Yahoo!ニュース

生物多様性に注目した水マネジメントとは何か

橋本淳司水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表
渇水が起きたインド。現地では森林伐採の影響と言われる(著者撮影)

新型コロナと共生する「流域生活」と生物多様性

 新型コロナと共生する世界を考えると、サプライチェーン(材料・部品の調達、製造、配送、販売の流れ)の見直しは必須である。人件費の安さ、マーケットの近さから海外に拠点を置いていた企業が、国内回帰するケースも出るだろう。同時に都市部への一極集中が崩れ、あらゆるものが地方へと分散される。

 地方という概念を、具体的に表現する場合、生活という点で合理的なのは「流域」だ。あらゆる生産活動には水が必要で、人工的な方法で得るのは難しい。

 それについては、Yahoo!ニュース「コロナ共生で登場するサプライチェーンの短い生活圏」に書いたとおり。

 だが、流域の水を人間が自由に使ってよいかというとそうでない。

 これまで水の流れは、人間に都合よく変えられてきた。まちが拡大すると、川はダムでせき止められ、川岸はコンクリートで固められた。国策で水力発電所とダムが相次いで建設された時代には、ダムで取水した水が導水管を通して発電所からダム、ダムから発電所と利用され、中流域で水が消えたところもあった。水が消えるとは生物の死を意味する。

 流域は生物多様性のまとまりのよい自然生態系である。流域にはそれぞれの特性にあった生物が住む。日本では、気候の多様性とあいまって、1400種の脊椎動物、3万5000種の無脊椎動物、そして7000種の維管束植物といった、驚くべき生物多様性を生み出した。

鳥取県大山のブナ林(著者撮影)
鳥取県大山のブナ林(著者撮影)

 しかしながら、多様な生物にとっての命の血管網はやせ細り、生息環境の劣化が激しくなっている。生態系や生態系サービスの劣化は、めぐりめぐって人間の暮らしにダメージを与える。農業、林業、水産業、観光業など産業に影響を与え、水環境、水資源の悪化、水災害の増加などにつながる。生物多様性が保全されることは、人間が生活するうえでとても重要だ。

人間の水利用の歴史をざっくり振り返る

 人類の営みは、川の近くの半乾燥地帯ではじまった。そこで生活に必要な水を得る。水場とする動物、棲息する魚を狩猟する。豊富な水に支えられて植物が茂る環境は、食料調達だけでなく、寝床としても隠れ家としてもこのうえないものだった。

水をくみに行くインドの男性(著者撮影)
水をくみに行くインドの男性(著者撮影)

 やがて農耕が盛んになると、水利用に1つ目の変革が起きる。それまで水を得るために水辺まで移動していた人類が、反対に、自分たちの方へ水を引き寄せた。古代文明が発展した地には、灌漑用運河、貯水や分水を目的とした小さなダム、水路や汚水処理システムの痕跡が残っている。

 2つ目の変革は、重力に逆らうことだった。古代から中世までの水道は、土地の高低差によって導水、配水した。高いところで取水し、土地の傾斜を利用して配水していた。位置エネルギーによる配水である。ところが蒸気機関が発明されると、ポンプでの揚水や導水が可能になり、水を低いところから高いところへ運ぶことも可能になり、水路は水源から遠く離れたところまで伸びた。

 同時に浄水方法も進化し、エネルギー使用量は増えていった。これによって安全な水の供給を受ける人の数が飛躍的にのび、都市の拡大につながった。水を使うにはエネルギーが必要で、エネルギーをつくるには水が必要という時代が始まった。

 しかし世界的に見れば、人口増加にともない水需要は増える一方だ。現在の水使用を前程にすると、2050年の世界人口が必要とする水の量は年間3800km3とされ、これは現在、地球上で取水可能とされている淡水量に匹敵する。つまり人間だけが地球の淡水を独占しないとやっていけない。流域の水は干上がり生物は死に絶え、それは人類の死をも意味する。

 人類は経済的な発展のなかで、水技術のイノベーションを起こしてきた。イノベーションによって、自然界の淡水資源を、磁石で砂鉄を引き寄せるかのように集めてきた。それを繰り返すことによって、水技術のイノベーションこそが、この問題を解決すると錯覚してしまったのではないか。修正すべきは水マネジメントの思想・哲学ではないか。

供給に注目したマネジメント、需要に注目したマネジメント

 これまでの水マネジメントは、「いかにたくさんの水を供給するか」というものだった。現状の水使用量、将来の人口予測、経済予測などから需要を計算し、その供給量をいかに確保するかを課題とした。たとえば、人口は1000人のまちで、1人1日当たり250Lの水を使うとする。このまちには1日に250km3の水が必要だ。もし10年後に人口が2倍の2000人になるという予測が立てば、それまでに1日に500km3の水を確保できるようにしようと考える。

 これが供給に注目した水マネジメントである。

 その手段として、現在の水技術の基本形が誕生した。古代の灌漑用水、ローマ水道にはじまり、ダムや浄水場がつくられ、高性能ポンプのもと水道管が延長された。これによって多くの人びとが水を得られるようになり、食糧生産は増え、まちは大きくなった。その一方で水の使用量が格段に増え、同時に汚水の量も増えた。

 水資源の不足・枯渇が心配されるようになると、人間の水使用量をコントロールしようという考えが生まれた。

 これが需要に注目した水マネジメント(節水)である。

 さっきのまちで、10年後までに1日500km3の水を確保するのが無理だとする。そこで1人が1日に使う水の量を250Lから200Lに減らそうという考え方だ。その結果、節水関連の技術が誕生した。これは水の使用量を減らす効果はあるが、依然として人間中心の考え方である。

生物多様性に注目した水マネジメント

 では、生物多様性に注目した水マネジメントとは何か。

 たとえば、流域全体の水の量が100で、生物多様性を維持するために60の水が必要だとする。すると人間の使える水の量は40。その40でやっていける社会をつくろうと考える。

 水の使用量を減らすという点では、需要に注目した水マネジメント(節水)と似ている。実際、水使用量を減らす手法は同じものが使われることもあるので、ちょっと紛らわしいが、需要に注目した水マネジメント(節水)が人間目線で考えられるのに対し、生物多様性に注目した水マネジメントは、生態系を淡水の正当な利用者として認識する。

稀少生物のトネハヤヤスリ(著者撮影)
稀少生物のトネハヤヤスリ(著者撮影)

 自然は人類の存在に不可欠である。その理由は何より、自然が唯一の水の供給者だからだ。そして人類に水やその他の恩恵を提供するために、自然も水を必要としている。健全な生態系は、水をつくるということにおいても、水を浄化するということにおいても、水災害を軽減するということにおいても、すばらしい機能をもっている。だから、生物多様性を最優先に考え、そこから逆算して、水使用量を考える。生物多様性に注目した水マネジメントは、単なるノウハウではなく、持続可能性に対する哲学を包含しているといえる。

いかに水を少なく、ではなく、なぜ水をつかうか

 需要に注目した水マネジメント(節水)生物多様性に注目した水マネジメントを実施する際に違うのは「問い」である。

 需要に注目した水マネジメント(節水)の技術を生み出すには「どうやって少ない水」で行うかと問いかける。一方、生物多様性に注目した水マネジメントの技術を生み出すには「なぜ」水が必要なのかと問いかける。

拙著「水の科学」より
拙著「水の科学」より

 たとえばトイレを1回流すと約10リットルの水を使う。需要に注目した水マネジメント(節水)では、「どうやって少ない水で排泄物を流すか」と問いかける。排泄物が家のなかにあったら不衛生だ。だから水で流す。ではどうやって少ない水で流すか。その結果、節水型トイレが生まれる。

 生物多様性に注目した水マネジメントでは、「なぜ排泄物を処理するのに水を使うのか」と問いかける。排泄物が家のなかにあったら不衛生だ。だからこれまでは水で流していたのだけれど、これは水を使わなくてもできるのではないか。排泄物を衛生に留意しながら活用することはできないか。その結果、現在の技術で言えば、コンポストトイレのようなものがあるし、将来的にはもっと別の技術が誕生するかもしれない。

 シャワーを10分浴びると、約100リットルの水を使う。需要に注目した水マネジメント(節水)では、「どうやって」少ない水でやるかと考える。シャワーをこまめにとめて、浴びる時間を短くしようとする。3分短くなれば、使用量は24リットル減る。あるいは節水型シャワーヘッドが生まれる。水圧を上げることで、1分当たりに出る水の量が半分以下に減っても体感はまったく変わらない。

 でも、生物多様性に注目した水マネジメントでは、「なぜ体を衛生的に保つのに水を使うのだろうか」「水を使わずに体を衛生的に保つ方法はないか」と考える。

 生産における水使用でこれができるともっと効果的だ。とりわけ地球上の淡水の約7割は灌漑用水に使われている。だから、いかに効率的に灌漑を行うかに多くの人が頭を悩ませているわけだ。だが本当の目的は効率的に灌漑を行うことではなく食物を栽培すること。目的を見直すことによって、「もっとたくさんの水が必要だ」という固定観念から解放される。

 水を大量に供給するという縛りから解放されれば、それに向かって走っていた技術のあり方も変わる。水そのものの利用は最小限にとどめ、新たな代替手法を考え出す。水代替ビジネスの市場は広い。家庭、大規模ビル、工場、農場、まち全体、流域全体といった広い範囲に適用できる。新しい公衆衛生、新しい生産、生態保全を目的とした都市づくりなど枚挙にいとまがない。水代替ビジネスは、水使用の絶対量を減らすので、生態系の保全につながる。

100ー60は40ではない

 さきほど「流域全体の水の量が100で、生物多様性を維持するために60の水が必要だとする。すると人間の使える水の量は40。その40でやっていける社会をつくる」と述べたが、じつはこれは正しくない。

 水は流域内を循環するからだ。森林や湿地を保全することによって、地下水が増えるなど、水収支のメカニズムは複雑だ。たとえば木を植えること、稲作をすることは、水を減らすことであり増やすことである。木や稲が成長するときには水が必要だが、森林の土壌は降った雨を受け止めるし、田んぼからは地下に水を浸透させることができる。

稲刈り後の田んぼに水をはり地下水を涵養する(著者撮影)
稲刈り後の田んぼに水をはり地下水を涵養する(著者撮影)

 田んぼがなくなり、森が荒廃すれば、流域の保水機能、浄水機能が弱まる。すると流域で水の恩恵を受けていた生物はこれまでのように水を得られなくなる。陸上の水は「流域」を単位に循環しているから、水マネジメントも流域を単位として行うのが自然だ。生物多様性に注目した水マネジメントでは、流域内の土地利用によって、水循環にどのような変化が起きるかに注目することも大事である。

水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表

水問題やその解決方法を調査し、情報発信を行う。また、学校、自治体、企業などと連携し、水をテーマにした探究的な学びを行う。社会課題の解決に貢献した書き手として「Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2019」受賞。現在、武蔵野大学客員教授、東京財団政策研究所「未来の水ビジョン」プログラム研究主幹、NPO法人地域水道支援センター理事。著書に『水辺のワンダー〜世界を歩いて未来を考えた』(文研出版)、『水道民営化で水はどうなる』(岩波書店)、『67億人の水』(日本経済新聞出版社)、『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、『100年後の水を守る〜水ジャーナリストの20年』(文研出版)などがある。

橋本淳司の最近の記事