貧しかった少年時代に学んだ信義と誠実 ウッドフォード元オリンパス社長
・両親の離婚で中流から貧乏生活に転落
財テクによる巨額損失を隠していた旧経営陣の不正経理疑惑を内部告発したオリンパスのマイケル・ウッドフォード元社長(52)からインタビューするのはこれで何度目だろう。
初めは昨年10月20日。ウッドフォード氏がオリンパスの取締役会で電撃的に解任されてから1週間が経っていた。
ロンドンのオフィスに訪ねてきたウッドフォード氏はダッフルコートを脱ぎながら、「ロンドン警視庁に警護をお願いしてきた。私の手は凍り付いたままだ」と青ざめた表情を見せた。
ウッドフォード氏は疑惑の背後に「反社会組織」が絡んでいると疑っていた。暴力団に弱みを握られて脅されでもしない限り、世界を代表する光学機器メーカーの首脳がこれほど巨額であからさまな不正に手を染めるだろうかと筆者も疑ったほどだ。
オリンパス英国子会社のサラリーマンから本社の最高経営責任者(CEO)にまで登り詰めた英国人は文字通り一夜にして、英米メディアだけでなく、米連邦捜査局(FBI)、英重大不正捜査局(SFO)に内部資料を持ち込む告発者となった。
「もっと穏便に不正を処理できた」「ウッドフォード氏はやり過ぎだ」という声も漏れるが、事件の真相は、オリンパスの内部告発者、日本の総合情報誌「FACTA」、フリーの山口義正記者、そして菊川剛会長や森久志副社長らとの対決を恐れなかったウッドフォード氏がいなければ、決して明らかにされることはなかっただろう。
ウッドフォード氏がCEOという地位を捨ててまで、不正を暴こうとしたのはなぜか。その原点は氏の貧しかった生い立ちにある。
先月末にロンドンで再会したウッドフォード氏は、英語で出版した「EXPOSURE(仮訳・告発)」で初めて公表した彼自身の少年時代について語り始めた。
「人生は巡り合わせさ。すべてが一瞬にして変わる。今回、幼いころに学んだことを改めて思い知らされたよ」
ウッドフォード氏は7歳のとき、両親が離婚。それまで豊かな中流家庭で何一つ不自由ない生活を送っていたウッドフォード少年は、姉、妹とともに母に連れられ、リバプールにある母の実家に身に寄せた。3つの部屋で祖父母、大おじ、ウッドフォード氏の家族4人がそれぞれ暮らすことになった。
離婚はまだ珍しかった。
トイレは裏庭の小屋の中にあり、家に風呂もシャワーもなく、浴槽の底に赤さびがたまった公衆浴場に出かけなければならなかった。
小学校には中古のブレザーを着て行った。母の収入が低く、給食やミルク代は免除された。労働者階級が暮らす地域の中でも、ウッドフォード氏の家庭は、ずば抜けて貧しかった。
祖祖母にインド南部のタミル人の血が混じっているため、ウッドフォード氏にはアジアの面影が残る。教室では好奇の目が向けられ、ひどいいじめにあった。
こうした少年期の貧困体験がウッドフォード氏をハードワーカーに駆り立てた。
ブラックベリーを摘んで近所に売って歩いたり、クーポン券付きの菓子包み紙を拾い集めてメーカーに送って3ポンド(現在の為替レートで約400円)を手に入れたり。10歳になるころには洗車ビジネスを始め、注文を集めて回った。クリスマスに半額で仕入れたビスケットを販売して、一儲けしたこともある。
ウッドフォード氏にとってビジネスは貧困から脱する手段だった。「私は決してカネの亡者ではないが、貧困から脱した後も一生懸命働くのをやめなかった」
・私の肌の色ではなく、真実を見て下さい
9歳のとき、チューインガムを万引きしたことがあるとウッドフォード氏は打ち明けた。しかし、その夜、「泥棒をした」という罪の意識にさいなまれ、翌朝、店の陳列棚にこっそり戻しに行った。
10歳か11歳のころ、母の財布から50ペンス(同約66円)硬貨を抜き取って、好物のチョコバーを買ったことがある。気づいた母はウッドフォード氏に「もし私が自分の息子を信じられなかったら、いったい誰を信用できようか」と諭すように言った。
ウッドフォード氏は「不正を働くことは、結局は自分を欺くことだ」と学んだ。これがウッドフォード流「信義誠実」の原点だ。氏はオリンパスの欧州法人時代、2度にわたって不正を告発している。
ウッドフォード氏は昨年4月1日、海外ビジネスを成長させた実績を買われてオリンパスの欧州法人社長から本社社長に抜擢された。その夏、オリンパスの不正経理疑惑を告発したFACTA誌の記事を知ったウッドフォード氏は菊川会長や森副社長らに真相を明らかにするよう求めたが、相手にされなかった。
10月1日にCEOに昇格したが、菊川会長との対立は抜き差しならなくなり、14日の取締役会で今度は電撃解任された。ウッドフォード氏を除く取締役14人全員が菊川会長への忠誠を示すように腕を一直線に突き上げた。その中には日経新聞出身の社外取締役も含まれていた。
ウッドフォード氏は「私の肌の色ではなく、真実を見て下さい」と願った。リバプールでの小学生時代、肌の色を理由にクラスでいじめられたが、それでも味方になってくれる友達がいた。
ところが、オリンパスの取締役会はみんなが、ウッドフォード氏の告発や氏が会計事務所プライスウォーターハウスクーパース(PwC)に独自調査を依頼した報告書から目をそむけた。
PwCの報告書を読めば、不正は一目瞭然だった。
「それでも、取締役14人全員と日本の株主はだれ一人として一言も菊川会長を批判しなかった。信じられなかった。小学生時代のいじめよりも、悪質な差別だ」とウッドフォード氏は吐き捨てた。
・日本よ、いい加減に目を覚ませ
「大王製紙の創業家会長は総額55億円を不正に借りて辞任したが、私は不正を指摘して解任された」
オリンパスの株主のうち、日本の銀行や保険会社などはウッドフォード氏の社長復帰を支持しなかった。菊川会長ら旧経営陣を擁護し続けた2人の取締役が新体制になっても執行役員として残った。
菊川会長や森副社長らオリンパスの旧経営陣3人が金融商品取引法違反の罪に問われたが、菊川被告は公判で、2001年6月、社長に就任した際、簿外損失に気づき、歴代社長に公表を提案したが、「何をバカなことをいうんだ」と反対されたと証言した。
損失隠しを続けたことについては、「公表すれば会社が潰れかねない。3万人の社員や家族のことを思うとなかなか公表できなかった」と釈明した。
菊川被告の証言に対して、ウッドフォード氏は直接の言及を避けたものの、「昨年10月15日付の英紙フィナンシャル・タイムズで不正経理疑惑が発覚した時の菊川氏の対応を思い出してほしい。あの時、辞めるべきだったのだ。その代わり、彼は私と家族を押し潰そうとした。彼は自分の保身ばかりを考え、会社にしがみついたのだ」と語気を強めた。
「私を排除した日本の銀行や保険会社などの大株主は勝ったと思っているかもしれないが、世界は日本のことをバナナ共和国(でたらめな国の例え)と思っているよ。だれも日本のことを信用しない」
野田佳彦首相はフィナンシャル・タイムズ紙に寄稿し、オリンパス事件について「例外だ」と強調したが、ウッドフォード氏は首を横に振った。
オリンパスや大王製紙の事件をきっかけに会社法改正の要綱案に社外取締役設置の義務化を盛り込むことが検討されたが、経団連の反対で見送られ、結局、証券取引所の上場規則で対応することになった。
「日本の政府債務残高は国内総生産(GDP)の240%に近づいている。もう、夢遊病者と同じだ。日本の企業にはオリンパスと同じように隠された債務があるのではと疑っている。日本よ、いい加減に目を覚ませ」
ソニー、パナソニック、シャープなど日本の家電が軒並み巨額の赤字を垂れ流していることについて、ウッドフォード氏は「市場の自由化を恐れてはいけない。敵対的買収や外国人のオーナーシップを恐れてはいけない。製造業の強みを生かすためにも世界のタレントを使うべきなんだ。日本の時間はなくなりつつある」と悲しそうな表情を浮かべた。
(おわり)