毎月3日間だけ登場する幻の「どら焼き」は、江戸時代生まれのヴィーガンスイーツ。京都・笹屋伊織
どら焼きの始まりは、平安時代。
武蔵坊弁慶が水で溶いた小麦粉を銅鑼で焼いたのが始まりと言われ、国民的アニメ「ドラえもん」も愛する、現在のフワっとした円盤状の丸いどらやきは、大正時代に考案されたものです。
毎月20日から、3日間だけ販売されている京都・笹屋伊織サンの「どら焼き」は、見た目も触感も幻のようで、平安時代を彷彿させます。
コレがどら焼き??と思う人は多いはず。
私は、ミルフィーユを初めて知った20代後半の頃を思い出し、幾重に重なるしっとりもっちり生地の触感と、京都の上品なこしあんのマリアージュに、一口惚れでした。
竹の皮に包まれた、細長いどら焼きが考案されたのは、江戸時代。
「副食になる菓子を作ってほしい」
京都・東寺の僧侶からの依頼で作られます。精進料理が日常食の僧侶は、動物性の食材を口にしません。なぜなら、精進料理は仏教における戒律「殺生(生き物を殺すこと)を避け、「煩悩(人を苦しめ、煩わせる心)を刺激しない」に基づき、卵は不使用。江戸時代に生まれた「ヴィーガンスイーツ」です。
製法は130年前から変わらず。
熱した鉄板の上に生地をひき、棒状のこし餡を転がすように巻きつけ竹の皮で包む、風変わりなどら焼きの言われは、当初、鉄板の代わりに「銅鑼」を熱して作ていたので「どら焼き」と親しまれるようになりました。当時から人気の逸品でしたが、とても手間暇かかるため、真言宗の開祖である弘法大師の月命日、21日だけ販売する事になったそう。
月日が流れ、現在では毎月20日・21日・22日の3日間販売に。お店では早々に売り切れていることが多いので、私にとって幻のどら焼きなのです。
ほんのり竹の皮の香りに包まれた、もっちりどら焼き。
その美味しさに、日本に生まれ和食で培われた繊細な味覚を実感する、和菓子ソムリエ赤坂美附です。
【京都|笹屋伊織】創業1716年・京都
初代は伊勢の城下町で和菓子職人。腕を認められて京都へ呼び寄せられ、有職菓子司として創業。当時の京都には248軒の和菓子屋があり、そのうち京都御所の御用を務めた28軒のうちのひとつ。創業当時の屋号は笹屋伊兵衛ですが、京都御所から「伊織」の名をさずかり、明治から笹屋伊織へ改名。京都の左市に残る最も古い菓子司として称号「平安左市遺店菓匠最旧老舗 笹屋伊織」を持つ、創業から307年の歴史ある老舗です。