【豚骨ラーメンに見る昭和の美学(其の弍)】博多ラーメンを楽しむための“マニアックすぎる”八箇条
前回の【昭和の豚骨ラーメンに美学を見出す職人(その壱)】 “くさい”を“うまい”に変えた生粋の博多っ子・クラタジョージでは、“博多シャバ系”“くさうま”で知られる「駒や」店主・倉田承司(クラタジョージ)氏が体験してきた博多ラーメンの原風景、そして愛すべき豚骨の香り、“臭い”=“発酵臭”であるという話をした。続いて今回。ここでは、倉田さん的な「博多ラーメンの魅力が深まるマニアックな8項目」の解説をする。筋金入りの豚骨ラーメンファンもきっと新たな気づきのある話だと思うので、ゆるりとしながら最後まで読んでもらいたい。
【目次】
1. 丼を鷲掴みにしてスープを飲み、手についた豚骨臭も余韻で楽しめ!
2.ニンニクを“へずって”臭いをブーストさせよ!
3. 辛子高菜編愛を極める
4. まずはバリカタ、替え玉でヤワ麺オーダーの儀
5. ラーメン職人の湯切りに注目せよ!
6. “あたり”の概念を知る
7.豚骨ラーメンの価値を高める
8.クラシックカーに最新のエンジンをつむようなラーメン作り!?
其の一) 丼を鷲掴みにしてスープを飲み、手についた豚骨臭も余韻で楽しめ!
お行儀的に賛否あり、抵抗のある女性、外国人も多いが「丼ごと鼻に近づけた方が香りがより花開く」という考え。レンゲを全く置かない店は今はほぼないものの、丼を持って飲む方が良い、との思いをもった店主は一定数いる。昭和の博多ラーメンシーンでは、店の一角のカゴに雑然と積まれていたレンゲを取りに行くのもめんどくさい。って客が多かったのも背景にあるとは思う。ともあれ、一回試してみることをおすすめする。
「熱々でヌルヌルの丼の縁を滑らないように気をつけながら両手でもってスープをズズリ。帰り道は臭っさい手のにおいをかぎながら帰るもんやったw」(倉田さん)
其の二) ニンニクを“へずって”臭いをブーストさせよ!
ニンニククラッシャーという言葉を知らず、大人になってからも“ニンニクへずり器”と呼び続けていた倉田さんのエピソードは前回記した通り。あらかじめすりおろしてあるニンニクと、直前に砕いてへずる生ニンニクとでは風味が段違い。ガシュッと砕いて臭い、旨みをブーストさせるべし。ちなみにへずり器の中に残ったニンニクの皮も、つまようじなどで取って入れるのが筆者は好きだ。次に使う人にも配慮にもなる。
其の三) 辛子高菜編愛を極める
辛子高菜はラーメン職人の“心意気”であり、辛さの入れ方、刻み方でも個性が出るもの。ラーメンは自由なので、入れるタイミングや量にとやかくは言わないが、やはり残すのはタブー。特に無料で用意している店では、高菜の消費量がラーメンの値段にはねかえってきかねない。取った分は完食、スープに浮いている高菜もできるだけすくって食べるべきだと考える。詳しくは福岡「辛子高菜カルチャー」の奥深き世界(豚骨注入!)を参照。
「舌の味蕾(みらい)をおこす意味合いでも、辛子高菜を少量入れるのがおすすめやね。ウチのラーメンでもその方が、豚骨のうまみと香りが引き立つけん」(倉田さん)
其の四) まずはバリカタ、替え玉でやわ麺オーダーの儀
まず、麺の硬さのオーダーは“バリカタ”“カタ”が圧倒的に多いのは皆も知るところ。ラオタ視点でいうと初来店では“普通で”と頼むのが、店主がベストと考える茹で加減を知れるという意味でも、なんとなく通っぽい感覚もある。しかし、倉田さんが麺場を仕切りながら、一番ハッとなるのが「バリカタの後、替え玉でヤワ麺を注文する」客だという。「バリカタからヤワ麺ってのは、まず両極端な麺の食感を楽しみたいという思いと、替え玉の時にスープを再加熱したいというこだわりを持っている人が多い。カタとヤワはもちろん茹で時間が異なり、ヤワの方が水分量を多く含んでいるから単純に温度が高いけんね。その考え方でもう一つ、バリカタからヤワってくると、もしかして最初のスープがぬるいと感じられてしまったかも、という考えもよぎるんよね。どちらにせよ背筋がシュッとなるオーダー」(倉田さん)
ちなみに、バリカタは丼の中で時間が経つとヤワ麺になるという考えをもっている人も多いがそれは間違い。それは単に伸びた状態であり、釜の中でヤワめに茹でたものとは全くの別物であると付け加えておく。
其の伍) ラーメン職人の湯切りに注目せよ!
ラーメン職人の湯切りに関しては、使う網の形状も注目ポイント「真っ平な平網を扱う職人の美学に迫る」(豚骨注入!)であるが、ここでは“湯切りをどこでするか”について。上記の「ヤワ麺がスープを再加熱する」にも通ずるが、湯切りをする時に、できるだけ冷めないよう釜の湯気の近くで行うというこだわりを倉田さんは持っている。
「特に冬場は釜の湯気から離れるほど冷めやすい。ちょっとした事ですが僕は大事だと思ってるんよね」(倉田さん)
其の六) “あたり”の概念を理解する
“あたる”とはラーメン用語では“焦げ付く”という意味。ラーメン職人がスコップや木の棒を使って釜内のスープを扱う写真や動画を見たことがあると思うが、あれは旨みを抽出すると共に、底で“あたらないよう”(焦げ付かないよう)に混ぜ込んでいるものだ。一般的にあてることはタブーとされているが、あえて少しあてる「半あて」をする職人もいる。その様な個性を知ることも、豚骨ラーメンの魅力がより深まることにつながると思う。
ちなみに「駒や」は、サラサラの骨粉を層のように蓄積させていくが、絶対にあたらないように管理している。
其の七) 豚骨ラーメンの価値を高める
物価高が進む昨今、豚骨ラーメンは文化的存在につき他のラーメンに比べて最も値段を上げにくいジャンルであることは間違いない。倉田さんは、豚骨カルチャーを守るためにこそ、また、職人の育成も含め豚骨ラーメンが健全に続いていくために豚骨ラーメンの値段は上がっていくべきだと声を大にしている。
「ぶっちゃけこんなにも労力に見合わない仕事はないですね。光熱費、材料費も半端ない。豚骨を志した後輩たちが出店するとなっても、臭いの問題で出せる物件もどんどん少なくなってきている。僕は先陣をきって、これら問題を解決していくつもり」(倉田さん)
其の八) クラシックカーに 最新のエンジンをつむようなラーメン作り
最後は、2回に分けて紹介してきた豚骨ラーメン職人の美学についてのまとめ的となるが、倉田さんは自身のラーメンを「クラシックカーに最新のエンジンや機器をつんだようなもの」とよく表現する。つまり、再現した昭和のど真ん中のくさいラーメンは、店の雰囲気、大将のキャラクターもあいまり、古き良きと捉えられているけども中身、例えば豚骨、麺ほか素材の質や厨房設備、衛生面はもちろん昭和より向上しているし、もっというと菌による“発酵臭”や“うまみ”の正体など、生物学的なアプローチもふまえて作られている。豪快、濃厚であるけども実に緻密な計算によるものなのである。
「僕が子供の頃に食べていた昭和の豚骨ラーメンと、それに思いを馳せながら我流で作った現在の駒やのラーメン。これどっちが美味しいか聞かれたら返答に困るんよねー。素材も設備も進化していて、今のラーメンに絶対的な自信はもっているけど、子供の頃に刻まれたラーメンの旨さや臭さが強烈だから、当時の味は超えられていないような気もする。一生をかけても答えは出ないだろうね。ただ、あの頃はもっと臭かったとか、おばちゃんの指が丼に浸かってたとか皆でワイワイ語り合えるのがのがラーメンの魅力だよね」(倉田さん)。
以上である。長々としたラオタの戯言を読んでいただき感謝。ようするに何が言いたいのかというと。
「ラーメンは自由! 好きなように楽しんじゃって!!」