兵庫県議86人全員が辞職要求しても辞めない斎藤知事 なぜ留まり続けることができるのかを心理学者が分析
みなさんこんにちは。仕事に役立つ心理学/常葉大学大学院准教授の赤田太郎です。
今回は、兵庫県齊藤知事が百条委員会から指摘を受けてもハラスメント認めないというのが、なぜかということについて心理学から解説していきたいと思います。
斎藤知事は、8月30日と9月6日に開催された百条委員会で、一連の疑惑に対して弁明を行っています。その中で、それぞれの嫌疑に対して「業務上の指導」といい、パワハラには該当しないと認めていません。また、内部告発した職員が内部通報者にあたると専門家が指摘しているにもかかわらず、その職員を懲戒処分したことについて、「法的に適切だった」と説明しています。
いよいよ、9月10日に兵庫県会議員全員が辞職要求するに至ります。その要求に対しても「辞職には応じない」姿勢を表明しました。
パワハラを認めない根本的理由
最初に結論からお話ししますが、斎藤知事が辞職に応じず知事であり続けられる理由は、告発文章が「誹謗中傷性の高い文章である」という説明で一貫していることだと考えられます。
その告発文を「誹謗中傷性の高い文章というストーリー」で完結させる考え方で一貫して曲げてない、ここが留まり続けられる理由になっていると思います。
人間は、状況を認識するために、物事の状況や現状を「①知覚して」、それらを「②解釈する」という2つのプロセスで行います。そして、状況をどう認識するかについては、その人個人の「認知構造(スキーマ)」、つまりその認知の体制に依存します。
認知構造というものは、簡単に言うと「物事を捉えるルール」です。ですので、彼が「誹謗中傷性の高い文章だ」という言い方をしている限り、ハラスメントをしていることにならないのです。ただそれだけのことなのです。
「知事様」を容認する組織風土
確かに、彼から見たときにハラスメントにあたらないのは当然です。もし、斎藤知事がハラスメントと思っていたら、そもそもハラスメントしないはずです。
ハラスメントという認識がなく、これまで仕事をしてきた知事にとって、そのやり方が「正当だ」と信念を持ってやってきたと思われます。ただ、それが「知事様」だった訳ですが、その知事様という風土を兵庫県も容認して、それを認めて「よいしょ」してきた結果、そうなってしまったということです。
実際に斎藤知事は、告発者捜しを命じたときに、副知事も、特別弁護士も「違法にあたらない」という言葉を得ているわけです。これがコンプライアンスの働かない兵庫県の組織風土だったわけです。
自分が悪くないという言い回し
また、斎藤知事が謝罪をしている場面で常に語っている言い回しがあります。それは「相手が不快でしたら申し訳なかった」という言い方です。
これは、パワハラを相手のせいにしている言い方になっているのがお分かりいただけますかでしょうか?
相手が不快じゃなかったら問題なかった、と裏返しても理解することができるとお思います。私は、亡くなられている被害者が2人もいるにもかかわらず、配慮に欠ける言い方であると思います。ただ、これも「誹謗中傷性が高い文章である」というストーリーと一貫してしています。この一貫しているところが、辞任しない理由になっているのが分かります。
パワハラを認めない人は珍しくない
一般的に、ハラスメントをした人が、実際にその行為を認める瞬間はどこにあると思われますか?
私の臨床の経験からお話しさせていただくと、それは、ハラスメント面談の中で、面接者(第3者)が指摘した瞬間であることが多いと思います。だだし、齊藤知事のようにそのように指摘しても、それでも自身がハラスメントしていると認めないケースも少なくありません。
斎藤知事は、兵庫県議86人全員が辞職要求しても辞めないと表明しています。私が責任を持ってこの問題を解決する義務があります、のように第三者のような言い方をしています。
これが、ハラスメントをしている認識のない人の難しさです。「相手が不快と思われたら申し訳ありません」という、あくまでも適切な指導(のつもり)だったという認識に変わりはないのです。
現場でもハラスメントをしてもハラスメントと認めない人は数多くいます。なぜこのように行為者はハラスメントを認めにくいのでしょうか?
なぜパワハラ認識を修正することが難しいのか
認識の違いを修正することは、非常に困難です。なぜ難しいかについて説明したいと思います。
私たちは、客観的に物事を見ているので、何が起こっているのかを冷静に判断することができます。ハラスメントをする立場もされる立場も、その両方から何が起こっているかを考えることができます。だからこそ、ハラスメントが起こっているのかを判定することができます。しかし一方で、私たちには「当事者性」というものが欠けています。当事者にならないと分からないことがあるのです。
齊藤知事は、ハラスメントの当事者ですので、当事者にとっては、これまで行動していたことが一貫して、ずっとハラスメントの行為者(おそらく)だったわけです。これは何を意味するかというと、もし、この行為が全てハラスメントだったと認めてしまうと、自分がしてきた「正当な行為」が全て崩れてしまうのです。この一貫してきた大前提が崩れてしまいます。つまり、「究極の自己否定」となり、自身の存在価値が全て消え去ることになります。こういうことは、自己崩壊につながるので強力に回避しようとします。意識的にも無意識的にも「自己防衛」を行います。
自己否定を回避する自己防衛本能
社会心理学には、「認知的不協和」という理論があります。人間は、自分の都合にいい情報は取り入れ、自分の悪い情報は排除するのです。そうして自身の存在価値を維持するのです。
まさに、百条委員会でさまざまな委員が指摘した内容をことごとく排除しているように見えます。
齊藤知事は、「誹謗抽象性の高い文章である」という一貫した考えにしがみつくことで、自身の存在価値が失われないように、とてつもなく強力に自己防衛本能を働かしているのです。これが、認識を変更する困難さといえるのです。
そもそも、この告発に対して当事者である齊藤知事は、すでにハラスメント調査する立場にはありません。上智大学の奥山教授が、「まるで独裁者が粛正するかのような構図だ」と指摘しているとおり、ハラスメントは「意識」の問題ではなく「行為」の問題です。
斎藤知事は、自分の都合の悪い情報である告発文章および告発者をなるべく早く排除するために、懲戒処分を行ったのでしょう。まさに認知的不協和と自己防衛本能による暴挙です。
ハラスメント調査は第3者でないとできない
兵庫県の組織が、この通報を第三者によって適切に対応を行なっていたら、このような問題は起きなかったと思われます。告発者も、公益通報の前に、人事に相談していたとのことです。これで犠牲になった人がいるということ、それも2名の方がお亡くなりになられていること、本当に許しがたく悲しくて仕方ありません。組織のトップが問題を起こすことが、最も解決を困難にしていることを目の当たりにして、組織のトップの意識がいかに重要か思い知らされます。
あなたは職場のハラスメントを見過ごしていませんか?
組織には、いかにさまざまな立場からフラットに物事を見ることができる「常識人」が必要かということを思い起こされます。皆さんの職場でも、ハラスメント行為があっても、見て見ぬふりをしていく光景がこれまで続いていたと思います。そうではなくて、ハラスメントにあたる行為を見かけたときに、常識的に「良くないこと」と指摘し合える職場環境を作っていく必要があると思います。
以下の動画では、よりわかりやすい平たい関西弁で解説していますので、ぜひご覧ください。ぜひ感想をYouTube動画のコメント欄にいただけると幸いです。
今回の記事では、兵庫県の斎藤知事のハラスメントについて、私の私見について話しました。いかがでしたでしょうか?
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また、次の記事でお会いしましょう!
最後までお読みいただきありがとうございました。