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大相撲9月場所は立行司が2人に!定年退職を控える木村庄之助と、式守伊之助へ昇格の木村容堂ほのぼの対談

飯塚さきスポーツライター
9月から「式守伊之助」を襲名する木村容堂(左)と木村庄之助(写真:筆者撮影)

大相撲9月場所を最後に定年退職する立行司の木村庄之助と、同じく立行司「式守伊之助」への昇格が発表された行司の木村容堂。1場所限りとはいえ、二人の立行司がそろうのは実に9年半ぶりだという。入門はおよそ2年半違いと、長年苦楽を共にしてきた先輩・後輩のお二人。互いへの信頼の深さが見て取れる、ほのぼの対談をお届けする。

腰には短刀 立行司の責任の重さ

――まずは容堂さん、このたびは昇格おめでとうございます。率直な思いをお聞かせください。

容堂 責任の重い地位になりますので、いままで以上に精進していかなければいけないなと思っています。プレッシャーは、三役格のときからずっとありましたので、その点ではそんなに変わらないと思います。土俵の上でやることは一緒ですから。

庄之助 でも、違うんだよ。(腰に刀を差す動作をして見せる)

容堂 あ、はい。立行司になると、腰に短刀を差すようになります。それが何を意味するのか。差し違えをした場合は切腹する覚悟があるということです。江戸時代は、何か起こると腹を切るという、武家社会でした。もちろん、刀を差す前の立場でも、間違えないようにという覚悟で臨むのは大切です。

――立行司になると、お仕事はどう変わりますか。

庄之助 場内放送や割場(日々の取組を作る部署)といった、現場のいろいろな業務から外れるのと、初日前日の土俵祭を行います。やはり、神様を呼び寄せるというのはすごく重たいなと思うんですね。お相撲さんがケガしないように、無事に場所が迎えられるようにと祈ります。日頃から各部屋などでも行う行事ですが、やっぱり本場所の土俵でやると、思い入れがより強くなるものです。

容堂 私も一度だけ、代理でやったことがあるので、その気持ちはわかります。

名古屋場所の土俵祭の様子(写真:筆者撮影)
名古屋場所の土俵祭の様子(写真:筆者撮影)

――庄之助さんは、次の9月場所が定年退職前最後の本場所です。つまり、次が最後の土俵祭になるのですね。

容堂 9月は庄之助さんがやって、11月から私がやることになります。

庄之助 勝手に決めないでよ。

容堂 それしかしようがないじゃないですか。

庄之助 そんな話まだしてないじゃないか。

容堂 いやいや、最後はバシッと決めていただいて、次からは私がやりますから。

行司の大切な仕事「相撲字」とは

――さすが息ピッタリのお二人。これまでの交流についても教えてください。

庄之助 昔は部屋が近くだったんです。私は前の山の高田川部屋、彼は北の富士の九重部屋。川を挟んであっちとこっちだったから、当時から可愛がっていたよ。

容堂 江戸川区に部屋があった頃ですね。私は2年半後の入門なので、庄之助さんは大先輩です。

庄之助 逆らっていたけどね(笑)。彼が入門できたのは僕のおかげなんだよ。

――と、言いますと。

庄之助 僕は単純に、元大関・前の山が好きだったから、手紙を出して入門したんだけど、彼も同じように相撲が好きで、親方の北の富士に手紙を出して。その手紙を持って、師匠から「この子どうだ」っていうふうに僕が相談されたの。だから、「いいんじゃないですか」って。それで合格だったんだよ。

容堂 ありがとうございます。そうやって、お墨付きをもらったみたいで。

庄之助 でも、昔は厳しかったよね。辞めていく人も多かったし、行司なんて空きがいっぱいあった。昔は万年筆の時代で、部屋の用事や書き物を、毛筆か万年筆でやらなきゃいけなくて、大変でした。

容堂 ボールペンはダメだったんですよね。筆ペンもあったけど、いまと違って使いにくいものしかなくて、たしかに苦労しました。

――容堂さんは、長く本番付も書かれました。

容堂 はい、助手の期間が20年、本番付を書いて15年、合計35年やりました。昨年の1月から現在は、それまで助手だった木村要之助が書いています。

庄之助 あ、そうなの。

容堂 そうなんですよ。わざわざ協会で発表しないですからね。

庄之助 「容堂書」ってどこかに書いたらいいのに。値打ちが出るよ。

容堂 昔から書いていないですから。

庄之助 じゃあ変えなさいよ。

容堂 いやいや、それはこれから先の時代の人が決めることですから。私はもう終わった人間なので。

大相撲の番付表。番付係は、2人の助手を含め計3人で構成されている
大相撲の番付表。番付係は、2人の助手を含め計3人で構成されている写真:イメージマート

――普通の書道とはまったく違う相撲字ですが、書く際のポイントは。

容堂 もともとは江戸文字というものから、相撲字や落語の寄席文字、そして歌舞伎の勘亭流とそれぞれの流派に分かれていったみたいです。楷書を太くしたものなので、隙間なく書くことがポイント。空席なくお客さんがたくさん入りますようにという願いが込められているので、白の隙間なくぎっしり詰めて書きます。書く人によって個性が出るのはいいんですが、基本を外さないことが大切です。

――行司さんたちは入門するとまず皆さん練習されるんですよね。

容堂 そうですね。行司は、土俵やほかの役割の仕事がどれだけ立派であれ、字を書けないとダメです。

庄之助 容堂さんは本番付を書いているから、本当の行司の横綱ですよ。僕は露払い。

容堂 いえいえ、でもやはり番付係に指名されたのは、これまでで一番大きいことでした。うれしかったです。

行司さんも部屋の一員 部屋の力士を全力応援!

――庄之助さんは、これまで約50年の土俵人生で印象深いことはなんですか。

庄之助 僕は「部屋人間」でね、部屋が発展してくれたら自分も成長できるなという考え方です。だからこそ、部屋のお相撲さんに活躍してほしい。でも、残念ながらこれまでで一度も部屋のお相撲さんの優勝はないんです。隣(九重部屋)では、昔は横綱・千代の富士が何回も優勝して、パレードで悠々と橋を越えていくでしょ。それを目の前で見て、腹立って腹立って(笑)。あと一場所、どうにか頑張ってもらいたいですね。

容堂 行司だけじゃなくて、師匠を筆頭に、部屋のみんなが一生懸命弟子を強くしようと頑張るじゃないですか。いまの高田川師匠も、部屋に関取が4人ですか。九重部屋はいま2人です。

庄之助 お、勝ったやんか(嬉)。

――やはり、裏方さんも一丸となって部屋を応援しますよね。では、お二人の今後についても伺いたいのですが、庄之助さんは最後の場所をどう迎えたいですか。

庄之助 9月22日(9月場所千秋楽)を無事に迎えられるように、まずは健康に気をつけること。それ以上のことはないですね。土俵は生きものですから、対応するためにも健康が大切だと思います。最後の日を迎えないと、どんな気持ちになるかはわかりません。

――容堂さんは、まさにこれからだと思いますが、いかがですか。

容堂 いままで以上に精進したいです。後輩から見て、お手本になるような行動や生活態度をしっかりしていきたい。これからはやはり後進の育成ですね。相撲字、土俵の裁き、そのほかの仕事でも、後世に伝えていくことが大事だと思っています。

庄之助 俺の背中を見てって、うそでも言わんかい!(笑)

――(笑)。ちなみに、庄之助さんは退職後のビジョンはあるんですか。

庄之助 それも、その日を迎えないとわかんない。大統領選挙に立候補しようかなって。

容堂 島根県知事じゃないんですか。(庄之助は島根県出身)

庄之助 (笑)。まあ、そうだね、人から好かれる人生にしたいかな。

スポーツライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(アプリスタイル)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』が発売中。

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