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金融におけるディリスキングとリスクシェアリング

森本紀行HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

金融も含めて、事業の本質は、リスクをとることです。ただし、通常の事業においては、とられたリスクの顕在化は想定されておらず、経営の能力において、リスクの顕在化を阻止できる前提になっているはずです。ならば、金融におけるリスク管理も、通常、考えられているように、リスクの顕在化を前提として、それに防御壁をもって静的に備えるものではなく、本当は、リスクの顕在化を動的に阻止する攻撃的な能力の開発なのではないのか。

金融において見失われた賭けの要素

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金融に限らず、事業の本質は、不確実な未来へ向けての賭けです。未来への賭けは、事業の本質というよりも、より根源的に、人間が生きるということの本質です。生きることの一環として、事業活動があり、その事業の一種として金融があるのですから、金融もまた、未来への賭けなのです。

しかし、他方で、金融は、その高度な社会的機能と責任のもと、厳格に規制されている産業でもあります。そこに、一般の事業とは異なる特殊性のあることを認めなくてはなりません。そして、その特殊性は、先鋭的に、未来への賭けという事業の本質への制約として、現れているのだと思われます。

このことは、言葉使いにも、反映しています。一般の事業においては、未来への賭け、即ち、リスクをとること、あるいはリスクテイクは、事業の前提であり、そのリスクを、経営管理能力によって、合理的に統制することは、事業遂行と同義であることから、敢えて、リスク管理を経営の主要課題として、掲げることはしません。しかし、金融においては、リスク管理こそが事業の本質であるかのように、いわれているのです。

つまり、金融においては、リスクテイクという経営の本質的機能よりも、テイクされたリスクの管理という経営の技術的機能のほうが優越するような構図になってしまっているのです。これは、規制によって、リスク管理の徹底を強く求められているばかりではなく、そもそも、金融という事業の内包と外延も、厳しく制限されていることの避け難い帰結です。

金融も実業

金融は、よく実業と対比されますが、そのこと自体、実業ではないとの一般の認識を前提にしているかもしれません。しかし、金融は、実業ではないかのようにみえても、実は、民間の実業だからこそ、官による規制がなされているのであって、規制によって、実業としての一般的性格自体を失うものではありません。

むしろ、少なくとも、現在の日本においては、金融庁は、規制のあり方の抜本的改革を進めるなかで、リスクテイクという事業の本質を、改めて強調する方向にあります。金融庁の森長官のいう「静的な規制から動的な監督へ」という流れです。

また、世界的にみても、同様の傾向はあって、金融安定理事会(Financial Stability Board)が2013年の11月に公表した「実効的なリスクアペタイト枠組みに係る原則」(Principles for an Effective Risk Appetite Framework)では、その名のとおり、リスクへの食欲、リスクを欲求する志向性を前面にだした金融機関経営の枠組みが示されています。

リスクアペタイトフレームワーク

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従来の金融規制においては、金融システムの安定性に重点が置かれていたので、金融機関に対しては、リスクの顕在化に対する厳重なる防御壁の構築が強く求められてきました。要は、信用損失等のリスクの顕在化を前提にしたうえで、それによっても、経営の安定性が揺らぐことのないように、十分な自己資本等の防御壁の充実が要求されてきたということです。この防御壁の構築を、森長官は、「静的な規制」と呼んでいます。

こうした「静的な規制」のあり方については、確かに、一方では、金融と経済のグローバル化のなかで、金融システム不安がもたらし得る深刻な影響を考えるとき、甚だ理にかなったものとも思えるのですが、他方では、投資家の立場からみたとき、金融機関の株式とは、単なるリスクの引き当てのようでもあり、そこに、どのような投資価値を見出すべきか、大いに疑問でもあるわけです。

そこで、「静的な規制」においては、金融機関の行動として、自己資本等の静的な与件を前提にして、リスクテイクのあり方を調整する受動的な姿勢を誘発することになりやすく、本来の事業会社としてのリスクテイクの目的が見失われがちになるのに対して、改めて、規制当局として、リスクテイクの目的の再確認を促し、とるべきリスクに対して、自己資本や人的資本等の経営資源の構築を図る方向へと、金融機関経営のあり方を改革することが必要となります。それが「動的な監督」です。

この「動的な監督」のもとでは、金融機関は、経営目的を追求する事業会社として、能動的にリスクテイクを行うべく、必要資本を調達することになるので、投資家としても、経営能力をみて、投資価値を判断できるようになります。このような経営のあり方は、先ほどあげたリスクアペタイトフレームワーク(枠組み)が目指すものと、基本的に、同じ方向だろうと思われます。

「顧客との共通価値の創造」

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金融庁は、2015年9月に公表した「金融行政方針」のなかで、リスクアペタイトフレームワークに言及した際、注を付して、「自社のビジネスモデルの個別性を踏まえたうえで、事業計画達成のために進んで受け入れるべきリスクの種類と総量を「リスクアペタイト」として表現し、これを資本配分や収益最大化を含むリスクテイク方針全般に関する社内の共通言語として用いる経営管理の枠組み」と説明しています。

ここで、重要なことは、「自社のビジネスモデルの個別性」というところです。リスクアペタイトフレームワークにおいては、事業目的の遂行のためのリスクテイクが核になるので、当然に、事業目的の再確認が必要になる、つまり、「ビジネスモデルの個別性」が問題となるのです。

ところが、金融の場合、事業内容の個別性は考えられないので、「ビジネスモデルの個別性」とは、顧客の特定になるはずです。金融もまた、通常の事業会社と同じように、顧客の視点にたった事業戦略の再構築を行わなければならないということです。「顧客との共通価値の創造」によって、森長官が伝えたいことは、まさに、顧客の視点でしょう。

金融機能は、それ単独では、意味をなしません。産業金融にしても、個人金融にしても、顧客の事業活動と消費生活活動のなかで、補助的機能を演じるものです。つまり、顧客が金融サービスの利用を通じて実現しようとする価値は、金融の外にあるのです。金融は、顧客の価値創造に補助的に参画することで、自らの価値を創造するものである、「共通価値の創造」とは、そういう意味でしょう。

しかし、「共通価値の創造」などということは、どの顧客との間でも、成立するものではありません。自己の重点顧客として特定された層、徹底的にコミットしていける先、というよりも、徹底的にコミットすべき先として特定された顧客類型との間にしか、成立しない関係です。逆に、特定された重点顧客層に対しては、徹底的にコミットする、つまり、徹底的にリスクテイクを行うのでない限り、顧客との間に、「共通価値の創造」など、あり得ないということです。

リスクシェアリング

ならば、「共通価値の創造」とは、共通リスクの共有、即ち、リスクシェアリングのことになるわけです。例えば、融資において、資金調達をする顧客の企業には、資金使途があるわけで、資金使途が計画通りに達成されてこそ、「共通価値の創造」が実現するのであって、単なる融資の実行だけでは、「共通価値の創造」にならないのです。つまり、資金使途を共通課題として共有するからこそ、貸す側と借りる側の間で、「共通価値の創造」が成立するのです。これは、まさに、リスクシェアリングです。

従来の「静的な規制」の思想では、融資の実行時において、資金使途がどうなろうと、企業の経営状況がどうなろうと、合理的に推計された信用損失の期待値に対して、所要資本が割り当てられる、即ち、資本による保険がかけられている限り、それで足りたのです。しかし、金融の本来の機能について考えるとき、この規制の考え方は、おかしなものです。なぜなら、資金使途実現こそが金融の目的だからです。

これに対して、「動的な監督」、あるいは、リスクシェアリングの考え方では、資金使途の実現という金融の目的と、そのための金融機関のコミットメントが前面にでてきます。では、そのことが、リスクを高めるかというと、むしろ逆でしょう。企業において、資金使途が実現するということは、企業の成長と経営の健全化を示すものだからです。

ディリスキング

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つまり、リスクシェアリングは、リスクを低下させる、つまり、ディリスクさせるのです。このディリスク(De-risk、即ち、リスクを小さくする)という言葉は、未だ、日本では定着しないようですが、金融機関経営のあり方が静的な資本規制のもとのリスク管理から、リスクアペタイトフレームワークのもとの動的なリスクテイクへ移行していくとき、決定的に重要な概念として、注目されてくるでしょう。

つまり、「静的な規制」の根本的な問題性は、信用損失等のリスクの顕在化を確率統計的に見込むことをもって、リスク管理であるとの誤認を定着させたことです。つまり、リスクの顕在化に備えた防御壁の構築を重視しすぎた余りに、金融機関経営において、強固な損失耐性に安住する傾向を生んでしまったということです。

これでは、金融の積極的な社会的価値創造の機能が後退するだけでなく、金融機関の企業価値、特に上場している金融機関の株式の価値を失わせることになるのです。予想損失のための準備金としての株式などに、投資価値はみいだし得ないのです。

それに対して、事業会社の常識に素直に従う限り、経営の本質は、リスクの顕在化を想定することであるはずもなく、逆に、リスクの顕在化を回避する努力、即ち、ディリスキングの努力にあることは自明です。

ディリスキングの効果は、顧客の視点では、成長であり、また経営の健全化ですが、金融機関の立場では、当初必要とされた自己資本の額の減少を意味します。解放された自己資本は、エマージング諸国のような成長経済のもとならば、事業の拡大に利用されるでしょうし、先進経済圏のような低成長経済のもとならば、配当の増額等に振り向けられるでしょう。いずれにしても、金融機関の利益であり、金融機関に投資する投資家の利益です。まさに、これこそが「顧客との共通価値の創造」の意味です。

未来志向

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リスクを静態的に受け入れるのではなくて、動態的にディリスクするところに、「動的な監督」や、リスクアペタイトフレームワークの本質があります。

「静的な規制」のもとのリスク管理は、過去の損失実績に基づく統計的制御ですから、要は、過去志向(バックワードルッキング)なのです。それに対して、「動的な監督」のもとのリスクアペタイトフレームワークの適用は、将来へ向けたディリスキングの積極的効果を見込むもので、要は、未来志向(フォワードルッキング)なのです。

金融に限らず、事業の本質が不確実な未来へ向けての賭けであるというとき、その意味は、過去の延長としての未来へ賭けることではあり得ません。それは、賭けですらありません。そうではなくて、新たに生起してくる未来の事象に対して、能動的に立ち向かうことです。金融は、長く忘れてきた事業の本質へと、今、立ち返ろうとしているのです。

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長。三井生命(現大樹生命)のファンドマネジャーを経て、1990 年1 月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。 2002 年11 月、HC アセットマネジメントを設立、全世界の投資機会を発掘し、専門家に運用委託するという、新しいタイプの資産運用事業を始める。東京大学文学部哲学科卒。

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