東名あおり、地裁の「不意打ち」でまさかの一審破棄 今後の展開は?
東名あおり運転事件は、控訴審で「刑事弁護界のレジェンド」と呼ばれる敏腕弁護士らが一審判決に対する緻密な反論を行っており、高裁の判断が注目されていたが、まさかの理由で破棄され、地裁に差戻しとなった。
高裁の理屈は
すなわち、控訴審における最大の争点は、あおり運転の男に危険運転致死傷罪が成立するのか、成立するとしていったん停車させたあとにワゴン車の一家4人を別の大型トラックによる追突で死傷させていることから、いかなる理屈で成立すると考えるのか、といったことだった。
これに対し、高裁は、一審判決における事実認定の下では危険運転致死傷罪が成立するとしたものの、地裁に重大な手続ミスがあったとして、この判決を破棄した。審理を地裁に差し戻しており、「一からやり直せ」というわけだ。
なぜか。地裁が裁判員の関与しない非公開の公判前整理手続の中で、検察・弁護双方に対し、暫定的な意見として、危険運転致死傷罪は認められないと表明していたからだ。だからこそ、検察側もこれが無罪になる場合に備え、予備として監禁致死傷罪を起訴事実として加えた。
これで争点が拡散してしまい、弁護側は前者のみならず後者に関する主張や反論をも行わなければならなくなった。相対的に前者に割ける時間や労力も削がれてしまったわけだ。しかし、裁判員裁判が始まり、公判手続を経た末の判決では、前者が認定されたばかりか、懲役18年という量刑となった。
裁判員裁判では、裁判官3人と裁判員6人の多数決で評決する。しかし、裁判員だけの意見では被告人に不利な判断はできず、少なくとも裁判官1人が多数意見に賛成していなければならないと決められている。
例えば、被告人が真犯人か否か争われた事件で裁判員6人の意見が「犯人に間違いない」、裁判官3人の意見が「犯人ではない」という場合、単純な多数決だと有罪になるはずだが、裁判官が1人も多数意見に賛成していないため、必ず無罪判決を下さなければならない。
この評決方法を前提とすると、公判前整理手続の中で裁判所が危険運転致死傷罪の成立を否定した以上、弁護団としても判決で無罪になる公算が大だと考えるのも当然だし、検察側も同様だ。
本来であれば、地裁は公判審理の過程で公判前整理手続における発言について釈明したうえで、改めて弁護側に危険運転致死傷罪に関する主張や反論の機会を十分に与えなければならなかった。これと監禁致死傷罪とでは、量刑も大きく変わってくる。
この配慮を怠ったまま判決に至ったのは弁護側に対する「不意打ち」であり、違法な手続に基づく裁判だ、というのが控訴審判決の理屈だ。
「不意打ち防止」ルールとは
控訴審でこうしたパターンの判決が下される例は時折見られる。刑事・民事を問わず、訴訟手続には「不意打ち防止」と呼ばれる基本的なルールがあるからだ。
すなわち、裁判は対立する当事者がお互いに主張と立証を尽くし、第三者的立場の裁判所が公平に判断を下すべきものだ。そのためには、攻撃・防御の観点から、相手方の主張や証拠を十分に争う機会が手続として保証されていなければならない。
当事者が問題にしていなかったり、お互いに争っていないような事実について、裁判所がこれに反して判決で唐突に問題視するとか、逆に争っている事実を何ら証拠もなく認定するといったことになれば、当事者は予想できず、主張や立証も不可能だ。
そこで、こうした事態を避けるため、刑事裁判の手続について規定した刑事訴訟法には、「不意打ち防止」の観点からさまざまな制度が採用されている。
例えば、裁判で審理の対象になるのは検察側が起訴状で犯罪の日時、場所、方法を特定し、提示した事実に限られ、これと食い違う認定をして有罪とするためには、検察側による訴因変更が必要となる、といったものだ。
また、当事者が裁判で取調べを請求する証拠については、相手方への事前の開示が求められている。それこそ、今回のように公判前整理手続が行われている事件では、起訴後、公判前に、その証拠で証明を予定している事実や主張ともども、あらかじめ相手方に開示しておかなければならない。
ドラマのように、法廷で弁護側の知らない「隠し玉」が突然飛び出し、検察側がほくそ笑む場面などあり得ないわけだ。
裁判官や裁判員が、探偵さながら、勝手に事件現場を見に行ったり、関係者に会って話を聞くといったことも許されない。必要があれば、検証や証人尋問といった正規の手続をとったうえで、検察・弁護双方を立ち会わせなければならない。
今回の事件でも、高裁は、地裁がいったん危険運転致死傷罪の成立を否定したのに、弁護側に対する十分なケアをしないまま、一転して判決で肯定したわけで、これを弁護側に対する「不意打ち」と見たわけだ。
今後はどうなるか
もっとも、そんなことなど4人死傷という結果の前では些末な話であり、危険運転致死傷罪が成立すると考えるのであれば、高裁も端的に一審判決を支持し、被告人側の控訴を棄却すればよい、と考える人も多いだろう。遺族が「前進ではなく後退。裁判がさらに長引き、結論が出るまで時間がかかると思うと歯がゆい」と述べるのも当然だ。
しかし、一方で、適正手続や裁判の公平性は憲法が要請している大原則であり、いかに卑劣かつ悪質な犯罪に及んだとされる事件であっても、これを曲げることは許されない。
とはいえ、あくまで高裁による一つの見解であり、確定したわけではないので、検察・弁護双方は異議があれば上告し、最高裁の判断を仰ぐことができる。弁護側は「理にかなっていて公正、適切だ」とコメントしており、上告しないはずだから、あとは検察側の対応次第だ。
もし上告すれば、最高裁に舞台が移る。逆に上告を断念すれば、新たに裁判員を選任し直すことを含め、改めて一審から裁判をやり直すことになる。
その際、基本的にはこれまで明らかとなった事実や証拠がベースになるし、危険運転致死傷罪の成立を認めた地裁や高裁の判断も事実上の影響を与えるが、差戻し審の裁判官や裁判員にはこれらに拘束される義務まではない。
弁護側は、4人死傷の直接的な原因はワゴン車に追突した大型トラックのドライバーによる過失だといった主張を展開しているから、差戻し審では改めて危険運転致死傷罪の成否が慎重に検討されることになる。また、懲役18年とした一審判決に対し、検察側が控訴していないため、これを下げることは可能でも、超える量刑は許されない。
服役期間も短くなる
いずれにせよ、裁判所のミスを理由とした破棄差戻しは、被告人にとってメリットが大きい。たとえ差戻し審で再び有罪となり、懲役18年の判決が言い渡されたとしても、刑務所で服役する期間が確実に短くなるからだ。
すなわち、実際に執行される刑期は、裁判所が判決で「被告人を懲役○○年に処する」と宣告した刑期から「未決勾留日数」、すなわち有罪判決の確定までに被疑者・被告人として勾留されていた日数のうち、次の2つを差し引いて算出される決まりになっている。
(1) 裁定参入分
裁判所がその裁量により、判決主文の中で宣告刑期から差し引くことを認めた日数分
(2) 法定通算分
上訴期間など、法律で必ず差し引くと決められている日数分
国家が捜査や裁判手続のために身柄を拘束し、不利益を課している以上、その部分については刑の執行を受けたものとして取り扱おうというわけだ。
宣告刑期が長くても、保釈されないまま一審、控訴審、上告審と争い続ければ、未決勾留日数も相当長くなる。裁判所がそのうちかなりの日数の裁定参入を認めると、執行刑期は宣告刑期よりも格段に短くなる。
今回の事件も、一審は懲役18年としたうえで、未決勾留日数のうち裁定参入分として260日をその刑期から差し引くという趣旨の判決となっている。
このほか、この一審判決では述べられていないが、判決日から控訴申立ての前日までの未決勾留日数は、裁判所の裁量によることなく、法律で必ず刑期から差し引く決まりだ。この日数を少しでも長くするため、控訴期限ギリギリに控訴を申し立てるというのも基本的な弁護テクニックの一つだ。
それに加え、一審判決を破棄して地裁に差し戻した今回の控訴審判決により、さらに法定通算分が増えることになる。というのも、被告人側の控訴で一審判決が破棄され、差戻しとなった場合、控訴の申立てから差戻し審での確定判決前日までの未決勾留日数がすべて刑期から差し引かれる決まりとなっているからだ。控訴審、上告審と争えば、ますますその日数も増える。
有罪判決が確定する前の拘置所暮らしと確定したあとの刑務所暮らしとでは、服装や髪型、面会や手紙のやり取り、間食の可否や所持可能物品の内容など、その自由度が大きく異なる。もちろん、後者のほうが遥かに厳しい。それこそ懲役刑だと、必ず「刑務作業」という強制労働が課される。
その意味で、法定通算分が増え、これが差し引かれ、実際に刑務所で服役する期間が短くなることは、被告人にとって大きなメリットにほかならない。今回の控訴審判決は、こうした点にも影響を与えることになる。(了)