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ドウデュースとイクイノックス、七夕に再会したそれぞれの担当者のまだ終わらない物語

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
イクイノックス(左)と阿部助手と、ドウデュースと前川助手

ドウデュースに惜敗したダービーでの出来事

 「大衆の面前でのキスだけは勘弁してほしかったですけど……」
 苦笑しながらそう語るのは阿部孝紀。1987年2月生まれで現在37歳。美浦・木村哲也厩舎の調教厩務員だ。

阿部孝紀調教助手
阿部孝紀調教助手


 話の対象になっていたのは前川和也。1976年8月生まれの47歳。こちらは栗東・友道康夫厩舎の調教厩務員だ。
 阿部が最初に前川を意識したのは2022年5月29日。この日、東京競馬場では第89回日本ダービー(GⅠ)が行われ、阿部は、担当するイクイノックスを送り込んでいた。
 「直前の皐月賞で好勝負(ジオグリフの2着)していたので、期待を持って臨みました」
 すると、ゴール前の直線で担当馬が外から伸びて来た。しかし……。
 「あと一歩のところで届きませんでした」
 クビ差の2着。勝ったのはドウデュースで、担当しているのが前川だった。

22年ダービーのゴール前。ドウデュースが1着でイクイノックスが2着だった
22年ダービーのゴール前。ドウデュースが1着でイクイノックスが2着だった


 「この時点で前川さんと話した事はありませんでした」
 そう言うと、更に続けた。
 「ただ、認識はしていました。角居厩舎で実績を残していたし、調教VTRを見て、馬乗りの上手な人だと思っていましたから……」
 実際、前川は角居勝彦調教師(引退)の下で活躍。2006年にデルタブルースとポップロックがワンツーフィニッシュを決めたメルボルンC(GⅠ)の際はオーストラリアへ遠征していたし、その後もトールポピー(08年オークス)やアヴェンチュラ(11年秋華賞)等、数々の名馬に携わっていた。
 だからダービーで“後の世界最強馬”が唯一捉えられなかったのがドウデュースであると分かった時、思った。
 「あの、前川さんの馬だ……」

08年、オークスを制すトールポピーを曳く前川助手(右)
08年、オークスを制すトールポピーを曳く前川助手(右)

ドバイで近付いた2人の距離

 そんな2人の仲が近付いたのは、23年3月のドバイだった。
 前年のダービーの1、2着馬は、共に中東入りしていた。ドウデュースはドバイターフ(GⅠ)に出走する予定で、イクイノックスはドバイシーマクラシック(GⅠ)制覇を目指していた。しかし、ダービー馬がアクシデントに見舞われた。「左腕筋に違和感がある」(友道)との事で、回避となったのだ。
 「そんな時、前川さんに声をかけられました」
 阿部が言う。
 「『ドウデュースは走れなくなっちゃったけど、イクイノックスはどう?』という感じで声をかけていただきました。前川さんとはいつか話してみたいと思っていたので、ありがたかったのですが、担当馬が回避するという状況だったので『しんどいだろうな……』と思いながら、返事をしたのを覚えています」
 結局、イクイノックスは勝利した。すると、レース後に、2人の関係が更に接近する出来事があった。

23年のドバイシーマクラシック(GⅠ)を制したイクイノックス。左が阿部助手
23年のドバイシーマクラシック(GⅠ)を制したイクイノックス。左が阿部助手


 「前川さんが真っ先に祝福してくれました」
 その時、感じる事があったと続ける。
 「自分は担当していたオーソリティが宝塚記念で取り消した(22年、馬場入り後に右前肢ハ行を発症したため競走除外)事がありました。だから、そういう時の辛さは良く分かっているつもりでした。当然、前川さんもキツいだろうに、まるで自分の事のようにこちらの勝利を喜んでくれたんです」
 これを機に、急接近した。
 「実績のある人で、話しかけづらいと思っていたのに、実際にはすごくフランクな方でした」
 帰国後には、宝塚記念(GⅠ)に出走するイクイノックスが栗東トレセンに入った時期があった。すると……。
 「真っ先に声をかけてくださり、厩舎へ招待してもらえました」
 厩舎には友道も待っていてくれた。
 「案内してくれて、ご飯にも連れて行ってもらえました」

左から2人目から前川助手、友道調教師、阿部助手(阿部助手提供写真)
左から2人目から前川助手、友道調教師、阿部助手(阿部助手提供写真)

七夕の再会

 2頭は昨秋、天皇賞・秋(GⅠ)、ジャパンC(GⅠ)と直接対決をした。ダービーでは苦杯を喫したイクイノックスだが、この2戦では雪辱。ドウデュースはそれぞれ7、4着に沈んだ。
 「それでも毎回、前川さんは『おめでとう』と祝福の連絡をくれました」
 自分が逆の立場だったら同じような振る舞いが出来るだろうか?と考えると、前川の心の広さに感服した。だから「有馬記念は全力で応援した」。
 すると、武豊に鞍上を戻したドウデュースが、先頭でグランプリのゴールを駆け抜けた。
 「テレビ観戦でしたけど、豊さんの千両役者ぶりも相俟って、涙が出たし、すぐに『感動しました!』と、お祝いの連絡をさせていただきました」

武豊騎手騎乗のドウデュースが勝利した22年の有馬記念(GⅠ)
武豊騎手騎乗のドウデュースが勝利した22年の有馬記念(GⅠ)


 そんな2人が7月7日、七夕の日に、再会を果たす機会があった。阿部の担当するノッキングポイントが七夕賞(GⅢ)に挑み、友道厩舎からはレッドラディエンスが出走。前川はこの馬の担当ではないが、競馬場に臨場していた。
 「ノッキングポイントは調教法を変えたら、大分良い感じが戻って来ていました」
 菊花賞(GⅠ)で15着に敗れた後、金鯱賞(GⅡ)12着、新潟大賞典(GⅢ)8着と、本来の力を出せていなかった。そこで、阿部は指揮官に進言した。
 「新潟記念を勝った時(23年)は美浦の坂路が改修工事で使えませんでした。だから今回もあえて坂路には入れずコースで乗りたいと先生に相談したら承諾してもらえました」

七夕賞(GⅢ)のパドックでのノッキングポイントと阿部助手
七夕賞(GⅢ)のパドックでのノッキングポイントと阿部助手


 実際にそうすると「力まず、上手に走れるようになった」と感じた。そして、実際にレースでも「勝てるのでは?!」と思える見せ場を作った。結果は3着だったが、復調気配の窺える内容だった。
 「その後、右前脚に屈腱炎を発症してしまったのは残念ですが、久しぶりに光が射す競馬ではありました」
 レース後、ノッキングポイントを曳きながらクーリングダウンをしていると、阿部の目に前川の姿が写った。友道厩舎のレッドラディエンスは、見事にこのレースを優勝。口取り写真撮影を待つ前川に近付き、祝福した。
 「『さすがです。おめでとうございます』と伝えると、満面の笑みで抱きつかれました」
 ここまでは良かった。しかし……。
 「キスまでしてこられたのには驚きました」

七夕賞(GⅢ)の口取り写真に納まる前川助手(左から2人目)
七夕賞(GⅢ)の口取り写真に納まる前川助手(左から2人目)


 こう言って苦笑するが、前川の事は「尊敬している」と続けて語る。
 「今でも友道厩舎の調教VTRはチェックしています。技術的に勉強になるのは勿論ですし『いつか認めてもらいたい』という気持ちが、自分の仕事に対するモチベーションになっています」
 これを前川に伝えると、彼は次のように返した。
 「僕は馬に乗るのが好きなだけで、阿部ちゃんの方が上手ですよ」
 イクイノックスがターフを去った現在、ドウデュースとの直接対決はもう無いが、2人のホースマンの良い関係はまだまだ続く事だろう。「キスだけは勘弁してほしい」そうだが……。

七夕賞(GⅢ)のレース直後、阿部助手(左)に抱きつく前川助手
七夕賞(GⅢ)のレース直後、阿部助手(左)に抱きつく前川助手

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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