オジュウチョウサンに敗れた“グッドルーザー”がレース中の駆け引きを語る
バンケットの上手い馬
「対オジュウチョウサンというのは当然、考えました」
そう語るのは西谷誠。1976年生まれで45歳のベテランは、16日に行われた中山グランドジャンプ(J・GⅠ)でブラゾンダムール(牡7歳、栗東・松永幹夫厩舎)の手綱を取った。
ゲートが開くといきなり躓いた。9頭立ての最後方からレースを進める事になった。
「少頭数なので下手に出して行って掛かるのは嫌でした。だからレース前、幹夫先生に『折り合い重視でゆっくり行きたい』と伝えたら『それで良いと思う』と言っていただけました。だから序盤で後ろになったのは問題ありませんでした」
最初のスタンド前を最後方で駆け抜けて第1コーナーに。ここでインから1頭かわして最初のバンケットを下って上った。
「ブレーキを全くかけずに下り、すいつくように上る。バンケットは抜群に上手い馬です」
最初の向こう正面では外へ出す。2度目のバンケットを抜けると大竹柵が待っている。
「オジュウチョウサンだけでなく、ケンホファヴァルトとの距離も考えて乗っていました。ビレッジイーグルが楽に逃げると嫌だったけど、すぐ後ろにオジュウチョウサンがいたので『そこは大丈夫かな?』と思い直しました」
襷コースで内外が逆になり、インコースに入ったブラゾンダムールだが、大竹柵を飛び終え、第4コーナーを逆回りに通過する時には再び大外へ出した。
「平場の時からですが、この馬は馬群に入れると掛かってしまうんです。だから入れないようにしたのと同時に、見た目以上に湿った馬場だったので、少しでも良いところを走らせました」
状態が良いのであえて下げた
逆回りの向こう正面で3度目のバンケットを下る。鞍上が言うようにバンケットが得意なパートナーは、坂を上るともう3番手。2番手のオジュウチョウサンのすぐ後ろまで上がっていた。
「常に前との距離を測りながら乗っていたのですが、調子が良いので、すぐに上がって行ってしまいました」
前々走の中山大障害(J・GⅠ)を2着した後、放牧に出されていた。そして、前走のペガサスジャンプS前に帰厩したブラゾンダムールに跨った西谷は感じた。
「平場時代に乗ったノリさん(横山典弘騎手)が『真っ直ぐ走れば共同通信杯を勝てたかも……』というくらい真っ直ぐ走らない馬だったのに、放牧先で丁寧に乗られたようで、ペガサスの前はモタれもササりもせずに走りました。同時に折り合いもつくようになったので、予定通りの時計で追えるようになりました」
こうしてペガサスジャンプSを2着すると、その後の調教では「明らかに一段と良くなった」と感じた。
「状態が良い分、カッとなりそうな雰囲気もあったので、1度、下げようと判断しました」
ガッチリ抑え、大いけ垣は5番手まで下げて飛越した。
一気に行く決断を下す
1~2コーナーはまたも外へ。バンケットで4番手まで再進出。向こう正面ではすぐ前にオジュウチョウサン、更に前にケンホファヴァルト、その前には逃げるビレッジイーグル。先行勢を射程圏に捉えた。
「ここまでは理想通りに運べました」
ハードル障害を越え、残り800メートル。その時、西谷の目に、オジュウチョウサンの上で手を動かす石神深一の姿が映った。
「手応えが悪く見えました。オジュウチョウサンを気にし過ぎて森一馬(ケンホファヴァルト)に残られるのも嫌だったので、一気に行く事にしました」
勝負の分かれ目に熟考している時間はない。決断を下しゴーサインを送った。すると、次の刹那、鞍下は内にいた絶対王者をパスし、更にケンホファヴァルトとビレッジイーグルを一気にかわして先頭に立った。
思えば入障初戦では「トモも良くなくて」ついて行けず、途中で止めて競走中止をした馬だった。しかし、その後、約1年ぶりに出走した中山の未勝利戦でいきなり勝ち上がった。続く東京では競走中止、小倉では大敗したが、再び中山に戻った清秋ジャンプSでは3着と善戦。直後の京都ジャンプS(J・GⅢ)で10着に敗れると、厩舎サイドと相談した結果「得意な中山に絞って走らせる」事にした。
これが的を射た。イルミネーションジャンプS5着後、中山大障害を2着。休み明けのペガサスジャンプSも2着してこの中山グランドジャンプに駒を進めた。
こうしてGⅠの最後の直線、最後の障害を先頭で飛んだ。
指揮官が言った救いのひと言
栄光まで残り1ハロン。しかし……。
「手応えがなくなったと思ったオジュウチョウサンが復活してきました」
先頭に立ったブラゾンダムールをオジュウチョウサンが外からかわしに来た。西谷の左鞭に一旦抵抗する素振りを見せたブラゾンダムールだが最後は力尽き、絶対王者から1と4分の1馬身遅れてゴールラインを通過した。
「完璧だと思ったけど、相手はやっぱりモンスターでした」
上がって来た際、前にいたオジュウチョウサンの鞍上・石神に声をかけた。
「まだ手応えあったんや?」
「そう聞くと『1度悪くなったんだけど、かわされて外へ出したらまたハミを取って伸びてくれました』と言ったので、改めて『おめでとう』と祝福しました」
レースが終われば勝者を称えられるグッドルーザーになるのが西谷の信念だった。そして、上がって来た後もすぐに下馬所には入らず、一旦、馬場でクルリとひと回転させてから下馬所へ誘うのも彼のルーティンだった。
「馬が苦しがっている場合、すぐに帰ると飛び込んで行ってしまう可能性があります。そうなれば怪我をしかねないので、必ず最後に馬場の上で回転させてから入れるようにしています」
こうして1頭になると、悔しさが込み上げてきて、ガックリと項垂れた。
そして、下馬した後、松永に謝った。
「『相手の手応えが悪いと思って、行ったんですけど、我慢すべきだったかもしれません』と謝りました」
すると、松永は次のように答えたという。
「あそこで行かずに負ければ後悔したでしょう。だから行って良かったんだよ」
西谷は言う。
「幹夫先生のその言葉がなければ夜も眠れなくなるところでした」
救ってくれた松永の優しさに応えるため「秋にはオジュウチョウサンを逆転出来るよう改めて頑張ります!!」と西谷は力強く誓った。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)