行列は風景の一部、皮の手触りは美しい肌のよう。東京・阿佐ヶ谷 うさぎや「どら焼き」
今日8月10日は、おやつの常連「かっぱえびせんの日」
「やめられない止まらない」にちなみ、8と10の付く8月10日は、かっぱえびせんの日となりました。
そして、東京・阿佐ヶ谷にある、うさぎやの「どら焼き」は、やめられない止まらない美味しさであり、漫画ドラえもんに出てくる「どら焼き」にそっくり。結構大きめで、私のどら焼きと言えば「阿佐ヶ谷のうさぎや」
もう一つ食べたくなる美味しさです。
それは、手に取った時の手触りが、違います。
水分量の整った美しい肌のように、やわらかくふんわりとした弾力もありつつ、吸い付くようなしっとり感。大きめだけに手に取ったときの肌触りは印象的で愛おしく、作り立ての鮮度を感じます。厚すぎず薄すぎない、丁度良い皮に挟まれたあんこは、ずっしりとした重量感です。
そして、少し塩気が効いた小豆の旨さが引き立つあんこ。
みりんが入っているそうで、甘さと塩気、どちらも丸く収まり、飽きずに食べられます。個包装の袋に書かれている一筆書きのシンプルな白いウサギの絵が、手土産・おやつ、どちらも似合う雰囲気を醸し出し、多くを語らずというような、シンプルな絵はお店の姿勢も感じさせます。
通販もなく、百貨店の催事も出られず、阿佐ヶ谷に行かないと手に入らないどら焼きは、夕方には売り切れていまい、お店の前はいつも順番待で並ぶため、雨の日は狙い目です。また、電話で予約可。
お店はJR中央線・阿佐ヶ谷駅北口から徒歩3分程度。お店が立ち並ぶ細い道沿いにありますが、うさぎやさんだけ、昔ながらの古き良き佇まいです。向かう途中は、お笑い芸人爆笑問題の事務所がありますよ。
【阿佐ヶ谷 うさぎや】
1950年、昭和25年に、現在のJR阿佐ヶ谷駅から2つ西隣・西荻窪で創業。
「うさぎや」は、東京に3店舗、上野・日本橋・阿佐ヶ谷とありますが、暖簾分けではなく、親戚同士が独立して営んでいます。発祥は大正2年、上野の創業者がウサギ年だったことから「うさぎや」という屋号に。稼業はもともと蔵前の材木店だったそうで、そこに上野うさぎやの娘さんが嫁がれました。
転機は1945年。東京大空襲で材木店を焼失。
困窮する生活に奮起したのが、上野うさぎやから嫁いだ妻。着物を全て売り払い、上野うさぎやさんから借金をして職人を集め、阿佐ヶ谷の前身、「西荻窪」でうさぎやを創業されます。お店は工房を作れず、自宅の裏庭に小屋を建て工房に。
物資不足の戦後、安価な人工甘味料が広く出回るなか、味にこだわり、高価な砂糖を闇市で仕入れ続け、警察に見つかれば没収されるお菓子を、娘たちが注意深く自宅の裏庭から、自転車でお店まで運んだそうです。
創業から7年後、現在の阿佐ヶ谷北に移転。
当時の阿佐ヶ谷は駅の賑わいは南口だったそうですが、冷蔵庫が無かったことから、涼しくて工房を併設できる場所北口で再出発されます。「うさぎ饅頭」は、その当時にできた商品です。
うさぎ年のある日、職人さんが上用まんじゅうを丸くして、耳と目を付けて販売したところ、大好評。それから月日を経て現在の形に。
お店は、商品はショーケースに並べると乾燥が進むことから、裏で保管。
対面で注文を伝えると、裏から商品持ってきてくれます。あいさつや会話を大切されているそうで、昔ながらの「懐かしさの継承」を大事にしているそう。その姿勢はお店の佇まいから十分伝わります。
戦後の生活困難から奮起した初代は50歳で他界され、現在2代目。
ここ数年はコロナ禍で世間が混乱し大変な時期もありましたが、阿佐ヶ谷うさぎやさんのどら焼きを食べてながら、まだまだですよ。と背中を押される、和菓子ソムリエ 赤坂美附です。