驚異の65歳!マドンナ40周年コンサート。開演時間、豪華ステージ、チケット代…すべてが異次元だった
65歳で高いヒールを履きダンサーと動き回り、息を切らさず2時間歌い切る。ここにいる者はすべて、ポップス界の女王の「復活」を見届けた生き証人となった。
今秋以降、大規模な「セレブレーションツアー」を行なっているマドンナ。今週アメリカ公演を、ここニューヨークのブルックリンでスタートさせた。
1983年にデビュー・スタジオアルバム『Madonna』(日本でのタイトルは『バーニング・アップ』)をリリースし、40年が経過した。このセレブレーションツアーは40周年記念ツアーであり、自身初のベストヒットを集約した内容だ。
会場を埋めた1万9000人はこの夜、歌姫と一緒に往年のヒット曲『クレイジー・フォー・ユー』『オープン・ユア・ハート』『レイン』などを合唱し、甘酸っぱい青春時代を思い出したことだろう。
病気によりツアーが3ヵ月延期
このツアーは本来、今年7月に始まり来年1月までの予定だった。しかしマドンナは6月、思いもよらぬ不幸に見舞われた。重い細菌感染症にかかり、ニューヨークの自宅で意識不明の状態で発見され、集中治療室で治療を受け5日間入院した。
その後無事に復活し、10月にロンドンでツアーが始まった。ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、メキシコなど39箇所を回る予定だ。今週のブルックリン公演(バークレイズセンター)でちょうど全ツアーの3分の1に到達したところ。
このブルックリン公演は今月13日、14日、16日の3夜開催する。その後はワシントンD.C.、ボストン、トロント(カナダ)へ行き、来年1月に再びニューヨーク(マディソンスクエアガーデン)に戻ってくる。その後もツアーは4月まで続く。
久しぶりのマドンナのコンサートとあって、往年のファンは待ちきれない様子だ。アリーナ席は上の方を除きほぼ埋まった。マドンナ世代が多いが、20〜30代の若い女性ファンも見かけた。
そしてさすがはポップス界の女王。このコンサートはあらゆることが異次元だった。
開演2時間半遅れ
まず初日から開演時間が押し、本来なら午後8時半のところを実際にマドンナがステージに現れたのは午後11時だった!アメリカの大物ミュージシャンの「あるある」ではあるが、予定より2時間半過ぎても主役が出てこないとなると、普段は大らかなアメリカ人もさすがに痺れを切らし、ブーイングがわき起こった(最初の1時間はDJがプレーするので厳密には1時間半遅れということになる)。この遅延は、報道によるとサウンドチェック時の技術的な問題によるものらしい。
2日目も時間通りにスタートすることはなく、観客もそれを見越してか開演時間になっても入場のためのセキュリティチェックは大混雑した。会場の中に入っても多くの人は着席せず、午後10時過ぎまで売店前で立ち飲みしながら、開演を待った。DJプレー後にマドンナがステージに現れたのは午後10時20分だった。
バンドなしの形態で、時間を押してサウンドチェックした割には、公演途中から数分間音が途切れたり、低音が地響きのように聴きにくいなど不備もあった。
- 開始時間の遅れは習慣のようで、しばしば観客を怒らせ、集団訴訟に発展したケースもあるという。(参照:ビルボードジャパン)
強気のチケット代金
チケット料金も大物にありがちな破格だった。このブルックリン公演を確認する限り、最前列エリアの1365.23ドル(約19万4000円)が最高額だった。アリーナの「後方」でも149.90〜236.55ドル(約2万1000〜3万3000円)、さらに角度的にステージが見えにくい場所で最安値90ドル(約1万2700円)だった。
何かとお金がかかる年末に数百ドルの出費は痛い。筆者は迷ったが、今月はほかのエンタメは諦め、清水の舞台から飛び降りる気持ちでエ〜イと「購入」ボタンをクリックした。
アメリカのコンサート料金について
大物ミュージシャンのコンサート入場料は軒並み高い。ちなみにニューヨークのマディソンスクエアガーデンで毎月コンサートをしている74歳のビリー・ジョエル(この定期ライブは来年7月に終演予定)の料金は、最前列が822ドル前後(約11万7000円。これより安い時期もある)。
豪華絢爛なステージ、特別ゲストも
ステージは豪華絢爛の一言に尽きるものだった。相当な額がかかっているだろうステージで、サーカス的なスペクタクル色が強い構成、ステージセットデザイン、ストーリー性ある演出、照明、サイネージにも拘りが見え、かなり見応えがあった。また特別ゲストとして、新たな恋人とされる29歳のボクシングのコーチ、ジョシュ・ポッパー氏(初日)がステージに登場してマドンナとの仲睦まじい様子を見せたり、娘のマーシー・ジェームズさん(17歳)とエステアさん(11歳)も登場してそれぞれ得意のピアノやダンスを披露したりした。
所々で入るMCタイムで、マドンナはこう言った。「私が生きているのは奇跡です」。
ビール瓶のような形態のドリンクを豪快に飲みながらリラックスした様子で「誰もこんなところに自分が到達するなんて考えもしなかった。すんげ〜なげ〜(Fワードの)40年にわたって応援してくれてありがとね!」。このお礼を直接ファンに届けたかったようだ。
またニューヨークは自分にとって特別な場所であり、自分がどこから来たかを忘れないこと(原点回帰)が大切だと言った。マドンナは大学をドロップアウトした後、19歳でデトロイトからニューヨークに移住している。ここはいわば彼女のキャリアの原点と言える場所だ。「ニューヨークで頑張っていたあの頃は、私にとって最高の時間だった」と若き頃を振り返った。
話は危うい世界情勢にまで及び「本当にクレイジーなことがたくさん起こっていて世知辛いわよね」「でもね、まずは隣の人に親切にすることから始めよう。そこから何かが変わるんじゃないかな」。
終演、深夜1時!
コンサートが終わったのは初日は午前1時、2日目も午前0時30分過ぎ(アンコールなし!)。翌日も平日だから、会社員であれば半休を取った人も多かっただろう(!!)。
マドンナ世代は、コンサートが真夜中に終演しヘトヘトだった。だがファンの興奮は冷めやらず、終演後も会場前ではパーティーが続いた。
実際、ファンの中にはこれほどの高額料金であれほど待たされたとお冠な人もいた。前列エリアで見ていた観客はあまり満足できなかったと不満を漏らした。「踊りがキビキビしていない感じだったし、2時間半も待たされイライラした。自分たちだけかと思ったら、SNSでもブーイングが起きていたのでやっぱりという気持ち」。
一方で「これまでで最高のライブだった」「あんな高いヒール履いて転倒しないだけリスペクト。65歳にしてはダンスもすごいっ!」という声も聞こえた。
私は、マドンナがしていた左膝のサポーターを見逃さなかった。長めの黒サポーターで膝をプロテクトしながら、マドンナはヒールを履いて歌い踊った。おそらく痛みに堪えながらで、身体はクタクタのはず。しかしさすがプロ、まったくそうは見えなかったし、めちゃくちゃかっこよかった。鍛え抜かれた美脚をむきだし、思い出の曲を熱唱しながら、颯爽と不死身の女王の姿を見る者に焼き付けたのだった。それは彼女の生き様そのものだった。
(Text and photos by Kasumi Abe)無断転載禁止