齢者にもまた子どもにも好評なようだ。また提供するランチメニューなども含めて高齢者への配慮等もあるようだ。
このようにして、このプログラムは、孤独化へ対応、子どもとの交流、栄養バランスのある食事の提供などで高齢者の健康とウェルビーイングという「福祉」の向上および子どもたちの異なる世代である高齢者との日常的交流という「教育」の機会提供の2つの異なる効果を同時に実現しているのである。
日本の学校は一般的にはビュッフェ形式でないので、この手法をそのまま採用できないが、工夫すれば実現できるのはないだろうか。
3.「平和への担い手を育てる体系的な取り組み」
日本の若者が将来への期待感や自身の社会変革への寄与感が低いことは少し前から社会問題であると指摘されてきている。
他方、フィンランドは、教育先進国とはいわれているが、若者の将来への期待感がもてていないことの問題点が指摘されている。それを受けて、同国では、14歳の子どもを対象とする「Gutsy Go(勇気を出して行こう)」という取り組みがなされている。
この取り組みは、「学校を止めて、平和の生み出し手になろう」というスローガンの下、参加校の8年生(14歳)全員が、数人でチームをつくり、学校での普段の授業や活動を止めて、自分たちの周りの街の課題を選び、その解決策を検討し、さまざまな職種の大人たちに協力を依頼し、解決策を実行していくものだ。またその過程を動画で録画・収録し、発信し、その成果を社会的に活かし、影響を与えていこうという活動だ。
取り上げられる課題は、ホームレス、高齢者や幼児の支援など多岐にわたるが、社会課題に対して具体的にかつ実際に取り組むので、子どもが学校で学んだことと社会とのつながりを感じたり、活動自体の経験を得られたりするなど様々かつ多くのプラスの影響が生まれているようだ。
そのために、この取り組みに参加した生徒からは、「やってみたいこと、習ってみたいこと、経験してみたいことに挑戦できるのが、とても面白かった」などの振り返りの意見もでていたそうだ。
この取り組みは、自身で物事を考えたり、自分が社会においてできることや役割を知ったり、学校で学んだことと社会との関係性を感じ、引いては学校で学ぶことの意義や意味に気付くなど多くのことを、子どもたちに与えそして経験できる機会となるだろう。またある程度の準備は必要だろうが、筆者の経験からも、大掛かりな準備や費用は必ずしも必要ないので、日本の学校でも比較的容易にすぐ始められそうだ。
以上のことからもわかるように、北欧はその社会構造や教育などは異なってはいるが、日本でも、そのいくつかの実践例は非常に参考になるし、学校単位あるいは教室単位や個々の教員でもすぐにでも始められるのではないか。
子どもたちに、多様な機会、異なる世代との交流、社会との接点の機会などを提供し、彼らに成長を促すことができるのは、正に「教育」や「学校」の役割であり可能性であるということができるだろう。本記事で取り上げた書籍を読んで、改めてそのことを再認識した。
(注)同書に関しては、次の拙記事を参照のこと。
・「書籍『北欧の教育最前線』 海外から貪欲に学ぼう」(鈴木崇弘、教育新聞、2021年3月11日)