明治創業の京都の製材所が「銘木カフェ」へと転換。人口減少の街の活気を取り戻す地域コミュニティの場に
失われつつある地域コミュニティ
あなたは、自分が住み暮らす街に、居場所はありますか? 街の人たちと触れ合う機会はありますか? 街の人はあなたの存在を認識していますか?
少子高齢化、過疎化などさまざまな理由で、いま地域のコミュニケーションが希薄になってきています。世代間の交流が少なくなり、それぞれの立場を理解しあえない。さらにコロナ禍が住民の分断に追い討ちをかけました。
このように人と人とのつながりが薄れゆく昨今、斬新なアイデアで「街の新しいコミュニティのかたち」を提示した場所が京都に続々と誕生しています。
今回は、明治時代創業の製材所を承継した5代目が「銘木(めいぼく)カフェ」をオープンし、地域コミュニティの場所として活かしているケースをお届けします。
明治時代に創業した製材所が注目のスポットに変身した
「初めから『コミュニティスペースをつくろう』と考えていたわけではありません。街の皆さんが応援してくださったおかげで、自然と人が集まってきてくれるようになったんです」
『銘木カフェSHIKI』の店長、山川知恵里さん(34)は、そう言います。
京都府の南部に位置する井手町。明治時代にこの井手町で創業した老舗の製材所が「銘木に囲まれたカフェに生まれ変わった」と話題になっています。しかも街の人々が集い、コミュニティスペースとして機能しているのだそうです。
「製材所がカフェに?」「コミュニティスペース?」
気になった私は現地へと向かいました。
風光明媚だが過疎化に直面する街
井手町は、のどかな田園地帯。街を流れる玉川の水は環境省「平成の名水百選」に認定され、それゆえ井手町は「水の里」と呼ばれています。川沿いでは春には桜が咲き誇り、夏には蛍が舞う、京都の隠れた名所です。また、井手町にはなだらかな丘陵が多くあり、サイクリングコースとしても人気。ロードレース映画『神さまの轍 checkpoint of the life』(2016)の舞台にもなりました。
そんな心安らげる井手町ですが、過疎化という現実に直面しています。推計人口は7,143人(2023年4月1日現在)。1995年のピーク時(9,438人)からおよそ4分の3に減少しました。1982年に創業し、町内に唯一あったスーパーマーケットが2019年に閉店。40年近く営業したスーパーマーケットが幕を下ろした大きな理由の一つが「人口減」でした。特に20歳代から30歳代とその子どもの世代(0~4歳)の転出が顕著であり(井手町地域創生推進室調査)、若者が常住しない、居場所がない点が問題となっているのです。
提供する飲食メニューは地産地消で地元に貢献
そんな静かな井手町に2022年4月12日、『銘木カフェSHIKI』がオープンしました。場所はJR奈良線「玉水」駅を降りてすぐの好立地。周囲には他にカフェや喫茶店は見当たらず、早くも街のオアシス的存在となっています。
店長の山川知恵里さん(以下、山川)「お客様からよく、『カフェができて駅前の雰囲気が明るくなった』と言われます」
オープン1年目にして街のイメージアップに貢献している『銘木カフェSHIKI』では、供するカフェごはんも「できるだけ地産地消」に取り組んでいます。井手町を含む「山背(やましろ/現在の京都府の南東部)」エリアの素材をふんだんに使っているのです。
人気は「山背(やましろ)オムカレー」。井手町産のお米、京都山城地方のタケノコを使用した、国産牛肉のカレーライスです。ピクルスも自家製。添えられている謎の丸い物体は、ポン菓子でできた「玄米ぽんクラッカー」。よそでは見ないユニークな付け合わせです。
山川「同じ井手町にあるグルテンフリーの玄米菓子専門店『MINORI(みのり)工房』でつくられた、お米のクラッカーです。農薬を使わずに稲作をしている工房主のご家族や農家さんの玄米を原料に、小麦アレルギーの方でも安心できるお菓子をつくっておられます。そういった商品をうちで扱うことで、少しでも井手町の生産者さんや職人さんに協力したい。井手町をもっと盛り上げたいんです」
店内には玄米ぽんクラッカーをはじめ町内の事業者がつくるお菓子や工芸品が並び、“井手町のアンテナショップ”と言える役割を果たしています。
店内でも店外でも住民の交流の輪が広がる
『銘木カフェSHIKI』の注目すべき点は、飲食だけではありません。2階のフリースペースでは、さまざまなワークショップが開かれています。味噌や漬物などをつくる発酵酵素講座や、ヨガやハワイアンフラのワークショップ、読書会などが催され、学びの場となっているのです。
また、不定期ながらコンサートが開かれ、住民がともに音楽を楽しめる貴重な会場となっています。このように、カフェが地域コミュニティの拠点として機能しているのです。
山川「ワークショップの講師や演奏してくれる方々は、もともとはお客さんでした。楽器を抱えている方がいらっしゃったので話しかけたら、実は名だたるオーケストラに所属していると。『もしよろしければ、うちでコンサートをしていただけませんか』と提案したら、快く引き受けてくださったんです。ワークショップもイベントも、そんなふうに自然に発生したものなんですよ」
イベントは店内のみならず、オープンスペースでも定期的に開催されています。マルシェの開催や定期的な弁当の販売、週末の屋外居酒屋「お酒とオールディーズ」、毎週日曜日の屋外朝ごはんイベント「犬と自転車とモーニング」など、くつろげる場所を提供しているのです。
山川「毎週金曜日と隔週土曜日、地域密着型の移動式レストラン“よつ葉マート”さんと一緒に開催しています。うちは明治時代から製材所を営んでいました。ベンチやテーブルはすべて製材所に昔いた大工さん、職人さんが使っておられたものを再利用しているんですよ」
製材所時代の雰囲気を感じさせるこれらオープンエアのイベントには幅広い世代が参加し、世代間が相互理解する貴重な場にもなっています。
山川「親子連れや愛犬家さんどうしが仲よくなったり、地元の企業さんどうしがお酒を飲んで和気あいあいとしていたりする様子を見ると、やってよかったなと思います。でも、始めた頃は、そこまで考えていたわけはないんです」
山川さんが屋外でイベントを始めた理由、それはコロナ禍でした。
山川「キッチンカーの皆さんが、予定していたイベントがすべて中止になって困っていると知りました。当社の敷地をお貸ししたところ、とても喜んでいただけたんです。さらに井手町で商売をする方が参加を申し出てくれたり、久しく顔を合わせていなかった地元の方どうしの再会が生まれる光景に出会えたりして、『この場所には、とても可能性があるな』と感じるようになりました」
山川さんが連れているのが柴犬の「侘助(わびすけ)」くん、3歳。カフェの看板犬です。とてもおとなしく、人懐こく、彼に会えるのを楽しみにやってくる客も多いのだそうです。
山川「侘助は自分を人間だと思っているらしく、いつもお客さんどうしの会話を足元で静かに聞いています。父が亡くなる数か月前にご縁があってうちにやってきた犬で、私にとって、とても大切な存在です」
父が遺した自然素材の建物を知ってほしい
実は『銘木カフェSHIKI』の店舗は、そもそもは一級建築士の父が営む事務所でした。
山川「父は木をとても愛していて、自然素材だけでこの事務所を建てました。柱や壁、椅子や机も父が自作したものなんです」
明治時代に製材所を起こし、祖父の代からは家や家具づくりにも携わるようになった山川家。父は天然木や無垢材の魅力を伝えるべく、1988(昭和63)年に自分の事務所を天然素材のモデルルームに建て替えたのです。
カフェの中央に位置するのは赤いローズウッド(紫檀)の大黒柱。ギターなど楽器の材料として重宝される、とても堅(かた)い樹木です。高い天井へと威風堂々と屹立し、見あげていると背筋が伸びる思いがします。
壁はアフリカ諸国が原産地という褐色の巨木、ブビンガ。現地では「神が宿る木」だと敬愛される尊い素材です。ローズウッドやブビンガは現在ワシントン条約による輸出入が規制されています。ここは規制以前の材木を使用した希少な空間とあって、専門家も見学に訪れるのだそうです。
山川「お客さんは『木に囲まれていると落ち着く』『木の香りをかいだり、触ったりしていると、めっちゃ癒される』とおっしゃいます。カフェづくりを目指した理由は、地域貢献のためだけではなく、『当社が保有している銘木の魅力を知ってもらいたい』という気持ちがありました。無垢材と天然素材を使用した“生きている家”“呼吸する住まい”。これを手掛けてきた父の想いを伝えるには、父が遺した木造建築を公開するのが最善だと考えたんです」
解体が進む広大な製材所。街の活性化の拠点にしたい
明治時代から森林の伐採や製材を営んでいた山川家は、現在も多くの銘木を擁しています。カフェのすぐ隣にあるのが製材所と、木材・材木の倉庫。約450坪もの広大な敷地があり、その眺めは壮観です。
山川「すごい量の木材でしょう。去年の秋に端材フェスを開催し、これでもずいぶんと減ったんです。父をはじめ、先祖代々、みんな木が大好きでした。自分が買い付けた銘木に想い入れがあり、製材過程で出た端材すら大事にとっていて、在庫を処分できなかったんだと思います」
事業の再構築に伴い、親戚一同の団結により、解体が進んでいます。いったん更地にし、レンタルスペースと木材・材木の販売所へとリニューアルするのです。もったいない気もしましたが、100年の歴史を抱く製材所と倉庫は門外漢の目にも老朽化が進んでおり、このままにしておけない事情もよくわかります。
山川「測量費、上下水道工事費、解体費、廃棄処分費用など土地を整理するのに一千万円以上の費用がかかっています。事業再構築補助金が採択されたので、なんとかやっているんです。現在、うちは大転換期。井手町に活気をもたらし、貢献するためのチャレンジなんです」
5代にわたって木とともに生きた歴史を総決算するように、覚悟を決めた山川さん。解体は、井手町の未来を見つめる彼女の所信表明でもありました。
新型コロナウイルスが猛威をふるうなか父の容態が急変した
製材所から建設業、さらに「銘木カフェ」へと姿を変えながら5代にわたって木に携わり続ける山川家。しかし山川さんは、そもそもは家業を継ぐ気持ちはありませんでした。
山川さんは井手町の隣町、木津川市の出身。大学卒業後、大阪の広告制作会社で働いていました。
その頃、父が営む井手町の建築設計事務所の裏手には、祖父母が住んでいた築80年を超える日本家屋がありました。二人が亡くなったあとは空き家として放置されていたのです。そんなとき知人から山川さんに、ある提案がありました。
山川「2015年のことです。知人から『使っていない日本家屋があるのならば、ゲストハウスにしないのはもったいない。京都の和風建築で過ごしたいと考えている海外からの旅行者はとても多いよ』と言われたんです。社会に出て丸3年、都会で働く日々に疲れていたのもあり、2016年、ゲストハウスを開業するために井手町に移住しました」
祖父母が遺した古民家を1年がかりでリフォームし、『ゲストハウスSHIKI』を開館した山川さん。当初は「こんな京都の南の端っこまで、わざわざ泊まりに来る人がいるのだろうか」と不安だったのだそうです。しかし、「京都へも奈良へもアクセスできる交通利便性の高さ」「駅前という好立地」「日本家屋」「自然があふれる静かな街」「ホスト同居型」とインバウンドの琴線に触れるポイントが多く、予約は殺到。たちまち200組を超える旅行者が利用しました。
外国人の集客に成功し、順風満帆に思われたゲストハウス事業。しかし、事態は一変します。新型コロナウイルスが猛威をふるったのです。
山川「2020年、お客さんをお泊めすることができなくなり、仕事はすべてなくなりました。さらに、父が病に倒れたのです」
父の急死で暗中模索の状態から始まった事業承継
父は2020年、がんのため逝去しました。
山川「父は突然入院することになり、そこで余命宣告を受けました。コロナ禍で面会があまりできず、父も治療に前向きだったのもあって事業承継について十分に話ができないまま天国へ旅立ったのです。私は仕事がまったくなくなり、時間だけが残りました。そして、自分が井手町へやってきた運命と向きあい、『先祖と父が遺した井手町のこの場所で、新しい価値を生みだし、活性化につながる可能性を追求するのが自分の使命ではないか』、そう考えるようになったんです」
父の建設業、自分のゲストハウス事業、突然、二本柱を失った山川さん。途方に暮れつつも、立ち止まってはいられません。
山川「父の会社を継がずに放棄する選択肢もありました。しかし、やめてしまうのは簡単です。それはしたくなかった。そして、明日が見えないまま私は親族の協力を得ながら父の事務所を整理しました。作業をしながら改めて、事務所のしつらえのよさに目を見張ったんです。父が貴重な木を使って建てたこの頑丈な事務所は、30年以上も経ているのに、新築のようにきれいなまま。『やっぱり、すごい人だったんだな』って。そして『この建物を井手町の人たちに利用してもらえたら、街に恩返しができるんじゃないか』とひらめいたんです」
山川さんが最初に行ったのは、父が遺した空き事務所を使った雑貨の販売でした。玄関をオープンにし、木工作品や布マスク、パンの仕入れ物販を始めたのです。ところが……。
山川「ハイキングに来たお客さんや、次の電車が来るまで時間を潰したい人たちが、カフェだと間違えて入店するケースがよくありました。『カフェじゃないのか~』とがっかりするお顔を何度も拝見し、なんだか申し訳なくて。私自身、海外旅行が好きで、初めて訪れる街にカフェがあると、とても安心できたんです。『だったら私がカフェをやらなければ』。そうして次第にカフェ開業へ向けてモチベーションが上がってきました」
幸い山川さんの母が調理師免許を取得しており、料理を担当してくれることになりました。こうして、カフェのオープンへ向けて準備が進んでいったのです。
さまざまな価値を生みだした「銘木カフェ」
樹木から新しい枝が伸びるように、新しい葉や実をつけるように、多彩な価値を生みだし続ける『銘木カフェSHIKI』。ワークショップ、マルシェ、イベント企画、木材の販売など、さまざまな顔を持つことで、年齢や性別の隔たりなく、さらには動物までも集うターミナルとなりました。
山川「お客さんが自然と集まり、みんながここをコミュニケーションの拠点にしてくれたんです。これからは地域のコミュニティだけではなく、観光客や町外移住者、海外からの旅行者や労働者も一緒に楽しめる交流の場にしていきたいですね」
過疎化、人口流出が進む井手町。しかし、逆境を跳ね返し、カフェへと大胆に事業を変革した5代目の尽力で、次第に活気を取り戻しつつあります。
駅前に誕生した一軒のカフェが銘木のごとくしっかり根を張り、今後は人口減少対策、交流人口の増加、定住促進のモデルケースとなってゆくのではないでしょうか。
銘木カフェSHIKI
所在地:京都府綴喜郡井手町柏原37
電話:0774-82-2025
アクセス:JR奈良線「玉水」駅前
営業時間:火・水・木 8:30~17:00 金・土 10:00~17:00
駐車場:あり
定休日:日・月
よつ葉マート営業時間
毎週金曜日 17:00〜21:00
隔週土曜日 15:00〜21:00
毎週日曜日 8:30〜12:00
https://www.instagram.com/shiki.office/
http://mukugi.com/meibokucafe.html
【前回記事】性別や年齢、国籍の壁を越えて人が集まる。京都のコインランドリーが地域コミュニティの拠点となった理由
https://news.yahoo.co.jp/byline/yoshimuratomoki/20230430-00347479
【この記事は、Yahoo!ニュース個人のテーマ支援記事です。オーサーが発案した記事テーマについて、一部執筆費用を負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】