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みずほの資産運用能力と作文能力

森本紀行HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

みずほフィナンシャルグループは、3月27日に、「グループ資産運用会社の統合について」というニュースリリースをしています。傘下に分かれて存在する資産運用業務部門を、一つの会社に統合する検討を開始するという内容のものです。そこに、フィデューシャリー・デューティーへの言及がありますが、さて、これは、言葉の上のことだけなのか。

金融庁の掲げるフィデューシャリー・デューティー

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最初に、フィデューシャリー・デューティーとは何かを明らかにしておかないと、このリリースの面白味というか、背後に秘められた高度な作文能力の味わいが、理解されないでしょう。

フィデューシャリー・デューティーというのは、英米法の概念で、フランスやドイツから法体系を継受した日本では、その分野の専門家以外には、馴染みのないものですし、金融の実務においても、全く用いられることのなかったものです。

ですから、本来は、みずほが、リリースのなかで、この言葉を用いることは、異様極まりないことですし、そもそも、金融界の外の人はもちろん、金融界の人ですら、その意味を理解することはできなかったでしょう。

実は、みずほがいうフィデューシャリー・デューティーとは、英米法の一般概念を指しているのではなくて、2014年9月に金融庁が公表した「金融モニタリング基本方針」のなかで言及されているフィデューシャリー・デューティーのことなのです。故に、少なくとも、金融界にいる人には、みずほの意図は、それなりに理解されたはずです。

金融庁は、フィデューシャリー・デューティーについて、以下のように述べています。

「家計や年金、機関投資家が運用する多額の資産が、それぞれの資金の性格や資産保有者のニーズに即して適切に運用されることが重要である。

このため、商品開発、販売、運用、資産管理それぞれに携わる金融機関がその役割・責任(フィデューシャリー・デューティー)を実際に果たすことが求められる。」

さらに、金融庁は、このフィデューシャリー・デューティーに次の注を付けています。

「他者の信認を得て、一定の任務を遂行すべき者が負っている幅広い様々な役割・責任の総称。」

つまり、フィデューシャリーとは、「他者の信認を得て、一定の任務を遂行すべき者」のことで、デューティーとは、フィデューシャリーが負う「幅広い様々な役割・責任」のことです。

履行強制力を備えた忠実義務

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フィデューシャリー・デューティーは全く新しいものですから、金融庁としても、概念的な説明にとどまるのは、止むを得ないことです。現在の金融庁の喫緊の課題は、そこに、金融機関のモニタリング(今では、監督と検査を統合したものとしての建設的な対話)を通じて、規範として機能し得る具体的な意味内容を盛り込んでいくことなのです。

そこで、僭越ながら先回りをして、フィデューシャリー・デューティーの規範としての内容を具体化してみると、履行強制力を備えた忠実義務とでもなるのでしょう。

フィデューシャリー・デューティーに相当する法律上の概念は、日本法のもとでも、忠実義務として、存在してはいるのです。しかし、多くの場合、忠実義務は、理念にとどまり、履行強制力のある規範としては、機能してきませんでした。ところが、英米法のフィデューシャリー・デューティーには、法としての強い履行強制力があるのです。

では、忠実義務とは、何か。それは、専らに受益者のために、ということに尽きます。業としての資産運用では、例えば、投資一任契約というように、顧客としての投資家は、投資運用業者に運用を一任(即ち、全面的に委任)し、受益者として、投資の果実を受け取るものですから、受任者としての投資運用業者(即ち、フィデューシャリー)には、専らに受益者のために運用するという厳格な規範(即ち、デューティー)を課さないわけにはいきません。それが、忠実義務(即ち、フィデューシャリー・デューティー)です。

忠実義務の具体的内容は、広くいって、利益相反取引の厳禁に帰着します。つまり、忠実義務違反とは、受任者としての投資運用業者が、自己の利益、または、自己の関係者の利益のためにする行為のことで、忠実義務の履行強制力とは、違反に対する制裁等の導入によって、抑止力を制度的に設計することです。

ここで、一番重要なことは、忠実義務違反の事実の立証と、それに起因する損害額の確定です。考えれば、すぐにわかることですが、これは、一般の投資家にとって、極めて困難なことです。故に、現実的には、忠実義務の履行強制力は非常に弱いものにとどまる、換言すれば、忠実義務違反は放置されやすいということです。故に、忠実義務を、履行強制力のあるフィデューシャリー・デューティーに引き上げることが必要なのです。

みずほのフィデューシャリー・デューティー

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では、最初に戻って、みずほは、フィデューシャリー・デューティーについて、何といっているのでしょうか。リリースを引用しましょう。そこには、統合によって新たに作られる資産運用会社について、次のように書かれています。

「ガバナンス面では、資産運用の担い手として、フィデューシャリー・デューティーを踏まえたサービス提供を念頭に、独立性・透明性の高い経営態勢の構築を目指していく所存です。」

一読して明らかですが、この表現では、フィデューシャリー・デューティーは、単なる努力目標になってしまっていて、履行強制力のある規範としては、とらえられていません。あるいは、正しく規範としてとらえられているのかもしれませんが、規範が履行されていない現実を直視した結果、当面は、努力目標としての位置付けにせざるを得なかったのかもしれません。

間違いないことですが、みずほが、わざわざ、フィデューシャリー・デューティーに言及したのは、金融庁の重点施策として、フィデューシャリー・デューティーが掲げられているからなのです。表題に作文能力と付けた理由は、まさに、そこにあります。

ところが、フィデューシャリー・デューティーを掲げてしまえば、みずほにおいて、実際に、それが履行されているかどうか、自己点検せざるを得ないでしょう。その結果として、それを努力目標として掲げざるを得なかったということは、現状において、フィデューシャリー・デューティーが貫徹できていないことを、実質的に、認めているのです。

これは、古い川柳にあるように、私道の入り口に通り抜け禁止の張り紙をすれば、通り抜け可能であることを知らしめる結果になるのと、同じことです。

しかしながら、金融庁においても、現状ではフィデューシャリー・デューティーが履行されていないことを認めているからこそ、フィデューシャリー・デューティーを掲げ、より高い基準へ資産運用業界を導こうとしているのですから、現段階においては、それが努力目標になることは、当然なのです。

改革とは、現状を否定して、将来に向かってなされることですから、それでいいのです。

フィデューシャリー・デューティー違反の現状

ただし、「踏まえ」、「念頭に」、「目指していく所存」という表現は、いかに努力目標とはいえ、フィデューシャリー・デューティーが確実に履行されるべき規範であることを考えれば、いかにも甘く、みずほにおいて、本当に規範として認識されているのか、疑問にも思えます。

しかし、これもまた、現状に対する自己評価を踏まえたうえでの高度な作文能力の発揮なのではないでしょうか。フィデューシャリー・デューティーの履行について、現にある姿と、あるべき姿との間に、距離が大きければ大きいほど、より曖昧な表現にならざるを得ないということです。

ある意味、みずほは、正直なのでしょう。作文に凝れば凝るほど、フィデューシャリー・デューティー違反の現状を、露呈していくのです。それでも、とりあえずは、フィデューシャリー・デューティーを、みずほの経営者の「念頭に」置かせただけでも、一つの前進です。

実は、三菱UFJフィナンシャル・グループも、2014年12月12日に、傘下の資産運用会社の統合を発表しています。この時点では、「金融モニタリング基本方針」は公表されていたのですが、三菱UFJは、「受託者責任をはじめとした運用者の質的な向上が強く求められています」と述べるにとどめて、フィデューシャリー・デューティーに全く言及していませんでした。

僅かな時間の推移の間にも、フィデューシャリー・デューティーは、急速かつ着実に、浸透しているのです、少なくとも、意識のなかでは。後は、規範に従った行為の実践あるのみです。

金融庁が問題視する現実

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では、フィデューシャリー・デューティーが履行されていない現状というのは、具体的に、どのような事態を指すのか。金融庁は、「金融モニタリング基本方針」のなかで、フィデューシャリー・デューティー違反の可能性を、次に引用するように、例をあげて、具体的に指摘しているのです。

「顧客との総合的な取引関係において、優越的地位の濫用防止・利益相反管理等の経営管理態勢が機能しているか、手数料や系列関係にとらわれることなく顧客のニーズや利益に真に適う金融商品・サービスが提供されているか」

つまり、みずほの場合、銀行部門の大きな力が、優越的地位の濫用とも見做され得る状況のなかで、資産運用部門においても、専らに受益者のためにではなくて、みずほの利益のために、行使されやすいということです。

例えば、企業年金の資産運用の受託については、銀行部門が優越的地位に基づく影響力を行使できる融資先等の企業を対象に、その企業の年金の資産運用契約を獲得するような営業行為等がなされ得ます。つまり、専らに年金制度の受益者(加入員と受給者)の利益のためになす資産運用ではなくて、みずほと融資先企業の利益のためにする資産運用に堕し得るということです。

また、投資信託においては、系列関係重視により、即ち、みずほ内部の販売会社と運用会社が密に連携することにより、手数料等の獲得を目的にした行為がなされ得る、要は、専らに投資家の利益のためにではなくて、みずほの利益のために、運用と販売がなされ得るということです。

ここでは、なされ得るという表現にしましたが、実際には、現になされているものと考えないわけにはいきません。もちろん、この実態は、みずほだけのことではなくて、程度の差こそあれ、他の大手金融機関についても、等しく当てはまります。

何のための統合による規模拡大か

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ところで、作文能力よりも、資産運用能力が大事ですが、みずほにしても、三菱UFJにしても、なぜに、統合することで、資産運用能力が向上すると考えているのでしょうか。

実は、フィデューシャリーとは、実は、医師、弁護士、会計士などの独立した職業人、即ち、プロフェッショナルのことです。フィデューシャリー・デューティーとは、専門的知見を有する職業人が、独立した個人として、負う責任のことです。資産運用会社がフィデューシャリーであるためには、その前提として、資産運用に携わる個人がフィデューシャリーでなければならないのです。

故に、広く知られているように、資産運用の質は、プロフェッショナル個人の質に依存することから、資産運用会社の規模には、関係がないのです。これは、病院や弁護士事務所の質が、個人としての医師や弁護士の質に依存するのと、全く同じです。このことを、みずほや三菱UFJは、理解しているのでしょうか。

他方では、確かに、医療が装置産業化し、商取引に国境がなくなれば、巨大病院や、グローバルに展開する大弁護士事務所にしかできない仕事が生まれてきます。資産運用にも、ある程度は、そういう傾向はでてきています。

従って、みずほや三菱UFJが最初に明らかにしなければならないことは、統合し、規模を大きくすることにより、どのような資産運用を目指すのかということであり、そこに、いかにして、プロフェッショナルとして確立した個人を、配置し、育成し、統制するのか、ということです。そのような理念がないなかで、統合すれば、単に大きいだけで質の伴わない運用会社になるだけでしょう。

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長。三井生命(現大樹生命)のファンドマネジャーを経て、1990 年1 月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。 2002 年11 月、HC アセットマネジメントを設立、全世界の投資機会を発掘し、専門家に運用委託するという、新しいタイプの資産運用事業を始める。東京大学文学部哲学科卒。

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