失敗を力に。前橋育英の変わらぬ信念。
肝心なのは「ミスの後どうするか」
ミスが絡んだ失点で4回に3点を先制され、迎えた5回。先頭打者の田村駿人が放った打球は、きれいな放物線を描いて、レフトスタンドへ飛び込んだ。
3-1。
反撃ののろしとなる一打に、スタンドに陣取る、OBたちは口を揃えた。
「やっぱり、大切なのはミスの後だよな」
荒井直樹・前橋育英監督が、コーチから監督に就任した頃から、変わらずいい続けてきたのが「ミスの後でどうするか」ということ。ミスをして、たとえそれが失点につながったとしても、そこでうなだれるか、ヨシ、次に挽回しようと思うかで、得られる結果は大きく異なる。
就任から12年、選手が変わっても監督は同じことを言い続け、選手たちは大舞台でまさにその「ミスの後」に3点を取り試合を振り出しに戻した。
優勝直後、多くの観衆が見守る中での監督インタビューにも、すべてが、表されていた。
「自分たちが積み重ねてきたことが表現できて、最終的に優勝できて、本当に自分たちがやってきたことは間違いではなかったな、と嬉しい気持ちです」
10年前の苦い記憶で学んだ教訓
劇的なサヨナラ勝ちを収めた準々決勝、常総学院戦は不思議な偶然、いや、因縁を感じる試合でもあった。
9回裏ツーアウト。0-2で先行の常総学院がリード。
サヨナラのチャンスがあるとはいえ、前橋育英が圧倒的に不利であることは明確だった。だが、あと1つ、アウトを取る難しさを誰よりも知る選手がいた。
キャプテンの、荒井海斗選手だ。
10年前、小学生だった頃、母と兄、祖父母と一緒に父が指揮を執る前橋育英を応援すべく、小さな「前橋育英」のユニフォームを着て、群馬県大会の準決勝のスタンドにいた。
今年のチームが昨秋、今春の県大会を制し「優勝候補」と謳われたように、当時の育英も同様に優勝候補の筆頭に挙げられていた。順当に勝ち上がり、迎えた準決勝、対桐生一。
3-1と2点をリードし、前橋育英は9回裏の守りについた。
エースの小沼直昭(東洋大→TDK)が力投し、ツーアウト。あと1人を抑えれば、悲願の甲子園初出場にグッと近づく。
勝利を確信し、スタンドのボルテージが一気に高まる中、幼い海斗と、4歳上の兄・拓海は冷静だった。
「次のバッター、要注意選手だよ。ここを抑えなきゃ危ない。ここで打たれると危ないよ」
嫌な予感は現実になる。
荒井兄弟の言う“要注意”だった先頭打者のヒットを皮切りに、桐生一が2点差を返し、サヨナラ勝ちで決勝へとコマを進めた。
あと1人、あと1つのアウトを取る難しさを、グラウンドにいた選手たちが体感したように、まだ小学生になったばかりの荒井も、スタンドで体感した。
2点のリードは、決して盤石ではないことも知っている。
あれから10年が過ぎ、今度は2点を追う立場で。チームメイトから「キャプテンは海斗以外考えられない」と言わしめるほど、絶大な信頼を集める主将となった今、ベンチから「行けるぞ、行ける」と声をかけ続けた。
その声に後押しされ、高橋光がタイムリー三塁打で2点を返し、土壇場で同点に。勝利をほぼ手中に収めていた常総学院だけでなく、観衆の多くが「こんなことがあるのか」と驚愕した結末は、荒井にとっては、10年前に反対の立場で見た、苦い記憶がもたらしたものでもあった。
練習試合、7連敗
群馬ではダントツの優勝候補と言われてきたが、春季関東大会で浦和学院に敗れ、準優勝に終わった後、練習試合で7連敗を喫した。ようやく勝利した後も、下妻二高校との練習試合では、5回まで0-0だったにも関わらず、6回に7点、7回には5点を取られ、0-13で負けたこともあった。
その経験も、チームの力になった。
「ここまで負けるか? というぐらい負けました(笑)。ただ、ちょっと違ったのは、負けても『なぜ負けたか』を選手もスタッフも理解していた。県で勝つこと、さらにその先で勝つことにピークを合わせて行こう、と負けながらも前向きでした」
まさに、有言実行と言うべきか。
甲子園に入ってから、暑さが苦手だったはずの高橋光は全国の高校野球ファンに鮮烈な印象を与える投球を続け、守備陣もサードの荒井、ショートの土谷恵介、セカンドの高橋知也を中心に、チームが掲げる「攻撃的な守り」を体現する鉄壁の守りでバッテリーを盛り立てた。
1、2回戦では湿り気味だった打線も、3回戦の横浜戦から覚醒。最後の最後で、走攻守、すべてがピークに達し、バランスの取れた、勝者となり得るべきチームへと成長を遂げた。
ミスの後、連敗の後。そして、10年前の苦い記憶も糧として。
当たり前のことを、当たり前に。
12年間、ブレずに貫いてきた荒井監督の信念が、経験を積み重ね、育んできた育英野球の信念が、初出場初優勝という最高の形で花開いた。