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異常な状況が日常になってしまった世界に射す一条の光。『人間の境界』『関心領域』

杉谷伸子映画ライター
『人間の境界』

アカデミー賞国際長編映画賞を受賞したジョナサン・グレイザー監督の『関心領域』は、アウシュヴィッツ強制収容所と壁1枚隔てた隣の家で幸福に暮らす所長一家を通して、異常な状況や価値観が当たり前になってしまうことに戦慄させる。

2023年度ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞を受賞したアグニエシュカ・ホランド監督『人間の境界』もまた、そうした事態はいつの時代もどこの国でも起こりうるということを突きつける。

ホランドが見つめるのは、2021年、ベラルーシ政府がEUの混乱を狙い、ポーランド国境に多くの難民を移送した事態に翻弄される人々。

『人間の境界』
『人間の境界』

「ベラルーシを経由してポーランド国境を渡れば、安全にヨーロッパに入ることができる」という情報を信じて、このルートを選んだシリア人難民一家

彼らは、難民受け入れを拒否するポーランド政府により、ベラルーシから送り込まれてはまた戻されるという非情な仕打ちを何度も繰り返し受けることになる。さらに、両国の国境警備隊員から受けるのは、彼らを同じ人間と思っていないような扱い。

ポーランドの国境警備隊の青年ヤンは、国境を越えてきた難民を再びベラルーシへ投げ返すことが任務。しかし、同僚やベラルーシ側の国境警備隊員たちが、不法移民を人間扱いしないなかにあって、自分の任務の非人道さに耐えきれず、次第に憔悴していく。

一方、非常事態宣言のもと、ジャーナリストや医師、人道支援団体らの立ち入りも禁止されるなか、両国の国境地帯である森林に逃れた難民を救うべく支援活動をする人々もいる。

ホランドは、そうした人々を通して、ただ安全な暮らしを願う人々を“武器”として扱うことの非道さや、同じ人間を人間として扱う気がない異常な状況があたりまえになってしまうことにも、また、その状況に何の疑問も抱かない人々にも戦慄させる。

『人間の境界』
『人間の境界』

と同時に、彼女はそうした状況の中でも善意は存在することを描いてみせる。

たとえば、苦悩するヤンが、自身の新築中の家に侵入した不法移民に対してのみならず、虐げられた人々への行動のはじばしにのぞかせるもの。

さらには、活動家の行動に陰ながら力を貸す人々(なかでも、勾留された活動家ユリアへの善意ある警官の対応が胸アツだ)。

時代背景を超えて響き合う

『人間の境界』と『関心領域』

『関心領域』
『関心領域』

『関心領域』では、グレイザー監督は、収容者から奪った金品を平気で身につけ、それが自分たちの当然の権利であるかのように振る舞う収容所所長の妻らを淡々と描くことで、異常な状況にも価値観にもなんの疑問も感じなくなっている社会に戦慄させる。

その一方で、収容者たちのために果物を置く少女や、ピアノの演奏に合わせて映し出される言葉に、痛ましい状況に置かれた人たちを思う、善き人々がいたことも指し示す。

少女の姿が反転フィルム風のサーモグラフィー映像で描かれ、はっきりと顔がわからないのも、ピアノを弾く少女の顔が映し出されないのも、その少女の存在そのものが、当時の社会にも数多く存在した「善意」の象徴として描かれているからではないだろうか。

いつの時代にも、異常な事態は生じうる。けれども、そうしたなかにも、正しいことをせずにいられない「善意」も必ずある。『人間の境界』と『関心領域』はそんな一条の光を見せてくれる作品でもある。

さらにホランドは、ロシアによるウクライナ侵攻が起きてからの対比によって、世界がダブルスタンダードのうえに成り立っていることも浮き彫りにしてみせる。

そのダブルスタンダードは、私たちがこれまでアフリカや中東で多くの市民が犠牲になっていることを数々のニュースで知っていたはずなのに、21世紀にヨーロッパの街中が爆撃され、多くの民間人が命を落とすことに衝撃を受けたことにも通じるものだ。

『人間の境界』

TOHOシネマズ シャンテほか公開中。全国順次公開

配給:トランスフォーマー

(c)2023 Metro Lato Sp. z o.o., Blick Productions SAS, Marlene Film Production s.r.o., Beluga Tree SA, Canal+ Polska S.A., dFlights Sp. z o.o., Česká televize, Mazovia Institute of Culture

『関心領域』

5月24日より新宿ピカデリー、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開

配給:ハピネット・ファントム・フィルム

(c)Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.

映画ライター

映画レビューやコラム、インタビューを中心に、『anan』『SCREEN』はじめ、女性誌・情報誌に執筆。インタビュー対象は、ふなっしーからマーティン・スコセッシまで多岐にわたる。日本映画ペンクラブ会員。

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