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太平洋戦争中の12月25日(クリスマス)は日本も祭日だった

饒村曜気象予報士
【太平洋戦争】 真珠湾攻撃 (1941年12月7日)(写真:ロイター/アフロ)

真珠湾攻撃

 昭和16年(1941年)12月1日の御前会議においてアメリカ・イギリス等との開戦聖断があり、開戦が決まっています。

 海軍がハワイ真珠湾のアメリカ艦隊を攻撃し、同時に陸軍がマレー半島を植民地支配していたイギリス軍に攻撃する計画でしたが、どちらも作戦遂行上、気象が重要な決定要素でした

 ともに、作戦遂行が可能な日として決まったのが12月8日です。

 そして、昭和16年(1941年)12月8日未明、日本の連合艦隊がハワイの真珠湾を奇襲し、太平洋戦争が始まっています。

 この真珠湾攻撃の立案は、日本が持っているアメリカを凌ぐ太平洋に関する気象・海象知識が使われました。

 昭和16年(1941年)11月26日に千島列島の択捉島・単冠湾を出発した空母「赤城」を旗艦とし、「加賀」、「飛龍」、「蒼龍」、「翔鶴」、「瑞鶴」という計6隻の空母から編成されている第1航空艦隊(司令官:南雲忠一中将)は、12月1日に日付変更線を越えています。

 そして、そのまま「吠える海」を東進して、アメリカに気づかれることなく、ハワイの北の海域まで到達しています。

 空母「赤城」の昭和16年(1941年)12月分の海と空の観測記録を見ると、北緯43度線に沿って日付変更線を越えて東へ進み、5日からは図1のような高層気象観測をしながらハワイ諸島に向かっています(図1)。

図1 真珠湾攻撃時に行われた空母「赤城」の高層気象観測
図1 真珠湾攻撃時に行われた空母「赤城」の高層気象観測

 図1の時刻は日本時間ですが、19時間30分を引くとハワイ時間になります。

 空母「赤城」の観測結果によると、北緯30度以北では、2,000メートル付近まで西よりの風が吹いていますが、北緯25度付近の攻撃隊を発進させた海域では、発進の半日前、直前、直後の3回の観測とも、2,000メートルまで、毎秒10メートル以上の東風が吹いています。

 つまり、偏東風が吹いている緯度まで南下してから攻撃機を発進させたのです。 

12月25日

 明治になると、天皇誕生日だけでなく、天皇崩御日も祭日でした。

昭和初期の祭日には、大正天皇の崩御の日が12月25日であったことから、大正天皇祭という祭日でした(表)。

表 昭和16年(1941年)の祝祭日
表 昭和16年(1941年)の祝祭日

 つまり、クリスマスの日が祭日であったわけです。

そして、これを機に、キリスト教徒が少ない日本において、クリスマスを楽しむという「日本型クリスマス」が始まったといわれています。

 しかし、日中戦争が泥沼化し、戦時色が色濃くなっていた昭和15年(1940年)3月、内務省はカタカナ名の芸能人に改名するように指示を出し、以後、カタカナや英語が禁止されています。

 「月月火水木金金」という歌がヒットしたように、土曜も日曜も平日並みの仕事があたりまえになってきました。

 祝祭日はあるのですが、休んで楽しむという日ではなくなっています。

 終戦後の昭和23年(1948年)7月20日、「国民の祝日に関する法律」が施行され、12月25日の大正天皇祭は祭日ではなくなっています。

 しかし、11月上旬からクリスマス商戦が始まり、商店街を中心にクリスマスツリーが飾られるようになり、クリスマスそのものは盛大に祝われるようになりました。

 なお、昭和42年(1967年)に連載が始まった赤塚不二夫のギャグ漫画・「天才バカボン」では、主人公「バカボンのパパ」の誕生日は「元日のクリスマスの夜」となっています。

 これは、昭和元年(1926年)12月25日、昭和で最初の日(元日)に生まれたという設定の漫画です。

ニュートン祭りでクリスマスパーティ

 明治初期、多くの外国人が日本に招かれ、若者に西洋の学問を教えていますが、当時は、多くの人は江戸時代からのキリスト教は禁教という考えを持っていました。

 明治政府も明治元年(1868年)に「切支丹邪宗門厳禁」の高札をだし、諸外国の反発でこの高札を明治6年(1873年)に撤廃したものの、キリスト教の活動を公式に認めるのは、明治32年(1899年)の「神仏道以外の宣教宣布並堂宇会堂に関する規定」からと言われています。

 教師である外国人はクリスマスを祝うパーティを開くことができても、生徒である日本人は参加できませんでした。

 そこで、物理学を学んでいた東京大学の生徒は、リンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を発見したとされるアイザック・ニュートンの誕生を祝い、先生との交流を深めたと言われています。

図2 アイザック・ニュートン
図2 アイザック・ニュートン提供:アフロ

 ニュートンが誕生したのは寛永19年11月4日(1642年12月25日)、つまり、クリスマスの日だったからです。

 これが、東京大学理学部などで行われている「ニュートン祭」の発祥と言われています。

 キリスト教禁教があっても、物理学をより深く学んで近代日本を作っていった明治時代の人々の知恵を感じます。

 ニュートンは、物理学において様々な物理方程式を作っていますので、物理学においては神様のような人です。

 地球の大気は引力によって地球に留まっていますし、様々な大気の動き(風)などは、ニュートンやその後継者たちが作った様々な物理方程式によって説明することができます。

 物体に働く力の単位をニュートン(N)といい、圧力の単位はパスカル(Pa)といいます。

 1ニュートンの力が1平方メートルにかかると、1パスカルの圧力になります。

 気象学では、気圧をパスカルで表すと数値が大きくなるので、パスカルの100倍(ヘクト)という単位を使っています。

 10万800パスカルでは使いづらいので、1008ヘクトパスカルというわけです。

 そして、現在の天気予報は、ニュートン等が発見した様々な物理方提式使い、スーパーコンピュータを用いた数値予報と呼ばれる手法で行っています。

 日本でも、12月25日は、昔からいろいろなことで祝われた日です。

表の出典:筆者作成。

図1の出典:饒村曜(平成9年(1997年))、空母「赤城」の高層気象観測、雑誌「気象」、日本気象協会。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2024年9月新刊『防災気象情報等で使われる100の用語』(近代消防社)という本を出版しました。

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