「STAP細胞」は、現代版コペルニクスの「地動説」なのかもしれない
STAP細胞は、現代版コペルニクスの「地動説」かもしれない
古代ギリシャ時代から「天動説」は、アリストテレス(紀元前384-322年 62歳没)の哲学体系の同心天球仮説で提唱され、カトリック協会公認の世界観(13世紀から17世紀頃まで)であった。また、より確からしいものを集め、体系化したのがプトレマイオスであり、天動説は当時、確立されていたという byウィキペディア
そして転機は、15世紀のニコラウス・コペルニクス(1473-1543)により訪れる。コペルニクスは「地動説」を唱えるが、あまりにも世間の混乱を予期して、出版したのは自分の死を予期してからの晩年の1543年だった。「地動説」は発表されたが、コペルニクス本人は天に召されておとがめなし。
説は説だけで終わった…。
しかし、「地動説」を最大に動かしたのは、なんと「大航海時代」の交易だったのである。
15世紀、1492年10月12日、クリストファー・コロンブス(1451-1506)が、西回り航路で新大陸を発見する。マルコ・ポーロ(1254-1324)の「東方見聞録」で紹介された東方へのスパイスや交易目的であり、陸路ではなく海を使った逆周りを考えた結果である。
地球は球体であり、西に進めば東端にたどりつくという説からだった。
そして、新大陸はインドではなく、アメリカ(バハマ国サン・サルバドル島)だった。
そして、大航海時代が始まり、星図、海図、羅針盤、望遠鏡は必須の道具となり、交易のための航海に、正しい天体観測が必須となった。すると、天動説では説明しきれないことが、地動説では正確に海図のルートを探ることができるようになったのだ。経済性と科学、天文学が結びついたのだ。
そして、その変化は、16世紀のガリレオ・ガリレイ(1564-1642)の登場に引き継がれた。
ガリレオは、17世紀、1610年(46歳)に望遠鏡を用いて、木星の存在を発見し、ついに地動説の証拠を掴んだ。
コペルニクスの発表から、すでに67年もの時を経てからのことである。
カトリック協会は、聖書に反するということで、望遠鏡の使用すら禁じたとも言われる。
ガリレオは「地動説」を唱え、異端者と扱われ、裁判によって有罪判決をくだされる。ガリレオへの刑は無期刑であり、すべての役職は剥奪され、死後も名誉は回復されず、カトリック教徒として葬ることも許されなかった。
そして、ガリレオの名誉が回復したのは、ローマ教皇のヨハネパウロ二世がガリレオ裁判について謝罪した1992年の20世紀だ。
ガリレオは死語、350年かかって初めて「地動説」について公的に謝罪された。
また、ガリレオは、論文の読者に同一の実験を促して検証させることによって、自説の正しさを証明するという手段をとった、最初期の科学者である。
常に科学は進化し続けるものであって、現在の科学で証明できないものは、すべて、否定という考え方はちっとも科学的ではない。
可能性がある以上、否定することもできるが、証明することもできるはずだ。
STAP細胞は、もしかすると、現代における「地動説」なのかもしれないのだ。
小保方さんの死後350年後に謝罪されても仕方がない。
可能性がある限り、証明する方法を模索すべきではないだろうか?
研究上の秘匿ということはあるかもしれないが、過去の歴史にこんな事例がある。
フランス政府は、過去の科学者に終身年金を与えて、実験結果をすべて公開させ、広く伝播させたことがある。
銀板写真ダゲレオタイプを生み出した、ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(1787-1851)は、年金のおかげで研究を継続し、公開することによって、19世紀のフランスは、写真産業を発展させることができた。
STAP細胞の有無を「天動説」をいつまでも信じている時の科学者らから切り離し、独立して研究させる方法もあるのでは、ないだろうか?
いつまでも、ラチのあかない記者会見を繰り返すよりも、ファンドをさっさと作って、STAP細胞そのものの有無を第三者的に証明してもらうべきだと思う。
今、法的な裁判をしているのでは、ガリレオ裁判と全く変わらない。
科学は真理の追求あるのみではないだろうか?