世界的経済学者に聞く、労働市場のマーケットデザイン【小島武仁×倉重公太朗】第3回
――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回はコロナワクチンという身近な例で、マーケットデザインについて考えてみました。アメリカのCDC=疾病対策センターの会議などで示されたデータによると、「ファイザー」のワクチンは、マイナス60~80度であれば最大半年間、2~8度だと5日間保存が可能です。一方、モデルナのワクチンはマイナス20度で最大半年間、2~8度では30日間保存できます。どちらのワクチンを使えるかは病院の設備次第です。また、ワクチンは生ものなので、一度開けると使い切らなければなりません。いつ、どの病院にワクチンを配布し、何時に封を切るべきか、経済理論で制度設計すれば、最適な配布はできるのでしょうか?
<ポイント>
・フランスの公立高校の教師は、ポイント制
・コロナワクチンを適材適所で分配するには?
・これkらは専門性がマーケットバリューされる
――――――――――――――――――――――――――――――――――
■ミスマッチ解消のアルゴリズム
倉重:今まで、お互いの希望を組み合わせるという意味でのマッチングをお伺いしてきました。日本の課題は、1回就職した後に、解雇が厳しいためにミスマッチ状態が延々と続くというところです。雇用に流動性がなく、硬直化しているという問題があります。そのミスマッチ解消のアルゴリズムはあるのでしょうか。
小島:ミスマッチ解消のアルゴリズムですね。完全決定版だと思うものは正直ありませんが、フランスの公立高校の先生の仕事を例に出しましょう。日本の場合は、公立学校の先生は都立なら都の中でぐるぐると配置転換するわけです。フランスの場合は基本的には公務員ということになるらしく、政府がいろいろなところに配置換えをします。何年か働くとポイントがたまっていきます。治安が悪いなどの理由で、先生たちがあまり働きたくないところがあるのです。そういうところはポイントが高く、しばらく働くとすごく点がたまります。
ある程度点がたまったら「配置換えしてください」と言えます。例えば「今まで少し荒れているところにいたけれども、今度は南仏のバカンスができるようなところに異動してください」と言える制度になっています。
ある意味で全体がデザインされているのです。こういうアルゴリズムを作ったときに、今いるところに残れることは保障されるようになっています。当たり前といえば当たり前ですが、配置換えを希望して、異動できなかったときに元の職場に戻ることができないと非常にまずいわけです。
そうすると皆怖くて手を挙げられなくなって、結局流動性が低くなるという問題が起こります。第1希望、第2希望、第3希望を出したけれども、どこにも決まらなかったときに、元の職場に戻れることを保証する仕組みを作っています。
倉重:なるほど。安心して希望を出せる仕組みがないと、そもそも希望を出さなかったり、保守的に「今の部署がいいです」と言ったりすることになりがちです。それでは意味がないですね。
小島:そういうことだと思います。これは仕組みの上での話ですが、何度も例に出しているGoogleでもそういう議論があったそうです。1年に3回、人と部署をマッチさせる日があることを全社的に言ったことで、自分の部署から異動する活動をしても後ろ指を指されなくなりました。フォーマルな仕組みと企業文化の両方をうまく組み合わせた事例かと思います。
倉重:企業文化も結構大きいですね。退職者に対して「いつでも戻っておいで」と言うところと「この裏切り者が」というところがありますからね。
小島:そうですね。
倉重:そういう意味では、コロナ危機において、本当に見切り発車的に始まった出向を拡大することも考えられます。出向とは、昔からある考え方で「企業間人事異動」のことをいいます。今JALやANAでは、飛行機が飛ばないので、社員の方に電気屋さんで現場の接客をしてもらっているそうです。彼ら・彼女らもまさか電気屋で働くことになるとは想定していなかったと思いますが、別に転職したわけではなく、取りあえず雇用維持をするということです。場合によっては「転職してもいいかも」と思う人も出て来るかもしれません。
出向だともとの会社と出向先の両方と雇用契約関係があるので、戻りたければ戻れます。そういう保証付きでどこかに行ってみるというのも一つの選択肢かもしれませんね。
小島:非常に面白いですね。僕は今まであまりそういう見方をしていませんでした。言われてみると全くそうだなと思います。出向の市場も人を見付けるのが結構大変だという相談を何度か受けたことがあります。人の流動性は非常に重要なマーケットだと思うので、そこはどうやって良くしていくのか考えたいと思っています。
倉重:いいですね。また新しい知見が加わったら教えてください。
小島:ぜひ。
倉重:大企業にいてそこのカルチャーしか知らない人が実際にベンチャーなどに行ってみて「こんなものの見方があるのか」と言ってまた戻って来るのもよし。そのまま力を発揮したり、行った先で転職したりするのもよし。こういうふうに選択肢がどんどん広がっていったらいいと個人的には思っています。
■コロナワクチンを適材適所で分配するには?
倉重:雇用の話をいろいろ伺ってきましたが、ご時世的に伺いたいと思っていたのは、マーケットデザインの考え方です。今のコロナは、PCR検査をできるリソースが限られていますし、ワクチンの供給量も限られています。これらをどう分配するかという考え方にも応用できるということですか?
小島:それはイエス・アンド・ノーという感じです。なぜイエスかというと、おっしゃるとおり、限られた資源を配らなければなりません。しかも先ほど言ったように医療の問題ですから、倫理的な理由で「マーケットに任せる」ということはできないので、活用の余地があります。
ノーの部分は、今まであまりされていなかったので、間に合うかどうか微妙というところです。アメリカでは、ある程度ワクチンを配るときに、経済学をしている研究者が何人か入っているという話を聞きました。そこは、アメリカによくある人種間の公平などにフォーカスした話なのです。
倉重:それは特殊な議論ですね。
小島:そうですね。僕が東大に戻って来て着任したタイミングで、東大にマーケットデザインセンターを作りました。センターで研究員をしてくださっている野田俊也さんというブリティッシュコロンビア大学の助教授が、コロナについてのマーケットデザインのアイデアを寄稿してくれているので、ぜひ宣伝してください。
倉重:はい。ここにリンクを貼っておきますね。
例えばアメリカでは「人種間で不公平がないように配る」という判断基準になると思いますが、日本ではどういう要素を考慮するのでしょうか?
小島:今はまだアイデアの段階ですが、いくつかあります。2009年のインフルエンザ・パンデミックの時に結構問題になりましたが、全員にワクチンを打つといっても、実は打ちたくない人がいたり、遠方に住んでいたり、仕事があるので平日には打てないという人がいます。
今回のコロナウイルスに対しては、ファイザーやアストラゼネカなど少なくとも3つぐらい有望なワクチンがあるわけです。そうすると、行動支援をどうするかの問題で、どこに供給できてどこに供給できないかということが変わってきます。
倉重:必要な設備などに違いがありますからね。
小島:そうです。ある分からどんどん、来た人にワクチンを打っていくと結構まずいことが起こります。アルゴリズムのようなものを使って、どのワクチンを、どの時間に、どこで、誰に打つかという組み合わせに気を付けなければなりません。
倉重:なるほど。時間帯や属性によって分けていくということですね。
小島:そうです。インフルエンザのワクチンをイメージしていただけるとわかりやすいのですが、フルタイムで仕事していると平日は打てないということがよくあると思います。
ご存じのようにワクチンは生ものですから、1回開けてしまうと一気に使い切らなければなりません。実際に、平日の午前中に大きいバイアルのワクチンを解凍したけれど、あまり人が来ないのでダメになったという問題もありました。
倉重:それもある種ミスマッチということですね。
小島:そうですね。だから今、そういうことになるのを防ぐ方法を考えているところです。
倉重:なるほど。そんなところにも応用が効くのですね。
小島:今応用させようとがんばっているところです。
倉重:すごいですね。経済学や数学は単なる理論ではなく、個別の事情をいろいろ考慮して、それを数式に落とし込んでいくという話ですよね。
小島:そうですね。僕はどちらが欠けても駄目と思っています。
倉重:なるほど。様々な社会的要素を加味して、理論を現実に生かそうとする学問的姿勢は非常にアツいなと思います。本当に私も全部理解しきれているか怪しいですが、これから非常にいろいろな分野で影響がありそうだと思えました。
■これからの若者へのメッセージ
倉重:先生は学生さんに対してもいろいろなことを教えていると思います。これから雇用市場に出る人に対して、どんなふうにサバイブせよというメッセージを送りますか?
小島:大変な時代だとは思います。私も就職したのはいい時期ではなかったですし、大変な人も多かったと思います。月並みですが、自分の好きなことをやることは大事かなと思います。研究の中にも流行りがあります。そういうものを追い求めるのもいいですが、自分の好きなことでないと続きません。単純な話ですが、そういうことは結構大事かと思います。
もう少しプラクティカルなことで言うと、日本ではまだ始まっていないような気もしますが、世界の全体の情勢として、専門性がマーケットバリューされる傾向が強まっていると思います。
昭和の時代には、一括採用で、偏差値が高い人をがっちり採用していました。
そういうところから、ある程度専門性があって、それにお金がついていくという傾向は世の中で強まっているのです。そこはいろいろなことを言う人がいると思います。例えば私は大学の教授なので、ポジショントークになります。「大学の勉強などは役に立たない」と言う人もいると思いますが、データを見るとそうではないと思います。大学である必要はありませんが、専門性をしっかり身に付けるということは大事ではないでしょうか。
倉重:なるほど。よくあるのが「好きなことをやれと言っても、何が好きかとか、どういうところに就職するのが希望かと言われても全然分からないですよ」と言う人です。先生は何といいますか。
小島:それはがんばって探すことが大事です。先ほどの話で言うと、私は自分探しの旅をたくさんして、「数学者になりたい」と思ったけれども全然無理だと思ってやめてしまいました。恥ずかし過ぎて誰にも言っていないけれども、実はボイストレーニングのクラスも取ってシンガーを目指していたこともあるのです。
倉重:シンガー!そうなのですか。!
小島:全然うまくならなかったのですぐやめました。ありとあらゆることを試してみた結果、僕自身は研究や社会が好きだから経済学者になったのです。これは一例に過ぎませんが、当たり前の話ながら、学生時代に見えている社会はすごく狭いのです。だから「これが好きだ」と思ったらがんばるのは大事だけれども、その一方で、「君はこれがやりたいと思っているけれども、実は他にも向いていることがあるかもしれない」ということを冷静に言う人が頭の中にいることが大事です。
その声を聞きながら、広くいろいろなことを試してみる。特に若い時は、そういうことをしていくことが大事だと思います。
倉重:いいですね。まさかのシンガーの話を世界初公開していただきましたが、トライして「こういうものは合わなかったな」と自分の中で最終的に納得しているわけですね。
小島:そうですね。高い音が出なかったです。
倉重:(笑)先生と話していても、マッチングの話をするときに、すごく楽しそうに話をされています。その後の人生でも、ずっと好きなことを研究できていれば楽しいはずなので、そういう人が増えるのがいいなと私も思います。
小島:正直な話、本当にそう思っています。「好き」を仕事にするべきと言う人とするべきではないと言う人がいますが、僕は好きを仕事にして良かったと思っています。
倉重:いいですね。では最後の質問になります。小島先生の夢をお願いします。
小島:私は研究者なので、研究をバリバリして、誰も発見したことがないことを見つけたいというのが個人的な野望です。もう少し社会に関係することで言うと、マーケットデザインは、時たまですが社会の制度設計に役に立つことがあります。そういう社会の役に立つような研究をしたいと思いますし、実際に使っていただけるようにがんばっていきたいと思っています。自分の発見を社会で実装してみたいです。
倉重:いいですね。ハーバード大学のアルヴィン・ロス教授からも「それは役に立つのか?」とよく言われていたそうですね。
小島:そうです。本に書いてありましたが、僕は研究が楽しくて、よくロス教授に「こういう大発見をした」と報告に行っていたのです。でも「これはどういうことに役に立つのだ」としつこく言われて、もう泣きそうになってしまいましたが、それが良かったと思っています。そういうものが夢の2つ目という感じです。
倉重:いいですね。日本の雇用マーケットの大変革の立役者になる可能性がある方だと思いますので、今後とも楽しみにしています。ありがとうございます。
(つづく)
対談協力:小島 武仁(こじま ふひと)
経済学者。1979年生まれ。2003年東京大学卒業(経済学部総代)、2008年ハーバード大学経済学部博士。イェール大学(博士研究員)、スタンフォード大学(助教授、准教授、教授)などを経て2020年より東京大学経済学部教授、東京大学マーケットデザインセンター(UTMD)所長。
専門分野は人と人や人とモノ・サービスを適材適所に引き合わせる方法を考える「マッチング理論」と、それを応用して社会制度の設計や実装につなげる「マーケットデザイン」。日本の研修医マッチング制度や待機児童問題を改善する具体的な方法の発明などで知られる。多くのトップ国際学術誌に論文を多く発表し、受賞多数。最も生産性の高い日本人経済学者とされている。また、大学内外との連携も積極的に行っている。