元阪神タイガースの森田一成さん “縁”と“恩”に感謝のセカンドステージ
2014年秋、阪神を退団すると同時に現役を引退した森田一成さん(28)が、ことし2月に地元・岡山市南区で野球教室を開設。少し時間はかかったものの、また野球に戻ってきました。ここへ至るまで、お世話になった方は数知れず、今なお支えてもらっていると言います。それはすべて“ご縁”によるものだと。一番好きな野球で恩返しをしていく、ここからがセカンドステージの始まりなのでしょう。
※2014年11月、合同トライアウトで放った最後のホームランは忘れられません。そのトライアウト当日の朝に出した記事は、こちらからご覧いただけます。→<レフトスタンドへ夢を運んでくれた森田一成選手 その続きは…>
引退後に戻った岡山で、様々な人と会って進路を模索していた時のこと。「森田です」と挨拶をしても、相手からは単に「はあ」と返ってくるだけでした。しかし、ある日「元阪神タイガースの森田です」と自己紹介してみたら「ああ!知っていますよ」という反応。もしかして、ここから広がる?…と感じた瞬間だったかもしれません。ラーメン屋さんでアルバイトする日々なども経て「ちょっと遠回りしたけど、やっぱり野球しかないな」という結論に達しました。
やっとその気になったか!と歓迎された決意
そこで「野球教室をやりたいって気持ちを伝えたら、友だちが『やっとか!』と言ったんですよ。賛成してくれるかどうかも不安だったのに『やっとか』って。その反応にこっちが驚いたくらい」と振り返ります。周りの人たちは、本人が言い出すのを待っていらっしゃったんですね。
教室を開くにあたり幼なじみや高校のチームメイトが、倉庫を練習場にするところから手伝ってくれて、始まってからはコーチという肩書で子どもたちの指導をしているのも、もちろん無償。ある同級生は「完全ボランティアですよ。仕事終わりや、空いている時間に来ています」と話していました。
約半年の準備期間を経て、ことし2月にオープンした『Links(リンクス)野球教室』。森田さんが大切にしている“縁”を表す英単語がなかったので、つながりという意味もあるリンクを選んだそうです。「実際にここで知り合って友だちになった子もいますよ。そうやって、つながりが広がる出会いの場所になればいいな」
レッスンは1コマ50分で週1回、17時から22時くらいまでやっています。ほとんどが小学生と中学生で「小学生は明るく楽しく、まず野球を好きになってもらわんといけんから。中学生には怒ることもありますよ」と森田塾長は言います。私がお邪魔した15日は、森田さんが現役の頃からとても可愛がっていた阪神・原口文仁選手が教室を訪れたため、普段より多くの生徒さんやご家族大集合でした。でも普段は1回につき3人までで、じっくりみっちりの指導だそうです。
「まず挨拶と返事はしっかりと」がモットーで、この日は普段と様子が違って落ち着かない様子の子どもたちにも、きちんと挨拶ができるまで顔を見て待つ森田さん。「人見知りの子もいて最初は小さな声しか出ないけど、2~3か月も経てばみんな大きな声になる」。なお原口選手には1人ずつ、全員に自己紹介をさせていました。
“男は黙って”の平林社長に感謝
友人だけでなく、その友人を通じてお世話になった方もいらっしゃいます。平林金属株式会社の代表取締役社長で、同じくソフトボール部のGMでもある平林実さんが、まさにその方。15日も駆けつけてくださっていたので、お話を伺いました。
「高校野球でも彼は岡山のヒーロー。チームメイトだった川邉くんがうちの野球部にいて、引退して岡山に戻ってきた森田くんが野球教室を開きたいという話を聞いたんです。それで、うちの球場で使っていた防球ネットとかゴムマットとか、お古でいいならと提供しました。新品じゃないけど有効活用してもらえたらね。彼の第二の人生を応援したいと思って」
ここまでの経緯だけでなく「礼儀やマナーはよく心得ていますし、ほがらかな性格なので、みんなが協力しようと思うんでしょう。同級生たちが手伝ってくれるところに、彼の人柄が表れていますね。そこが強みでもある」と嬉しい分析。そして「今ここに来ている小学生、高校生がそれぞれ高校へ進んで、そのプレーを見るという第二段階が来ます。何年かしたら“熱い夏”になるんじゃないかな。教え子同士の対決とかね。そこにまた充実感があるでしょう」と、そう遠くない将来の楽しみも口にされました。
サラリと、ただ「使わなくなった用具を提供しただけ」とおっしゃる平林社長ですが、とんでもない!と森田さん。「(川邉)郁也に頼んで社長を紹介してもらって、そこから一気に事が運んだ。話を聞いた社長が『よっしゃ!ほんならオレが』と人を呼んでくれたからです」。地元の新聞社やテレビ局、広告代理店、飲食店など様々な職種の方々を集めて食事会をしてくださり、そこで会った皆さんのおかげで仕事も増えたと言います。
さらに「社長はほんとに人望も人脈もすごい!教室の施設を探している時も、見に行ったら先に社長が人を介して頼んでくれていたみたいで、ああ聞いていますよっていうこともあったし。でも、それを絶対に言わないんです。そういう人」と力を込めて語る森田さんの言葉に、平林社長の器の大きさが伝わりました。いい方と会えて、つないでくれた川邉さんにも感謝ですね。
お昼寝が大好きだった中学時代
その川邉郁也さんは関西高校野球部OBで、中学も高校も同じです。15日にお会いできたので、昔話を少し。中学時代の森田さんのイメージを尋ねたら「お昼寝」と返ってきました。お、お昼寝?「はい(笑)。僕の家が学校に近かったので、朝はうちに来てからみんなで登校して、帰りもいったん寄って。その時、うちでよく昼寝していたので」。へえ~遊んだりじゃなくて?「そうですね。外で遊ぶより昼寝。昼寝が大好き!おなかが空いたら、はなまるか吉野家へ」。思い出し笑いが伴うエピソードです。
プロに入ってからは?「全然変わらないですね。ずっとあんな感じです。マイペースで、のんびりやさん。マイペースと言っても、嫌ではないんです。いいマイペース。自己中じゃないから」
そんな川邉さんは、高校野球の記録保持者。彼らが3年の春、2007年の選抜大会で川邉投手は完封勝利を挙げ、この時の77球というのが“選抜高校野球にあける最少球数での9回完封勝利”だそうです。これはいまだに破られていません。ところが川邉さんに感想を聞いても「うーん、あんまりピッチャーしていないので…。サードだったから」という答え。確かに背番号も5でしたもんね。
僕たちがやりたかったことを彼がやってくれた
やはり同い年の高月康宏さんは、中学時代のヤングリーグで森田さんとはライバルチームの4番同士。「仲良くはないけど互いに意識をする関係」だったそうです。中学卒業に際し「同じチームになったら絶対強くなる」と確信した高月さんは、自身が進学を決めていた関西高校に“勧誘”。「来て、と伝えました。間接的に(笑)」。その後2人は同じクラスと野球部で3年間を過ごし、高月さんいわく「一成は僕のことがメッチャ好きですよ。今もそう」なんですって。
2007年の高校生ドラフト当日、高月さんが「自分のうちにあった唯一のプロ野球グッズが阪神のハッピで。他にないから、とりあえず学校へ持っていったら…」。本当に阪神から指名を受けたと?「はい!あの時、新聞に出ていた写真で一成の着ているのが、うちのハッピです」。また野球教室を始めてみて「わかったのは子どもが好きだということ。面倒見がいいし。向いていると思いました」という高月さん。そのあと、こんな話が続きます。
「一成だからできたことです。阪神タイガースに入って、1軍の試合にも出て、インパクトも十分。それに、あの求心力と指導力も持っている。僕たちがやりたかったことを、彼がやってくれました。野球をしていた人なら、みんながやりたいと思っているんですよ。子どもたちに野球を教えてあげたいって。絶対そんな気持ちがあるはず。でも僕らだけではできないことだった」
そして「僕らの年代の、岡山県ナンバーワンなんです。一成は」と締めくくてくれました。ええ話ですねえと言ったら「ま、僕がいたから彼は一番になれたわけですけどね」と補足する、笑いにも貪欲な高月さん。「Linksの夢は岡山の高校出身のプロ野球選手、というより岡山県人を増やすこと。僕の夢は、息子をLinksに入れることです!」と張り切ってくれましたが、今のところは娘さんが1人だそうです。頑張ってください。
「特別じゃない。友だちだから普通のこと」
もう1人、ファイターズ岡山のチームメイトだった石原浩之さんには会えなかったのですが、森田さんから「平林社長と石原は一番世話になったから」と聞いていたので、後ほど電話をさせていただきました。学校は違ったけれど小学生の頃からの幼なじみ、“いっしん”こと石原さんは岡山城東高校から明治学院大学へ進み、大学では副主将を務めています。ちなみに慶応義塾大学の受験で知り合った伊藤隼太選手と、以降も付き合いは継続。阪神入団が決まった時も、森田さんはまず石原さん経由で話をしたそうです。これまた不思議な縁ですね。
さて「引退後に帰ってきて、何をしようかといろいろ考えていたようです」と石原さん。野球教室をやりたいと聞いて、お友だちは「やっとか!」という反応だったみたいで。「はい。それと同時に僕は、よかったなと思いました。野球にかかわる仕事をやったらいいのに、というか、やってほしいと思っていたので。だから、ちょっとホッとしましたね」
決めてから石原さんは、お金のことなど相談に乗ったり教えたりしていたとか。「いやまあ教えるというより、一緒にやっていただけですよ。僕はもと銀行員だったから、わかることもあるので」。今お勤めの会社で教室を宣伝してくれたんですよね?と言っても「たまたま、お子さんが野球をされていたので声をかけただけで。あとは一成の人柄です」と謙遜続きの石原さんです。
しかし!やはり森田さんの話は違います。「ほんとにもう、一からやってくれました。銀行へお金を借りに行く時も、不動産屋へいく時も、あと桜井(広大)さんがやっている野球教室を見せてもらいに行く時も、全部ついて行ってくれた。仕事が忙しいのに。でも平林社長と同じで、そういうのを言わないんです。すごいヤツでしょう?」
でも石原さんは「普通ですよ。友だちだから普通のこと。友だちが困った時は助けるでしょう?何も特別なことはしていませんし…」と。これぞ男気!カッコイイですよねえ。保険関係の仕事をされているため夜も忙しく「教室はなかなか覗けていないんですけど、安心して任せています」と石原さん。森田さんに望むことは何ですか?と聞いたら「長くやってほしい。それだけです。続けていけば、きっといいことがある」という言葉が返ってきました。
週1回の教室が楽しみな子どもたち
では、ここで教室にお子さんを通わせていらっしゃる3組のご家族に伺ったお話をご紹介しましょう。まず鳥山貴史さん、菜穂さんご夫妻と小学6年の晋(しん)くん、小学4年の桂(けい)くん兄弟。お父さんが「ファイターズ岡山で森田さんとともにクリーンアップを打っていた石原さんが会社の後輩で、そこに森田さんが教室の宣伝を兼ねて来られたんです。それでソフトボールをやっている息子たちを入会させようと思って」と経緯を教えてくださいました。
どんなコーチですか?「怒らないですね。上手にほめて教えてくれる。森田さんの言うことはよく聞きます。あいさつや声出しの指導もきちんとしてもらっているようで」。お母さんも「毎週、楽しんでいます!」とニコニコ。お兄ちゃんのレッスンがまだ続いていたので、弟の桂くんに聞いてみました。森田さんは怖い?「ううん」。優しい?「うん」。おもしろい?「うん」。実はおなかが空きすぎて、会話する気力もなかったみたいです(笑)。ごめんね。ありがとう。
続いて若林和也さん、加奈子さん、そして小学6年の海旺(まお)くん。若林さんは高月コーチと同じ会社で「教室をやると聞いて、ぜひ」と入会されたとのこと。お父さんに伺いました。息子さんはどうですか?「毎週金曜日を、すごく楽しみにしています」。効果は?「めちゃくちゃ伸びました!打力が全然違っています。僕の言うことは聞かなくていいから、森田さんの言うことだけしっかり聞くように!と言っているんです。厳しいこともあるけど、でも本当に楽しんで帰ってきますね」
原口選手の特別レッスンを受けて
レッスンの最後で原口選手から個別に何かを教わっていた、大人の方と中学生の男子にも少しだけ話を聞いています。まず2日前に体験入会し、この日が初レッスンだった中学3年の井上幹太くん。他にも中学3年の子がいて、彼は木のバットで打っていたような。さすがに中3ともなると振りや打球音が違いますね。ちなみに井上くんはクラブチームでキャッチャーをしているそうです。
「タイガースファンなので、原口選手のことはよく見ていました。1軍での活躍、すごいなと思って。魅力は長打力、ホームランだと思います」と目をキラキラ。どんな話をしていたの?「基本的なことを大事にしているという話です。一番気をつけないといけないことを教えてもらいました。すごく嬉しいです!」
もうおひとりは、教室の最年長である森宗(もりそう)さん、69歳。他に40代の方も1人おられると聞きました。森宗さんはソフトボールのシニアチームに所属して、キャッチャーをされているとか。通い始めて3ヶ月、この日は原口選手と話をして「キャッチャーとして迷っていることがあって。聞いたことを参考に、生かしていきたい」とおっしゃいました。いいタイミングだったわけですね。
終了時間が迫っている中、原口選手の方も熱心に何かを伝えていましたよ。さすが「野球教室にはいつも全力!常に真剣です。だって、その子にとっては一生に一度かもしれないから」といつも言っている原口選手ならでは。まさに『一期一会』の精神です。
今は支えられっぱなしだけど…
最後にもう一度、森田一成さんの言葉で締めくくりましょう。
「岡山の子どもたちに伝えたかった。甲子園に3回出て、プロではあまり1軍の試合に出ていないけど、それでもプロはいいよって言いたかったんです。すごく厳しい世界だけど、やっぱりプロ野球はええぞ!と。そう伝えたくて始めた」という野球教室。この日はコメントをご紹介した方々だけでなく、中学時代のヤングリーグ・ファイターズ岡山で一緒だった三吉真弘さん、幼なじみの中嶋優斗さんも駆けつけています。
「優斗なんか倉敷から来てくれた。小5で知り合ったけど、中学も高校も学校は違うし。高校は岡山理大付属で、あいつピッチャーで甲子園にも出てる。関西とはライバル。大阪桐蔭と履正社みたいなもの。なのになぜか仲いいんですよ、ずっと。何かあると来てくれる」。ところで三吉さんは?「あいつはいい。いつも来ないから(笑)」。とはいえ、寒い中で2人ともしっかりお手伝いしてくれていましたよ。
「今までやってきた野球で何かやれたらと思って始めたけど、してもらってばっかり。それを返そうとしたら、またしてもらって…。支えられっぱなしで情けないでしょう?俺、なんにもしてないのに」
今、こうやって教室を運営できているのは「タカギスポーツ、平林社長、いっしんのおかげ」という森田さん。岡山の野球専門店・タカギスポーツの高木光一さんには「俺の師匠。野球を続けられたのも、阪神に入れたのも。今の自分があるのは高木さんのおかげ」と感謝の言葉を繰り返します。残念ながら亡くなられましたが、タカギスポーツには今もお世話になっているとのこと。
「とんねるずみたい。“皆さんのおかげ”ですよね」と笑いながら「隼太もフミも来てくれたし。本当に、ご縁がすべて」と、もと同僚の気遣いにも笑顔がこぼれます。
「今回も、子どもだけじゃなく大人もみんな喜んで、目を輝かせて帰ってくれた。すごく嬉しい。また感謝です。“元プロ”でよかったなあと思いました。1つくらいは返せたかな」
<掲載写真は筆者撮影>