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中日 谷繁監督「休養」という古臭い解任手段が示す、GM落合の限界

豊浦彰太郎Baseball Writer
(写真:アフロ)

中日の谷繁元信監督が解任された。このことで感じることがふたつある。未だに「休養」という責任の所在が不明な解任人事がまかり通るプロ野球の古臭さと、落合博満のGMとしての限界だ。

唐突に言わせてもらうが、ぼくは「休養」という監督の辞め方が嫌いだ。近年で言えば、2014年の伊原春樹(西武)や翌年の森脇浩司(オリックス)のケースでもそうだと思うが、不振の責任は監督にあるとフロントが考えるならバッサリ解雇すれば良い。監督も「私の責任です」と思うなら、引き続き祿を喰むことなく、とっとと辞めれば良い。「休養」というのは、政治家に例えるなら失政で批難を浴びた知事が「私の責任ですのでもう出勤しません、でも退職する訳ではないので引き続きサラリーはいただきます」というようなものだ。こんな責任の取り方、取らせ方はない。そもそも、体調不良でもないのに職場に姿を現さないなんて、コンプライアンス上も大問題だ。

違う言い方をするなら、フロントが「タニシゲ君、取り敢えずキミのせいにさせといてくれ。給与は契約期間内は保証するから」と囁いたいうことだ。これでは、チームの低迷はフロントが補強資金を渋った(または補強が的外れだった)せいか、現場の舵取りが悪かったのかハッキリしない。なんとも玉虫色の問題解決だ。原因がクリアでないのだから、今後の改善に向けても明確な戦略が立てられるはずもない。

ぼくが言いたいのは、「谷繁よ、自分から辞めろ」ということではなく、「もっと自分のポストに執着を持て」「トコトン拘り続けろ」ということだ。

しかし、谷繁は休養となった。このことは、フロントは不振の責任を明確にしたくなかったということを示している。

このような旧態然とし監督解雇劇を、落合博満がGMが務める球団が行ったというのもショックだ。若いファンには想像できないかもしれないが、現役時代の落合は思ったことをズバズバ言う「現代っ子」だった。80年代においては、江川卓などとともに古い因習がまかり通るプロ野球界にあって異色の合理的思想の持ち主で、その存在自体が痛快だった。

しかし、監督になってからはしだいに口が重くなり、GM就任後は「オレ流大減俸」のあとは表舞台にすら姿を見せなくなった。メジャーの例を見るまでもなく、プロ野球のGMとは野球人である以上に、ビジネスマンとしてのスキルが求められるポジションだ。今回の「休養劇」に、どこまで彼が積極的に関与したのかは明らかでない。しかし、GMという要職にあるのだから、そのようなアナクロな人事問題処理方しか取れない器だったか、アンシャンレジーム的な本社経営陣をなだめてすかして、時には脅して自分の主張を通すほどのフロントマンとしてのしたたかさには欠けていたということなのだろう。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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