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若手研究者に伝えたい。労働調査者は売れっ子だと。【梅崎修×倉重公太朗】(第1回)

倉重公太朗弁護士(KKM法律事務所代表)

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企業を取り巻く環境はめまぐるしく変化する中で、働く人の意識や働き方はどう変わっているのでしょうか? その現実をすくいとるには、統計分析や聞き取りによる労働調査が有効です。今回は知られざる労働調査の舞台裏について、ご著書の『日本のキャリア形成と労使関係』が2022年度日本労務学会賞 学術賞、労使関係図書優秀賞を受賞した労働経済学者の梅崎修先生に詳しく伺いました。

<ポイント>

・労働調査者は絶滅危惧種になっている?

・抜本的なアイデアは調査の中からつくられる

・激動の時代こそ社会の変化を概念化する

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■労働調査の種類

倉重:きょうは法政大学の梅崎先生に来ていただいています。どうぞよろしくお願いします。恐縮ですけれども自己紹介を簡単に頂けますでしょうか?

梅崎:僕は労働経済学という分野を専攻していまして、狭い意味では経済学者です。

経済学の中で聞き取り調査をするという、労働経済学の中でも少し変わっている領域だと思います。

倉重:労働調査ですね。

梅崎:僕が大学院に入る前に、小池和男先生や、僕の師匠である猪木武徳先生が精力的に職場の調査を続けておられたのです。彼らに憧れて大学院に進み、猪木先生のもとで学びました。

倉重:在学中からアカデミックの世界へ行こうと思っていたのですか?

梅崎:そうです。大学院で労働調査を始めて、修論まで聞き取り調査でどんどん書いていこうと思ったのですが、意外と論文が生産できないのです。ストレートで来ているから企業で働いた経験もありません。

兄弟子に会社を紹介してもらって2社インタビューして、ようやく修論を書きましたけれども、それからもう1社に行くまでに結構「ため」の時期がありました。

周りの優秀な方はどんどん論文を生産していきます。私は聞き取り調査と一緒にアンケート調査もするようになって、結果的には統計分析とインタビュー調査の二刀流になりました。

倉重:人事労務管理の研究者の方は経営学の方が多いイメージでしたけれども、立ち位置的には経済学部ですよね。

梅崎:細かく言うと、日本では社会政策学などの学問の分野に、制度派経済学という人たちがいます。例えば「内部労働市場」という言葉をつくったドリンジャー (P.B.Doeringer) とピオリ (M.J.Piore)は、もともとアメリカの経済学者で制度のことをネチネチインタビューする学問集団から出ています。そういう調査系の学者は、アメリカでも日本でもだんだん少なくなってきているのです。

倉重:最近、アメリカでも労働調査はあまりないのですか。

梅崎:キャペリやオスターマンなどのネームバリューのある人はいますけれども、やはり海外の大学に行くと統計分析が多いような気がします。

倉重:統計分析が世界的な主流になっていっているのですね。

梅崎:そうです。労働調査者は絶滅危惧種になりつつありますが、実は結構需要があって、一人親方ですが、調査屋はもうかりますよ(笑)。今後は、若者をこの分野にスカウトすために、そういう真実を伝える必要があるかもしれません(笑)。

厚生労働省の委員会やJILPTのような研究所でもアンケート調査を実施していますが、この質問項目づくりだって聞き取り調査の経験を活かしていると思います。事例から考えることは、後々絶対に必要になるので、労働調査がなくなることはありません。

また、雇用問題は次々と新しいことが起こるので、トピックスとして「これは一体どうなっているのだ、現場に行って聞いて来い。」という需要も出てくるわけです。調査の依頼は来るけれども、学部の学生さんには、まだ見えない世界なのかもしれません。

私が学生の時は、私の主観的世界ですが、労働調査のブームがあり、頭でっかちに考えずにとにかく現場に行くのだという風潮がありました。皆さんが知っているお名前を出すと、佐藤博樹先生や今野浩一郎先生という方々がバリバリ調査をしていましたので、刺激を受けました。先生方は調査者を育てられましたね。今は僕らが後継を育てていかねば。

倉重:先生は今おいくつですか?

梅崎:51歳です。

倉重:その下の世代の育成が課題ということですね。

梅崎:上の世代が同じやり方をしていても駄目だったという問題はあると思います。細かい話になりますけれども、論文を書こうとしたら統計分析のほうが教えやすいのです。現場に行って聞き取り調査をしても、報告書は書けても論文にまとめるのは難しい。また、企業で働いた経験がなく、ストレートで研究者になろうという人には、まず、企業にアポイントメントとるだけでも難易度が高いでしょうね。

倉重:定性的なものの評価の仕組みが難しいのでしょうか。

梅崎:例えば仮説検証型の統計分析であれば、概念に基づき、質問項目をきちんと作るという方法が確立され、手続きもはっきりしています。ですが「企業にインタビューに行って、そこから何かを見いだす」というのは難しいと思います。

倉重:インタビューは情報が膨大過ぎるとご著書にも書いてありますね。

梅崎:例えば、この前の岸田首相の発表でも、いきなり職務給へという話が出ていましたが、「この文脈で使っている職務給はどういう意味の職務給か」をきちんと掘り下げなければいけません。使っている言葉と、調査をしている実態の距離感を取るのが聞き取り調査のコツです。私も調査を始めた頃には、文脈のようなものがなかなか掴めませんでした。そのまま鵜吞みにしてしまうのですね。

経験を重ねるうちにだんだんと、「この人が言っていることは、このような意味だ、実態はこのあたりだ」と分かってきます。人事用語の文脈性を理解した上で使いこなせるようになるのは時間がかかるのです。教育でいえば、調査屋になるための「ため」の時期ですね。

倉重:経験が必要な職人の世界ですね。

梅崎:他の研究も全部職人の世界ですけれども、特に聴き取りは手法がはっきりしていないから学び方が分からなくて、だんだん調査者が少なくなってきている感じがします。

倉重:梅崎先生の調査は、単にデータを見るだけではなく、そこで働く人の気持ちの部分まで踏み込まれているのが特徴だと思います。

梅崎:そこが、私が調査に惹かれる理由でもあります。昔の経済学者の氏原正治郎さんは、とにかくこまめに現場に行って調べるという、地べたはいつくばるような調査を行って報告書をたくさん出したわけです。これは、世界的に見ても特異な達成です。

倉重:今現場で何が起きているかを知り、そこから何かを抽出するというようなイメージですね。

梅崎:労働調査というのは、内部労働市場の新しい理論を先駆けてつくってきたという歴史があります。素晴らしい労働調査をよくよく見てみると、その後の理論研究や統計分析にも影響を与えています。調査から画期的な概念をつくるということができたからです。

倉重:激動の時代こそ、社会の変化を概念化・言語化することが必要ですよね。

梅崎:そもそも社会調査が増える時期があるのです。第1期に増えた時は関東大震災の後ぐらいで、工業化や都市化が進みました。そうすると、今まででの社会認識の枠組みでは定義できない集団が出てくると、「あの人たちは何なの?」という疑問が出てくるわけです。

社会というのも非常に抽象的な言い方ですけれども、新しい人のかたまりが出てきたときに、「そのかたまりを名付けてみよう」といったことが起こります。概念先行ではなくて人のかたまりが先行で、調査して名付けていったのが第1期調査ブームですよね。

 第2期調査ブームは、戦後の1950年代です。都市で働いている人の中には、転職を繰り返すキャリアの人たちが中心だと思われていたのに、あれ、大企業に定着している人たちがいるような、という発見があるのです。これは、調査せねばなりません。

倉重:終身雇用という言葉もない時代に、定着する現象が起こっていたと。

梅崎:昔はマルクス経済学の影響もあるから「労働者の熟練は解体し、どんどん単純労働をさせられるようになる。その人たちは革命を起こすしかない」という理論先行の発想になることが多い。しかし、よくよく見てみると、大企業の工場労働者に新しい熟練はあるし、定着もしているという傾向が浮かび上がってきました。

その企業内のかたまりを最初に捉えたのはアメリカの制度派経済学の人たちです。日本でも東大社研にいた氏原正治郎さんが「企業封鎖的労働市場」と名付けました。労働調査が発見したわけです。

倉重:そういった発見からまたいろいろな研究につながっていくわけですね。

梅崎:つながっていきます。発見した後は、それを分析する仕組みがどんどん出てくるし、育成はどうなるか、評価はどうなっているのかと細分化されていきます。その辺になってくると小さな発見の繰り返しですよね。30年に1回ぐらい大きな労働調査を打ち上げないと、調査屋みんなが食べていけなくなります(笑)。

倉重:そういう意味では今もすごく新しいグルーブのようなものが生まれている時期ではないですか。派遣やアプリを通じたその場限りの働き方の拡大もそうですし、ギグワーカーのような人たちやフリーランスなど、雇用によらない働き方が広がっているという意味でかなりモザイク化していますよね。

梅崎:はやり言葉のようにたくさん出てきますが、概念が芯を食う必要性があるわけです。2年後には使われない言葉ではなく、「今までとは違う労働者群だ」というのを調査から明らかにして、抽象的な概念で分かりやすく伝えてみる試みが必要です。

倉重:それは直感で見つけるのですか?

梅崎:多分、膨大な調査の中から浮かび上がってくるものだと思います。

倉重:「こうではないか」と仮説を立てて探しにいくのではないのですね。

梅崎:そこは結構難しい問題だと思います。なぜ私が調査にこだわっているのかというと、「調査の自律性」があるからです。つまり普通は大きな理論(全体理論)があって、そこから部分的な理論につながります。部分的な理論を検証するために調査があるというのが、仮説検証型調査の流れです。でも、演繹的推論から落とし込んでいるわけですから、最初の仮定が間違っていたら全部違ってしまいます。

私も全体理論を意識はしますが、調査というのは、勝手に動いて、勝手に仮説が生まれることがあるのです。

けれども、芸術作品のように現場に行ってひらめくということはありません。帰納的推論、もしくはアブダクションという遡及推論よって仮説が構築されるわけです。

 昔の人たちは今と全然違ってマルクスの影響かすごく強かったので、マルクス経済学の理論から落とし込まれた仮説が多い。でも、調査は、理論から少し自由に動けるわけです。この「少し」というさじ加減が重要でして完全な自由ではないです。全体理論を意識しつつ、自律性を確保する。

「マルクスではなくてパーソンズだよね、もしくは主流派経済学だよね」と言ったら、全体理論から全体理論に移っているだけなので、理論先行であることには変わりはありません。

 全ての理論はもちろん大事ですけれども、私は「調査の中で生まれる言葉があるかもしれない」と夢想しながら調査をしています。理論と調査は緊張関係があるということです。

倉重:ニワトリと卵のようなものかもしれないですね。

まさに今の時代に日本型雇用が変わっているのか。どう変わっていくのかというのは、すごく重要な話ではないですか。絶対に若い人を育てなければ駄目ですよね。

梅崎:演繹的推論だけならば、理論家が一番偉くて、調査屋が「足で稼いで証明します」ということになります。しかし、調査屋が内部労働市場という言葉をつくって、「この概念を考えたので、君らは後工程として理論的に精緻に考えてくれたまえ」と言うこともできるのです。

倉重:むしろ最上流ですよね。

梅崎:抜本的なアイデアは調査の中からつくられると思っています。後で精緻化というプロセスがあるけれども、そこはあまり調査センスがない人たちがやればいいのです(笑)。

倉重:最上流の調査屋が一番センスのある人でないと、後工程が全部無駄になってしまいますね。

梅崎:本来、調査から理論をつくるのはクリエイティブな人でないと駄目なのです。賢いだけの人には「君には無理だから下流に行ってください」というのは僕の心の声です。けれども、今の調査の人たちは数式が出るとビビるような気がしますね。

倉重:梅崎先生のように両方できる人は少ないですか。

梅崎:私も、主流派経済学がメッカの阪大大学院で学びましたが、数式がたくさん出たら分かりません。でも「分からなくてもいいじゃん」という開き直って、得意な人に任せればいいという気持ちでやっていますよ。学問は分業ですから。私は、理論家を見つけたら、むしろガンガン質問していくようにしています。

倉重:今はすごく不確実な時代なので、労働調査は羅針盤のような存在になり得るのではないかと思いました。

ご著書の『日本のキャリア形成と労使関係』は2022年度日本労務学会賞 学術賞、労使関係図書優秀賞を受賞していますよね。サブタイトルが「調査の労働経済学」と付けられているのでかなり思いを込められたのだと思います。

梅崎:むしろ副題のほうに思いを込めています。調査屋が理論をつくって研究史を塗り替えるとうことは、もちろん私が始めたことではありません。例えば、80年代から90年代半ばまで、小池和男先生の「知的熟練論」が非常に強い影響力を持っていました。その後、日本の景気が後退していった後に、「知的熟練論では全部説明できない」ということになります。反論できる証拠はたくさんあるんです。でも、じゃあ、別の理論体系で説明できるかというと、できないでしょうね。

 この本では「内破する」という言葉を使っていますけれども、理論体系自体をもう一回書き換えたいんですよね。ほんと難しく、この本でも志半ばなのですが。

倉重:時代に合わせてアップデートしていくということですよね。

梅崎:私の限られた能力では、かなり難しいことだけれども、そこに挑戦したいと思いました。小池理論がすごく力を持ったのは、「日本の製造業の強さを理解することは、日本経済の強さを解明すること」という部分でしたが、いまはそれだけじゃない。

倉重:日本経済の発展の歴史と労働調査の歴史がちょうどリンクしていたのですね。

梅崎:どうしても知的熟練論というのはブルーカラーの職場における技能の競争力の源泉を探るという建付けになっています。90年代になると、そのフレームワークと調査項目のまま、ホワイトカラーに突入していくわけです。

倉重:全く同じものをホワイトカラーに当てはめたのですか。

梅崎:もちろん、調査仕様は変わりますが、大きなフレームワークを維持しながら小池先生は調査していたと思いますし、実は私も、修士論文はそれで書きました。調査史を眺めれば、最初はスーパーの店員など、ホワイトカラーの中でもある種の定常的な作業がある仕事が調査対象に取り上げられました。仕事を反復しながら時々不確実性に対応しているという知的熟練が職場の生産性だと思われていました。しかし、ホワイトカラーの本丸である人事や営業の仕事になってくると、基本的に不確実性への対応だけでは説明ができません。いま一つ、ホワイトカラーの仕事はよく分からないという課題がありました。

倉重:外側から見るだけではパソコンの前に座っているだけに見えてしまいます。

梅崎:そうすると、ブルーカラーの時に分かっていたことが分からなくなってきます。「決定的にこの熟練が重要だ」ということが見えなくなったわけです。

熟練論の問題というのは、本人が「俺はこんなに成長してこんな能力を身に付けた」と言っても、客観的な指標がないと、とんでもないうぬぼれ屋さんの可能性も捨てきれない(笑)。

すごく厳密な実証主義の立場を取ると、「この人がこう動いている」「あの人にはできない行動をしたから、この人は絶対的に優秀なのだ」ということを、測定指標としてつかまえる必要があります。

ブルーカラーでは測定指標をつかまえられたけれどもホワイトカラーではそれを見つけられない。でも私は、その指標化の「限界ライン」を拡張したわけです。「ホワイトカラーで聞けないから諦めるのか。いや、ある程度まで聞けるはず」という調査の深さのようなものを限界まで追求しています。

(つづく)

対談協力:梅崎 修(うめざき おさむ)氏(法政大学キャリアデザイン学部教授)

 1970年生まれ。大阪大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学博士)。2002年から法政大学キャリアデザイン学部に在職。約25年間、数々の人材マネジメントと職業キャリア形成の調査・研究を行う。リクルートワークス研究所の機関誌『Works』では、人事担当者向けの対談記事『人事のアカデミア』を担当。また、マンガや映画といった文化的コンテンツを使った新しいキャリア論を一般読者に向けて発信し続けている。主な著作として『仕事マンガ!-52作品から学ぶキャリアデザイン』(ナカニシヤ出版)、共著『「仕事映画」に学ぶキャリアデザイン』(有斐閣)単著『日本のキャリア形成と労使関係―調査の労働経済学』(慶應義塾大学出版会)。

弁護士(KKM法律事務所代表)

慶應義塾大学経済学部卒 KKM法律事務所代表弁護士 第一東京弁護士会労働法制委員会副委員長、同基礎研究部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)副理事長 経営者側労働法を得意とし、週刊東洋経済「法務部員が選ぶ弁護士ランキング」 人事労務部門第1位 紛争案件対応の他、団体交渉、労災対応、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。 YouTubeも配信中:https://www.youtube.com/@KKMLawOffice

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