宝塚記念と帝王賞勝ちで最後もしめたD・レーン騎手。日本競馬に対しどのような印象を持ったのか?
吹き荒れたダミアン旋風
昨夜行なわれた帝王賞(G1)を優勝したのはオメガパフューム。騎乗したのはダミアン・レーン騎手だった。
今春、短期免許で来日した当初、私が2年前に雑誌で彼を取り上げていた事に気付いた人が果たしてどのくらいおられただろう。それから僅か2ヶ月ほど。今では彼の名を知らない競馬ファンはいないだろう。それほどと思える大活躍を、いきなりしてみせたのだ。
日本競馬初参戦となった4月27日。彼は6レースに騎乗したが勝てずに終わった。
「そもそもそんな簡単に勝てるとは思っていませんでしたし、オーストラリアでもこのくらいの乗り数で勝てない日は普通にあります。だからそこは大して気にはしませんでした。初戦だけは少しナーバスになったけど、レースそのものは普通に乗れたと思います」
翌28日は同じく6レースで手綱を取るとナント4勝。更に翌々日の29日には新潟大賞典(G3)を優勝し、早くも日本での初重賞勝ちをマークした。
「ラッキーでした。こんなに早く重賞で良い馬に乗せてもらえるとは考えてもいませんでした」
名刺代わりとなったこの勝利をその後に生かした。5月12日のヴィクトリアマイル(G1)ではノームコアを駆って優勝。自身初の日本でのG1勝ちを記録すると、同月26日には日本ダービー(G1)で1番人気のサートゥルナーリアの騎乗機会を得た。
「本当に運が良かったです。どちらも調教で跨った段階で勝負になると感じました。サートゥルナーリアは負けてしまい(4着)残念でしたが、あれほど素質を感じさせる馬に乗ったのは初めてというくらい興奮しました」
そして日本ダービーそのものの雰囲気にも感じるものがあったと続ける。
「あんなに素晴らしい盛り上がりの中で乗ったのは初めてでした。今回の来日で最も印象に残ったレースになりました。日本のファンが競馬をスポーツとして楽しんでいる事は以前から分かっていたけど、正にそんな思いを感じる事の出来るレースでした」
旋風を巻き起こした彼の日本競馬に対する印象とは?
更にはJRAの最終日となった6月23日には宝塚記念(G1)をリスグラシューで制して自身2度目となるJRAのG1勝ち。返す刀で冒頭で記したように26日、大井の帝王賞(G1)をオメガパフュームと組んで優勝。僅か4日の間に中央と地方、両方のG1を優勝。地方での短期免許はまだ残っているものの、ひとまず今回の日本遠征を締めくくった。
「リスグラシューは香港で好走したレースもチェックしていました。充分に勝てる能力のある馬だと思って臨みました」
そう語るように積極的な手綱捌きを披露した。ハナを切った1番人気馬キセキをがっちりとマーク。直線では早めにねじ伏せに行き、後続の差し脚を完全に封じた。騎手の技術と馬の能力が合致しての圧勝劇だった。
ちなみにその前日の土曜日、東京競馬場では5勝をマークした。彼が勝った5レースで、2着、3着、4着と惜敗を繰り返したクリストフ・ルメールは「ミスターアンタッチャブルだね」と言うと、呆れるような表情で苦笑して言った。
「いくら追っても追いつけなかった。粘られちゃいました」
そんなルメールは父親が元障害の騎手で、自身も幼い頃からソファの背もたれに乗っかっては鞭を振り下ろしていたそうだが、レーンの出自も似ていた。彼の父マイケルは現役の調教師で、母も元調教師。だから「物心がついた時には馬に乗っていた」のだそうだ。
日本よりも馬が身近な存在の海外で、身内がホースマンとなれば、アドバンテージがそれなりにあるのは当然だろう。
ちなみにレーンは来日前に元日本馬のトーセンスターダムでG1を2勝し、同じく元日本馬のブレイブスマッシュでも準重賞を勝っていた。そのせいもあって「日本の競馬には凄く興味があり、レースをチェックしています」と、当時から語っていた。
そして、今回の来日で実際のところどうだったのかを伺うと、次のように答えた。
「想像通り馬のポテンシャルは高く、レベルの高い競馬が行なわれていました。そして、思った以上にジョッキーやファンの皆さんが素晴らしかったです。勝っても負けても多くのファンが声援を送ってくれてサインを求めてきてくれる。オーストラリアではあり得ない光景です。こんな素晴らしい日本に、是非、また戻ってきたいです」
まずはこれにて帰国となるが、まだ25歳。これからもっと経験を積んで更に上達するであろう事は容易に察せられる。次の来日ではどんな活躍を見せてくれるのか。早くもその日が楽しみでならない。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)