【京都市左京区】家康ゆかりの東照宮が京都にもありますよ 水路閣の傍らでしゃくなげが咲き誇っています!
室町時代に臨済宗の格式として選定された京都五山の別格として禅宗の最高位を誇った南禅寺の境内にある水路閣は、琵琶湖疏水の水路橋です。レンガ、花崗岩造りのアーチ型の橋脚は境内の景観に配慮し、日本の近代土木工学の礎を築いた田邉朔郎が設計しました。
レンガのアーチを間近に見ることができるほか、上部の水路では実際に水が流れる様子も見ることができます。その日本遺産水路閣の傍らや塔頭南禅院の門前で2023年4月17日、たくさんのシャクナゲが咲き誇っていました。
ところで、現在放映中の「どうする家康」の主人公徳川家康、「神の君」は日光東照宮に奉られていることで知られますが、京都にもその家康を奉る東照宮があります。重要文化財の金地院東照宮が特別公開を開催中です。
臨済宗南禅寺派の金地院は、洛北にあったとされる荒廃した古刹を、慶長10年(1605年)に、徳川家康の信任が篤く、江戸幕府の幕政に参与して「黒衣の宰相」と呼ばれた金地院崇伝が現在地に移し、南禅寺の塔頭として、また自らの住坊として再興したと言われます。
崇伝は元和5年(1619年)に幕府より僧録に任ぜられ、それまで相国寺塔頭鹿苑院院主が務めていた、五山の住持任命権を持つ僧録職も幕末まで金地院住持が務めることとなり、同寺は10万石の格式を与えられ、「寺大名」とも呼ばれる権勢を誇りました。
金地院東照宮は、徳川家康の遺言により、建築と庭造りの名人と言われた小堀遠州によって建立されました。家康の遺髪と念持仏を祀っています。江戸時代には京都所司代の番所が置かれ、創建当初は日光東照宮と対比して世に知られていました。
社殿は権現づくり、拝殿は総漆塗り、柱や梁は丹で、壁や扉は極彩色で彩られていました。中央に東照大権現座像が安置され、また拝殿の天井には狩野探幽の筆による「鳴龍」が描かれていて、さらにその欄間には土佐光起画・青蓮院宮尊純法親王の書になる「三十六歌仙」の額が掲げられています。
こじんまりしていますが、池泉回遊式庭園をめぐると何とも言えない風情が感じられます。南禅寺へお越しの際はぜひ訪ねてみてください!
臨済宗大本山 南禅寺(外部リンク)京都市左京区南禅寺福地町 075-771-0365