「韓国政治の主流は進歩派に」…2019年に起きた大変化とは
意図はともあれ、日本でもその事情が紹介されることが多くなった韓国政治。専門家は2019年の大きな変化として、自由韓国党に代表される保守派の凋落と、民意の主軸が進歩派に移った点を挙げた。日本にとっても重大な変化といえる。
今回、話を聞いたのは本コーナーでもおなじみの李官厚(イ・グァヌ、43)慶南発展院研究員。国会で6年間の議員補佐官経験を経て、英国で政治学博士号を取得。帰国後、西江大学現代政治研究所などで研究員を務め、今年7月から現職。韓国の政策提言NGO『参与連帯』の諮問委員を務めるなど進歩派の学者に分類されるが、陣営論にとらわれない歯に衣着せぬ論評に定評がある。青瓦台や与党の動きに明るい。12月28日、ソウル市内でインタビューを行った。
●改正選挙法案の評価は「今後が決める」
年末になって韓国政治には大きな変化があった。12月27日、来年4月15日の総選挙を控え、選挙法が改正された。今春から国会内で議論が具体化したが、大変な紆余曲折を経て成立したものだ。
特に、韓国で初めて「準連動型比例代表制」を導入する特徴がある。主な改正内容は以下の2つに分けられる。
・準連動型比例代表制:議席数300のうち現状の小選挙区253/比例47議席を維持しつつ、比例議席のうち30に「連動率50%」を適用するもの。比例で10%を得票した「政党A」は30議席を獲得できるという原則に基づき、同党が小選挙区で10人の当選者を出した場合、残る20議席を比例議席で補填する。
だが、連動率が50%なので、本来の20議席ではなく10議席が比例当選となる算段だ。なお、こうして補填される議席の総数が30を超えた場合には、得票率に沿って分配数が決まることになる。
・18歳に選挙権が付与:従来の選挙法では投票は満19歳から可能だったが、それが一年短縮された。2002年4月16日生まれまでが投票できるが、韓国の現役高校生の5%がこれに該当するとされる。
−−選挙法改正をどう評価するか
まずは「半分の成功」と見なしたい。『参与連帯』など進歩派の市民団体は「原案(小選挙区225比例75で連動率100%)から大きく後退した」と見ているようだ。だが、新しい制度を導入したということを評価したい。
新たな選挙制度というのは、その制度で三回は投票してこそ、社会に根付くという。今回の制度は名前も難しい上に制度が複雑なこともあり、定着に時間がかかる。
だが何よりも、制度自体の良し悪しよりも、この制度を導入したことで国会や社会に質的な変化が訪れ、有権者がそれを実感できるかが肝要だ。これがあってこそ、準連動型から完全連動型への移行ができる。
−−『ハンギョレ』など進歩紙では、「多党制への移行が始まる」という認識があった。既存の両党制(現在の与党・共に民主党に代表される民主党系と、第一野党・自由韓国党に代表される保守政党系)から多党制に変わるか。
多党制という新たな可能性を開いた点で大きな意味がある。そのためにも。総選挙後の国会運営が大事になる。それがもし、旧態依然の混乱した国会である場合には有権者の不満となり、多党制が望ましいという意思が無くなることになるかもしれない。特に、今回の選挙法改正を実現した「4プラス1」の政党たちの態度が注目される。妥協と協調の政治ができるか。
「4プラス1」とは、「共に民主党(129議席)」と「正しい未来党の旧来派(9議席)」、「正義党(6議席)」、「民主平和党(4議席)」と「元民主平和党の革新派(10議席)」のこと。合計で158議席となり、法案成立に必要な過半数を実現した。中道を含んだ大きな左派連合といえる。
−−一方、議決に参加しなかった自由韓国党(108議席)は「民主主義の終焉」とまで言い大きく反発している。元々、選挙法改正など重大な変化は全会一致という原則があると聞いている。
そういう原則を守るために、最大限努力する必要がある。一方的に法案を処理する場合に、逆の立場になった時にそれが悪用される可能性があるからだ。
だが今回の場合、「政党比例制の強化」という大きな枠組みについて、国会の多数と世論が合意した状態であったのに、これを自由韓国党が拒否したかたちだ。同党としては、あくまで国会の中で細部の事項について交渉をするべきだったのに、それをしなかった。さらに、代案として出したのも、比例制の廃止など荒唐無稽なもので、世論の支持も得られなかった。
国会が迷走した責任を自由韓国党が負うことになるかもしれない。
●自由韓国党の退潮が目についた一年
筆者は今年一年を通じ、1948年から50年間、そして2008年から17年まで韓国政治を担ってきた保守の流れを受け継ぐ、自由韓国党の退潮を強く感じた。その疑問をぶつけてみた。
−−12月になって、自由韓国党の黄教安(ファン・ギョアン)代表の主導で、国会をいわゆる『太極旗デモ(極右派のデモ。韓国の国旗をデモで振るためこう呼ばれる)』が占拠しようとする事件が起きるなど、自由韓国党と極右の境界が曖昧になった。
自由韓国党がまるで少数政党であるように振る舞っている。その分かれ目は9月と10月にあった。当時、チョ・グク法務部長官の任命をめぐる騒動で政府の支持率も落ちて、与党内でも分裂の兆しがあった。
だが、自由韓国党は「場外」に出ていってしまった。定石どおりなら、チョ長官の任命強行に反対する、中間地帯にいる右派勢力までもを結集して、民生法案(経済政策)という対策を持って国会で勝負するべきだった。
当時は、何をしても野党側の点数になっていたし、自由韓国党の支持率も上昇していた。文在寅政権に致命的な打撃を与えるチャンスがあった。
10月3日、自由韓国党はソウル中心部の光化門広場で100万人規模の大々的な「反文在寅デモ」を開く。このデモはプロテスタント系極右派や太極旗デモと、自由韓国党の地方政党が一緒になったものだった。この後、黄教安代表を中心とする自由韓国党の現指導部は極右への接近を隠さなくなる。
なお、当時の記事は筆者の以下の2本に詳しい。
韓国は本当に「国が割れている」のか? (上)保守・進歩派デモの現場を歩く
https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20191014-00146794/
韓国は本当に「国が割れている」のか? (下)文政権の失敗と韓国社会に必要な「癒やし」とは
https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20191014-00146821/
−−国民や有権者ではなく、極右の「愛国市民」と名指しで語りかける黄教安代表を見ていると、今や自由韓国党の居場所はどこにも無い様にすら思える。こうなったのは黄教安代表個人の性質によるものか。
二、三の理由が重なっている。まず、黄代表が国会議員でないという点だ。政党代表が議員でない場合、党の主導権はどうしても院内代表(日本の国対委員長にあたる)に流れる。そこで黄代表は国会の外に向かってしまう。
また、黄代表の支持基盤である「親朴槿恵」派の議員たちは、過去(朴槿恵弾劾)の整理ができておらず、中道派との連帯も難しい事情もある。そして黄代表は政治をしたことがないので、政治的センスが非常に劣る。周辺の補佐陣も同様だ。
こうした弱点により、自由韓国党が再生するほとんど唯一の機会を逃してしまった。この時から、国会の他の少数政党も「自由韓国党とは一緒にやれない。巻き込まれたら大変なことになる」と距離を置き始め、連帯の可能性が無くなった。
●遅れる保守の再編
自由韓国党内の数少ないバランス派で、きっての頭脳派としても知られた金世淵(キム・セヨン)議員(47歳、三選)は11月17日に会見を開き、次回の総選挙に出馬しないことを明かした。さらに同党を「ゾンビ政党」と批判、「自由韓国党は寿命を果たした」とした上で「解体し白紙状態から始めなければならない」と保守刷新を強く訴えた。
−−保守の再編について聞きたい。いわゆる「合理的な保守」と呼ばれる人々への期待は今もあるか。過去、2度の大統領選挙を闘った安哲秀(アン・チョルス)氏の名前もメディアに再び見かけるようになった。
ある。そしてその部分が今もポッカリ空いている。だが、安哲秀氏は難しいと思う。前回(17年)の大統領選挙ではなく、今出てきていればこの空白を埋められたかもしれない。それよりも今、その消極的な姿勢から最も残念な目で見られているのは劉承ミン(ユ・スンミン、日へんに文)議員だ。
劉議員は「保守統合」ではなく、新しい中道保守政党を作って立ち上がるべきだ。現在、彼以外の人物は見当たらない。そうすることで新しい人物が保守側に「輸血」されることになるだろう。
例えば、成功した起業家や医者など名望家を連れてくればよい。民主党にはできないことが保守政党にはできる。保守派の現役議員に頼らずとも40,50代の成功者クラブのようになってもよいから、自由韓国党にぶつければ、自由韓国党は回復できないダメージを受けるだろう。そんな可能性はまだある。
劉議員は長い目で見て、決断を下すべきだろう。
その劉議員は12月12日、記者会見を開き、来年1月に「新たな保守党」を立ち上げることを発表した。
−−そもそも今起きていることは、黄教安代表のミスによる自由韓国党の退潮なのか、朴槿恵弾劾を総括できない保守派全体の退潮なのか。
二つが同時に現れていると見てよい。韓国の保守が「従北左派」を叫ぶ過去の(反共の)理念的保守から、「実用保守」へ向かうタイミングであると見る。過去、李明博(イ・ミョンバク)が支持を集めたのもこれが理由だ。近くには安哲秀も同様だった。
こうした「合理的な保守」への要求は2002年頃からあったと見る。朝鮮戦争以降に生まれた人々が有権者の多くを占め、戦争の記憶が薄れた世代にとって「アカ」と相手(進歩派)を批判する保守ではなく、より実務的(政策的)な部分を求める声があった。
これに朴槿恵も答えていた。2012年の大統領選挙の際(朴槿恵・文在寅が激突し朴槿恵が勝利)、同氏は「普遍的な福祉」を掲げた。
また、全泰壱(チョン・テイル、青年労働者であり労働運動家)や張俊河(チャン・ジュナ、独立運動家であり、言論人・政治家)の遺族を訪ねるなど、父・朴正煕(パク・チョンヒ)大統領による人権侵害についても謝罪した。こうした動きは、「合理的な保守」の要求という時代の要求をよく表していた。
だが実際には、周知のように国定教科書を作ろうとしたり、左派への「従北(アカ)」のレッテル貼り、政経癒着という旧態依然の政治をし、ついに弾劾された。このことが、逆に「合理的保守」への確信を深め、理念的保守に終止符を打ったと見る。
李官厚研究員のこの指摘は、非常に納得がいくものだった。新しい保守の出現を待つ空気ははっきりとある。
●総選挙の見通し、世代交代はあるか
話題は総選挙に移った。選挙制度の改正を受け、どう変わるのかを聞いた。
−−左派政党・正義党の議席増が見込まれる。選挙の見通しはどうか。
おそらく、自由韓国党は総選挙で90席以上は確保すると見られるし、共に民主党も過半数確保は難しい。そうなると、韓国政治を「また同じか」と見る人が出てくるかもしれないが、大きな観点から見ると動いているということを意識するべきだとまず言いたい。
正義党は14議席ほどに伸ばすとみられるが、それ以外に現行の「4プラス1』以外に新たな政党が現れることはないと見る。ただ、その中で重要なのが、韓国の有権者は過去の経験から「政党投票」に慣れているという点だ。各政党はここをうまく読む必要がある。
−−世代交代を望む声が高い。この点ではどうか。
共に民主党などでは、40代以下を増やすという原則を立てて望んでいる。私の周囲の議員補佐官・秘書官出身の人物たちも、多く出馬すると聞いた。まずは党内の予備選をたたかうことになるが、そこに含まれる世論調査の項目で有利になるだろう。
また、議員周辺から出馬するということは、それだけ世代交代の可能性が党内に存在することを示しているとも言える。
−−自由韓国党が有権者の戦略的投票をうながそうと、比例投票の受け皿となるための政党「比例韓国党」を作る動きがあるが。
現実的には難しい。自由韓国党の衛星政党にするつもりだろうが、選挙管理委員会では、議員候補の公認過程における自由韓国党の影響力行使や資金の流れ、そして結成に必要な5千人の党員のうち自由韓国党との二重党籍の問題などを厳しく追及するだろう。これをクリアするには時間が足りない。
'''−−いわゆる「586世代(60年代生まれで80年代に大学に通った現在、50代の世代。民主化の果実を最も得たとされる)」の引退につながるか。
'''
転換点になる。だからこそ、先にも言ったように議席数よりも「中身」が重要な選挙になる。共に民主党を見ても、党内の構成員に差が出てくることは間違いない。予備選の内容や、初当選者がどれだけ増えたかという点に意味がある。
「586世代」は2003年の「開かれたウリ党」結党時に40代前半で多く政界入りし、今では主流派として居座り続けている。だが、今回の任期(2020〜2024)を経る中で60代になる。世代交代が始まる選挙になるだろう。
共に民主党から90年代に大学に通った人物たちが共に民主党から10人〜20人ほど当選すれば、空気が変わる。運動圏と呼ばれる、既存の学生運動系列からも自由な存在だ。
●今年の特徴は「進歩派の主流化」
最後に今年の韓国政治で特記すべきポイントを挙げてもらった。
−−今年は韓国政治にとってどんな一年だったか。
発足から三年を迎えた文在寅・民主党政権が安定した支持率を維持している点を注意深く見ている。韓国政治を長い目で見ると、意味のある現象だ。
例えば同じ進歩派の金大中政権(キム・デジュン、98〜03年)政府は任期中盤以降、急激なレームダックに陥ったし、盧武鉉(ノ・ムヒョン、03年〜08年)政府は2年目からすべての選挙で全敗し、最後は大連立を提案するまで厳しい環境に置かれた。
だが、文在寅政府が取り立てて、うまくやっているという訳でもない。政策的なミスも多い。例えば最低賃金を引き上げる「所得主導成長」という言葉も今や聞かなくなった。来年からはインフラ事業を中心に経済を回そうとし、さらに経済成長率の数値やR&Dの革新といった面でも成果が見えない。
つまり文在寅政府における、これといった成果はまだない状況だ。憲法改正もできなかったし、うまくいくかに見えた南北関係も今年2月のハノイ(米朝会談の決裂)以降、停滞している。今回の選挙法改正がやっと言及できる程度だ。
それではなぜ、文在寅政府が支持率を維持しているのか。それは韓国社会において、進歩派が主流になったからに他ならないと考える。保守政権や重韓国党が失敗したことで、韓国政治がターニングポイントを迎え、それを超えたということだ。
こんな自由韓国党をはじめとする旧来の保守派の立ち位置が減ることになったきっかけは、今考えると「キャンドルデモ(16年10月〜17年3月)」にあったのではないか。当時はデモによって、韓国政治の主流が変わったと考える専門家はいなかったが、今となってはそう読める。
たとえ今後、保守派が集権することがあっても、それはいわゆる、過去の韓国に存在してきた保守派とは全く異なる保守派であることは確実だ。政経癒着を繰り返し、北朝鮮に敵対的な旧来の保守派がふたたび政権を取る確率はゼロだ。
だからこそ、日本社会もこのような韓国社会の変化を直視する必要がある。文在寅大統領と黄教安代表が競合関係にあると読み違えてはならない。保守が「与党」で進歩が「野党・少数派」だった時代は終わった。(了)