「カラオケ法理」は「市民感覚」に即しているか?
音楽教室対JASRACの裁判の判決が「市民感覚」と乖離しているのではないかという報道も見られます(参照記事)。まずは、争点の一つとなった「カラオケ法理」について検討しましょう。法解釈の話よりも、法解釈の結果として得られた結論が「市民感覚」と合致しているのかという点を中心に検討していきます。
「カラオケ法理」とは、物理的には著作物の利用(典型的には、演奏)の主体でなくても、音楽利用を管理している、および、音楽利用により利益を得ているという2要素がある場合には利用の主体とみなすという考え方です(Wikipediaエントリー)。その名が示すとおり、カラオケスナックにおいて実際に歌っているのは客であるが、店がカラオケ設備を提供しており、また、客の歌唱により集客効果を上げて利益を得ていることから、「店が歌っている」ものとするという考え方です。一見、ちょっと強引な解釈のようにも思えます。
ライブハウス等による演奏にもカラオケ法理が適用されます(ファンキー末吉氏が裁判で争いましたが棄却され判決確定しています)。これにより、ライブハウスはJASRACへの著作権使用料義務を負います(著作権使用料は店のサイズとチケット料金により決まります(たとえば、120席でチャージ3000円だと年間約10万円です))。この仕組みのおかげで、出演者は著作権許諾や使用料を気にすることなく(JASRAC管理曲であれば)洋楽だろうが、カバー曲だろうが、自分の作品であろうが自由に演奏できます。
なお、音楽演奏専用ではない場所、たとえば、公民館やホールなどで演奏する場合は、施設が音楽利用を管理している、および、音楽利用により利益を得ているとは言えませんので、出演者側が別途許諾手続することが必要です。
ここで、仮にカラオケ法理が適用されないものとします。つまり、「店は場所を貸しているだけである」というライブハウスの理屈が通ったとします。これにより、著作権の許諾や使用料の支払が免除されるわけではありません。その義務がライブハウスから出演バンドに移っただけのことになります(バンドの演奏が非営利、入場料無料、ノーギャラである場合は著作権法38条1項により許諾不要ですが通常はそういうケースは少ないと思います)。もしこうなったら、使用料の支払はまだしも事務手続き的にやってられないのではないでしょうか?また、必然的にJASRAC側の事務手続量も増しますので手数料を増額せざるを得ず、結果的にクリエイター(作詞家・作曲家)に回る金額が減る可能性すらあります。
この仮定を音楽教室にも適用してみましょう。つまり、教室運営会社は場所を貸しているだけなので、著作権使用料を取りたいなら、実際に演奏している講師(そのほとんどは自営業者)から直接取れという理屈が通ったらどうなるのでしょうか?講師の演奏が非営利であるという主張はさすがに通らないと思いますので38条1項は適用されないでしょう。また、誰でも申し込めばその講師の生徒になれるという条件であれば、生徒は公衆であるとの理屈は成り立ちます(この点は、演奏の主体が音楽教室であろうが、講師であろうがあまり関係ありません)。
結局、(施設に大規模投資しそれに応じた利益を得ている)音楽教室と、音楽教室と契約した自営業者である講師のどちらに著作権使用料支払義務を負わせるのが「市民感覚」に近いのかという話になります。「生徒が公衆にあたるか」、および、「(音楽教室での演奏は)聞かせるためのものであるか」という争点については、また、別途。