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「ダイヤモンド・プリンセス」集団感染の教訓とは クルーズ船の感染対策と検疫ガイドラインの見直し急務

木村正人在英国際ジャーナリスト
米オークランド港に入港した「グランド・プリンセス」(写真:ロイター/アフロ)

米国務省「クルーズ船の旅は避けて」

[ロンドン発]新型コロナウイルスの流行で集団感染が発生したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」と同じクルーズ会社が運航する「グランド・プリンセス」でも感染が広がり、9日米カリフォルニア州オークランド港に入港、下船を始めました。

「グランド・プリンセス」では今年2月サンフランシスコからメキシコへのクルーズに参加した71歳の乗客が新型コロナウイルスに感染して死亡。乗客2422人、乗員1111人を乗せた「グランド・プリンセス」は検疫準備のためサンフランシスコ沖で5日間さまよいました。

46人を検査した結果、乗員19人、乗客2人の感染を確認。まずアメリカ人乗客から下船。治療の必要がある人は病院に搬送され、あとはカリフォルニア、テキサス、ジョージア各州の米軍基地で14日間隔離されます。

次にイギリス人乗客140人、カナダ人乗客200人超など外国人乗客を下船させ、それぞれの国に退避させる方針です。船内の検疫で感染を止められなかった「ダイヤモンド・プリンセス」の教訓を早くも生かした形です。しかし感染が疑われるクルーズ船が続出。

米国務省はたまらず「アメリカ人、中でも基礎疾患のある人はクルーズ船の旅は避けて下さい」と勧告。米疾病予防管理センター(CDC)も「他のウイルスと同様に新型コロナウイルスもクルーズ船では距離が近い乗員乗客の間で感染はより起こりやすい」と警鐘を鳴らしました。

漂流するクルーズ船

「ダイヤモンド・プリンセス」「グランド・プリンセス」を運航する米クルーズ会社大手プリンセス・クルーズは他のクルーズ船2隻も感染が疑われています。「海に浮かぶ培養皿」と呼ばれるクルーズ船が感染症に脆弱なことを改めて浮き彫りにしています。

クルーズライン産業は乗客2670万人、売り上げ1340億ドルを達成。フルタイム換算で110万8676人の雇用を生み出し、456億ドルの賃金・給料を支払うまでに急成長しました(国際クルーズライン協会2019年報告書)。それだけに新型コロナウイルスの影響は深刻です。

この機会に「ダイヤモンド・プリンセス」の検疫について改めて考えました。厚生労働省によると、乗員1045人乗客2666人の計3711人(うち日本人1341人)のうちPCR検査で陽性になったのは696人で死者は8人、24人が人工呼吸器または集中治療室で治療を受けています。

プリンセス・クルーズ社は「前例のない困難に直面し、可能な範囲で最善を尽くした」と説明。その一方、加藤勝信厚労相は「7人(当時)の方が亡くなったことは大変遺憾であり、いろんな方の意見を聞きながら検証していきたい」と述べました。

「入港前に実質的な伝播が起こる」

外国人乗客の中には日本や医療機関の対応に感謝を述べる人も少なくありません。前代未聞の巨大クルーズ船、しかも相手は未知のウイルスという悪条件で検疫は始まりました。犠牲者を8人も出したと非難するのか、残りの命を救ったと評価するべきか意見が分かれるところです。

まず国立感染症研究所の概況説明(2月26日付)から見ていきましょう。下のグラフで乗員(オレンジ色)乗客(青色)の発症日別確定症例報告数を見ると「2月3日にクルーズ船が横浜に入港する前に実質的な伝播が起こっていたことが分かる」。

国立感染症研究所のHPより
国立感染症研究所のHPより

「検疫による介入が乗客間の伝播を減らすのに有効であったことを示唆している」(2月19日付の概況説明)という表記は「アウトブレイクの自然経過、検疫の実施、またはその他の未知の要因によって説明が可能と思われる」(2月26日付)に和らげられました。

各客室の乗客人数別確定症例は1人部屋6例、2人部屋485例、3人部屋27例、4人部屋18例。「乗船しているすべての人を個別に隔離することはできず、客室の共有が必要であった」「一部の乗員はクルーズ船の機能やサービスを維持するため任務を継続する必要があった」(同)。

無症状病原体保有者は陽性者の6割(その後5割弱に減少)。感染者数が激増したことが世界を震撼させましたが、これはPCR検査を増やしたことに関係しています。新型コロナウイルスは無症状病原体保有者からも感染するので船内で見えない感染が広がっていたことがうかがえます。

ここまでで言えることは4つあると思います。

(1)発熱も咳も見られない無症状病原体保有者がいるため、相部屋の乗員乗客の隔離が十分できなかった。

(2)乗員は配膳など客室サービスのため乗客と接していた。

(3)検疫で乗員乗客を船内に閉じ込めたため新型コロナウイルスの国内侵入は防止できたが、船内の検疫は完全ではなかった。

(4)60歳以上が2165人と、新型コロナウイルスに脆弱な高齢者が非常に多い。

米CDCは空気感染に近い感染を否定せず

次に米CDCのサイトでクルーズ船の感染症にどう対応しているのか見てみました。ノロウイルスの船内流行は頻繁に起きており、その次に多いのが毒素原性大腸菌。つまり経口感染の食中毒です。飛沫(ひまつ)感染、接触感染するインフルエンザ様疾患のガイダンスもあります。

【インフルエンザ様疾患のガイダンス】

・インフルエンザやインフルエンザ様疾患は1000トラベラーズ・デー当たり1.38例

・乗員は毎年予防摂取を受ける

・乗客、特に基礎疾患のある人に予防接種を推奨

・患者には咳エチケットを教える

・患者を客室に隔離

・乗員乗客に手洗いを促す

・患者は他の人と1.8メートルの距離を取り、フェイスマスクを着用

・濃厚接触者は4~5日間、健康状態を観察

・患者と接触する可能性のある乗員は保護具の適切な使用、保管、廃棄について指導を受ける必要がある

・インフルエンザの発生時には定期的な清掃と消毒に加え、手すり、カウンター、ドアノブなどよく触れる表面のより頻繁な清掃を検討。主な感染経路は咳やくしゃみなので広範囲の消毒は効果的とは言えない

【新型コロナウイルス対策の暫定的ガイダンス】

・感染が疑われる乗員乗客は下船させる

・38度以上の熱が出た場合、船内の医療センターに知らせる

・ウイルスの感染を最小限に抑えるには感染が疑われる乗員乗客をできるだけ早く特定して隔離

・感染が疑われる人の部屋に入るスタッフは標準予防策、接触予防策、空中予防策を使用。ゴーグルやフェイスシールドなどを使用する必要がある

・濃厚接触者である可能性がある全ての乗員乗客、医療スタッフは最後の接触から14日間、船の医療スタッフまたは遠隔医療提供者の監督下で自己隔離する

・新型コロナウイルスが空気中でどれぐらい長く感染力を保つのかまだ分からない。ゴーグルやフェイスシールドなどの防護具を着用していない場合、空気感染する麻疹や結核と同じように汚染が疑われる部屋に入るまで2時間置く

・他はインフルエンザ様疾患の対策と同様

新型コロナウイルスにはインフルエンザのような迅速検査キットがないので誰が感染しているのか正確に把握するのは困難です。しかも潜伏期間が長く、5~6割が無症状病原体保有者。それに加えて空気感染に近い感染を起こす可能性がまだ否定されていないのです。

未知の新型コロナウイルスがどれだけ狡猾で厄介な相手なのかが分かります。「ダイヤモンド・プリンセス」の集団感染について米紙ニューヨーク・タイムズが3月9日付で初動の48時間を無駄にした米クルーズ会社や日本の検疫の課題について改めて検証しています。

記事のポイントは次の通りです。

(1)1日放って置かれた緊急メール

プリンセス・クルーズの本社に1通の電子メールが香港から届いたのは2月1日。80歳の男性乗客が新型コロナウイルスに感染していたことを知らせる緊急メールだった。しかし同社の首席医務官が乗客の感染に気付いたのは翌2日。

(2)低レベルの感染対策

感染した乗客がすでに下船しているため楽観視。香港政府の疫学者が2月2日にクルーズ会社に「当該クルーズ船の完全な浄化と消毒を助言する」と伝えた翌日の3日から船内の清掃を強化。

クルーズ会社の首席医務官は「例えリスクがあったとしても船内にどんなリスクがあるのか分からなかった」と証言。プロトコルでは手洗い励行、セルフサービスのビュッフェ禁止、清掃強化のほか、乗員の握手自粛、船内の消毒、社交イベントの中止が定められている。

しかしビュッフェは通常通り営業を継続。船上では祝賀行事、オペラ上演が行われ、2月2日にはさよならパーティーを開催。一部の乗員が自分たちの判断で乗客に感染予防策を伝え始める。

(3)日本による検疫の課題

感染者と濃厚接触した恐れのある乗員乗客を下船させずに、乗船させたまま2月3日から臨船検疫を始める。陽性者は下船して入院、隔離された。

その日、クルーズ船の検疫を20年にわたって研究しているギリシャのテッサリア大学のクリストス・ハジクリストドゥルウ教授は新しいクルーズ船の検疫ガイドラインを発表。その中で感染者と濃厚接触者は陸上で検疫を実施することを勧告(下が概念図)している。

筆者作成
筆者作成

(4)曖昧(あいまい)だった責任の所在

クルーズ会社の首席医務官は「乗員は検疫か病院で隔離されている人に対するプロトコルに従っていた」と証言。乗員はしばしば同じ手袋を着け、客室に配膳。さらに十分な防護措置をとらずに汚れた食器や使用済みのリネンを回収。

船籍はイギリス、船主はアメリカ、発着地は日本であることから検疫実施後の船内での検疫など責任の所在が曖昧になってしまった。

「隔離は有効に行われた」

2月19日の政府専門家会議後に記者会見した脇田隆字座長は「隔離が有効に行われたと確認した」と述べています。日本が厚労省や国際的なガイドラインに従って検疫を実施したのは間違いありません。

しかし海外からは「日本政府の対応は公衆衛生危機の際に行ってはいけない対応の見本」「疫学的大惨事」(ニューヨーク・タイムズ紙)という厳しい批判を寄せられました。

日本政府や厚労省の関係者からは検疫を正当化する発言が相次いでいますが、以下のような改善点があると思います。

(1)自己を正当化する暇があったら、最新の知見に基づきガイドラインをリアルタイムでアップデートする体制を構築する。

(2)新興感染症に備えてPCR検査のキャパシティーを拡充する。

(3)感染者や感染が疑われる人を下船させて受け入れる体制をつくる。

(4)クルーズ会社が感染症対策を守っているか定期的にチェックする体制を構築する。検疫の実施について打ち合わせる機会を設ける。

時間をかけて集団感染の原因を検証するのも大切ですが、新興感染症対策は「巧遅は拙速に如かず」だと思います。

【「ダイヤモンド・プリンセス」集団感染の経過】

1月20日、横浜を出発

1月22日、鹿児島に寄港

1月23日、問題の男性が咳を始める

1月25日、香港に到着。問題の男性が下船。その後、ベトナムや台湾を巡る

1月30日、世界保健機関(WHO)が緊急事態宣言。問題の男性が発熱

2月1日、横浜から乗船し、香港で下船した男性の感染が判明。クルーズ会社の首席医務官に乗客の感染を知らせる緊急メール。この男性が使ったサウナやビュッフェは通常通り営業

2月2日、香港政府の疫学者がクルーズ会社に「当該クルーズ船の完全な浄化と消毒を助言する」と伝える。船内ではさよならパーティーが開催される

2月3日、クルーズ会社が船内の清掃強化。日本の検疫官が横浜港で臨船検疫。検疫官による全乗員乗客の健康診断が行われる。午後11時に乗客はそれぞれの部屋に留まるよう指示

2月5日、検査した乗員乗客31人中10人の感染が判明。午前7時から14日間の検疫始まる。全乗客の客室待機など感染拡大を予防する措置を徹底

2月6日、新たに10人の感染が判明(計20人に)

2月7日、新たに41人の感染が判明(計61人に)。乗客に体温計配布。体温が37.5度を超えた場合には発熱コールセンターに連絡する健康観察を開始

2月10日、感染者計161人に。菅義偉官房長官が「全員に対するPCR検査は難しい」と説明

2月11日、全ての乗客を対象に検査。高齢者や基礎疾患のある人から検体採取

2月12日、感染者計174人に。検疫官も感染

2月13日、感染者計218人に。厚労省が高齢者や持病のある人から優先的に検査を実施し、陰性が確認された希望者を下船させる方針を発表

2月14日、体系立てて乗客の検体採取を始める

2月16日、感染者計355人に。専門家会議の初会合

2月17日、陰性が確認された米国人乗客約330人が帰国の途に

2月18日、陽性計542人。SARS(重症急性呼吸器症候群)やエボラ出血熱を現地で経験した感染症のプロ、岩田健太郎神戸大学教授が船内に入り、「悲惨な状態で心の底から恐いと思った」と動画投稿サイトなどで告発

2月19日、検疫終了。順次下船。WHOは「世界中に乗客が散らばってしまうより好ましかった。しかし船内で感染者が増え続けたのは残念」とコメント

3月1日、乗員乗客の下船が終了

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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