「妊活」という言葉にもやもやしている話
こんにちは。
理学療法士のケイシーです。
今日は「妊活」という言葉がしっくりこない
というお話をしていきます。
ウィメンズヘルスの発信をしていると
ときどき「妊活中なのですが・・・」という
相談を受けます。
妊娠を望む女性にとって
少しでも情報を持っている人に
アドバイスをもらいたいという気持ちに
少しでも応えたいと思う気持ちはありますが
残念ながら私は
「妊娠につながる基本的な知識」は
知っていても、その方が
「妊娠する方法」は知りません。
妊娠する方法?
そもそもその方が妊娠する方法を
説明できる人は世界中どこを探しても
居ないと思います。
頭のいい学者さんたちが何年も
何十年も研究を重ね
医学が進歩した今もなお、
「命を生み出す」という生殖生物学は
解明されていない謎が多く
誰かを確実に妊娠させることなんて
できないのですから。
それにもかかわらず世の中には
「妊活」という言葉が生み出され
栄養や生活習慣、漢方などなど
色んな情報が飛び交っています。
私はこの「妊活」という言葉に
少なからずすっきりしない気分を感じるんです。
「妊活」と「就活」の大きな違い
似た言葉で「就活」というものがあります。
就活は、自分で企業について調べ
対策し、努力し、ときに自分自身を
見つめ直して就職という「成果」を
求める活動です。
一方で「妊活」は
自分で調べ、工夫し、夫婦にとって
より合った方法を話し合い
取り組むといった部分は類似していますが
ある1点が決定的に違います。
それは、妊娠が
「人の手が及ばない範囲のもの」
ということです。
個人の努力で成果を得られる就活と違い
死を避けたり生まれる場所を選べないように
個人の活動で成果を得られるものから
大きく外れていることなんです。
それなのに、「妊活」という言葉を
掲げられると突然「成果」を
求められる印象になります。
親から
「あの子は就職先決まったんだから
あなたも頑張りなさい」というように
「あなたも早く子供を生みなさい」と
言われ、
自分自身も、妊娠しない自分は
妊娠という「成果」を得た人に対し
なにかが足りていない焦燥感を
感じるようになってしまう。
人は「妊娠や出産は奇跡である」という
ことを知識として知っているにもかかわらず
「妊活」という言葉によって
命を授かることが
就活と同じ尺のものさしで
測られるようになってしまう気がして
すごくもやもやしてしまうんです。
妊娠は、人間の力の及ばないものです。
妊娠につながるいくつかのきっかけに
助力する方法はあっても、未だに
それを約束する方法はないんです。
だからこそ、時に人は
「妊娠すること」に「価値」があるように
錯覚してしまうのではないでしょうか。
妊娠することで価値のある人間にはならない
命を授かり、生み育てること
それは素晴らしいことです。
ですが、これは批判されてしまうかも
しれませんが私個人の考えとしては
「妊娠することで自分自身の価値は変わらない」
と思っています。
「価値」とは、
他のものより上位に位置付ける理由
という意味の言葉です。
命を授かることに、上も下もありません。
自分の手で出来ることが限りなく少ないことで
命を授かったこと、授かれないことを
誰かと比べることに意味などないと思うんです。
自分の価値は、自分で作るもので出来上がる
私たちはときどき、いろんな人と
縦横に線の引かれた同じ盤上の上を
よーいドンで
一緒に進んでいる気がしてしまいます。
だからこそ、前や斜めに大きく駒を
進めていく人に、焦りを覚えることも
あるかもしれません。
でも実際には、
一生交わることのないそれぞれの盤上を
生きているんだと思います。
たとえ年代や境遇は似ていても
実際は全く違う盤上なので
他の人の駒の進み方は
ルールや、線の幅の違う私の盤上には、
なんの関係もないんです。
私自身が考え、決断し、駒を進め
生きていくこと。それが
私という個の価値になると思っています。
誰の盤上も奇跡で溢れている
健康に今日まで生きてこられたこと、
なにものにも替えがたい
大切な人たちに出会えたこと、
好きなものに囲まれていること、
やりがいのある仕事ができていること、
今日も安全な家で笑って過ごせること。
私の盤上には奇跡が溢れていることを
ときどき忘れてしまいます。
命の行く先は分かりません。
自分の命も、大切なあの人の命も、
授かった命も、まだ見ぬ命も。
私の盤上にこれからどんなことが起こるのか
私には調べる術がありません。
なので、分からないことに
傾倒しすぎず、
できることしかできない私は
できることを一生懸命やって
今日も生きていたいと思います。
理学療法士 ケイシーより
愛をこめて