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全米シニアOP優勝は逃したが、藤田寛之は55歳にして、こんなにも「大きくなった」 #ゴルフ

舩越園子ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授
写真は2013年全英オープン(写真:ロイター/アフロ)

米ロードアイランド州ニューポートCCで開催された全米シニアオープンで、優勝ににじり寄った55歳の藤田寛之。日本勢では史上6人目、男子選手では史上3人目のメジャー優勝に期待が膨らんでいたが、藤田と日本のゴルフファンの願いは惜しくも成らずに終わってしまった。

初日から首位タイで発進し、2日目、3日目も落ち着いたプレーぶりでリーダーボードの最上段を保った藤田は、最終日も自分のゴルフを続け、首位を快走。しかし、10番を終えたところで悪天候によるプレー・サスペンデッドとなり、そのまま翌日へ持ち越された。

月曜日のプレー再開直後は、緊張と疲労のせいか、一転して11番、12番、14番とボギーが続いた。そして、英国出身のリブゴルフ選手、51歳のリチャード・ブランドの猛追に捉えられ、2人の死闘はプレーオフへもつれ込んだ。

プレーオフは10番と18番の合計スコアを競うアグリゲート方式の2ホールでは決着がつかず、サドンデス・プレーオフへ。そして、プレーオフ4ホール目となった通算76ホール目、ブランドがバンカーからの3打目をピンフラッグに当て、ボールをカップ際2センチに止めてパーを確実化したのに対し、藤田は6メートルほどの長いパーパットを沈めることができなかった。

その瞬間、藤田のメジャー制覇への挑戦は、万事が休した。

5日間76ホールの戦いは、予定外の長い戦いとなったが、藤田が歩んできた「海外メジャー挑戦記」は、その何倍、何十倍の本当に長い道程だった。

海外で初めて挑んだメジャー大会は、2005年の全英オープン。その大会で41位タイになった藤田は、それまでは日本も日本のゴルフも世界のトップレベルだと思い込んでいたそうだが、「海外のメジャーに出て、自分を含めた日本は小さいと初めて感じた」。

それは、自身が身を置く日本や日本のゴルフを卑下する感想ではなく、「もっと頑張らなくては」と自身を鼓舞する感想だった。同時に彼は「世界の舞台で戦えることは、こんなにもいいものなのか」と感じさせられ、それからの藤田は海外メジャーやビッグ大会への挑戦に「やみつき」になった。

結果はなかなか伴わなかったが、挑んでは打ちのめされることを繰り返していくうちに、藤田はさまざまなことを五感で感じ取り、経験を伴う学習を重ねながら着実に大きくなっていった。

「海外の試合に出るたびに、壁の厚さと高さを痛感させられる。風も芝も湿度も、日本にはないものがあって、天候は目まぐるしく変わる。こっちの選手は、その中で毎週やっているんだから、彼らは本当にすごいし、人間として選手として、彼らは大きい」

日本ツアー(JGTO)では通算18勝。50歳代になって以降、日本のシニアツアーで3勝を挙げた藤田は、2度目の出場となった今回の全米シニアオープンには、キャディ兼マネージャーの小沼泰成とたった2人で現地入りした。

米TV中継のアナウンサーは「フジタは、この試合会場では、最初は出場選手とは認識されず、選手用のコーテシーカーのステッカーを見せながら『僕は選手だ!』と主張した」というエピソードを面白おかしく紹介。

解説者も「このコースは全英オープン会場のようなリンクスだが、フジタにリンクス経験がどのぐらいあるのか無いのか。彼の性格や人柄もわからないが、彼はただただ気持ちよさそうにプレーしている。それが彼の強みになっている」と何度も言っていた。

その通り。今大会の藤田は穏やかな表情をたたえながら、面白いようにフェアウエイとグリーンを捉え続け、まるで自分の庭でプレーしているかのように平静を保ち続けていた。それは、彼が「海外の厚く高い壁」を初めて、もう少しで超えかけたということ。そして、かつては「小さい」と感じた彼自身が世界レベルまで大きくなった証だった。

「こうしてプレーできることが、ただただ幸せです」

5日目となった月曜日、プレー再開後の出だしの数ホールは、それまでの4日間とは別人のようにショットもパットも乱れ気味になったが、プレーオフを含めたラスト8ホールは、再び落ち着きを取り戻し、表情にも穏やかさが戻った。

惜しむらくは、いい流れのまま、日曜日に72ホールを戦い終え、その日のうちに勝敗を決する試合展開であってほしかった。

「もしも、そうなっていたら」と、どうしても思いたくなる。しかし、自然との戦い、自分との戦いであるゴルフにおいては、あとからそれを悔やんだところで意味をなさない。

それよりも、この20年間、超えることができなかった「壁」の上に、藤田が初めて顔を出し、壁の向こう側をしっかり眺めたことに、大きな意味と意義があったことを喜びたいと私は思う。

藤田の5日間76ホールの戦いは、勝利にはあと一歩及ばず惜敗に終わったが、海外メジャー挑戦歴20年を経て、彼がこんなにも大きくなったことは、あとに続く日本の選手たちにとって、大きな刺激になり、手本になった。

ビッグになった藤田は、今回は勝利を逃したものの、終始、本当にいい表情だったことを記憶に留めておきたい。

ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。百貨店、広告代理店勤務を経て1989年に独立。1993年渡米後、25年間、在米ゴルフジャーナリストとして米ツアー選手と直に接しながら米国ゴルフの魅力を発信。選手のヒューマンな一面を独特の表現で綴る“舩越節”には根強いファンが多い。2019年からは日本が拠点。ゴルフジャーナリストとして多数の連載を持ち、執筆を続ける一方で、テレビ、ラジオ、講演、武蔵丘短期大学客員教授など活動範囲を広げている。ラジオ番組「舩越園子のゴルフコラム」四国放送、栃木放送、新潟放送、長崎放送などでネット中。GTPA(日本ゴルフトーナメント振興協会)理事。著書訳書多数。

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