新年の「歌会始の儀」、お歌に託した皇室の方々の思いとは?
■令和3年の皇室新年行事
今年は最後まで新型コロナ・ウイルスに翻弄された一年となった。
皇室の方々にとっても、多くの公務が延期や中止となり、国民と触れ合う場面がほとんどない状況が続いた。
来年こそは、皇室の方々の笑顔に触れる機会が、今年より増えてほしいと願わずにはいられない。
そんな折、宮内庁から年明けのスケジュールが発表された。
まず新年恒例の行事として、天皇皇后両陛下や秋篠宮ご夫妻らが、人文科学・社会科学・自然科学の分野における、国内最高クラスの学者から専門の講義を受ける「講書始の儀」が、1月12日に行われるという。
そして、両陛下の御製(ぎょせい)や御歌(みうた)をはじめ、一般から選ばれた短歌も披露される「歌会始の儀」も1月15日に、出席者数を大幅に絞り込んで行われることになった。
その際、お歌を朗詠することから飛沫感染防止のため、担当者はフェイスシールドを着用し、席にはアクリル板を設けるという。
来年のお題は「実」。歌に詠む場合「実」の文字が詠み込まれていればよく、「実験」や「果実」のような熟語でも、「実る」のように訓読しても問題はない。
このお題、正式には「勅題」と呼ばれ、「歌会始の儀」が行われる当日に、翌年の勅題が発表される。
一般の方から選ばれたお歌の中には、中学生や高校生もおり、毎回、話題になってきた。
短歌は、日々の暮らしの中での発見や、心にふと感じた事を素直に言葉に表して表現する、日本古来の文芸であるが、俳句のような季語はない。
皇室では奈良時代から親しまれ、平安時代には和歌と呼ばれるようになり、多くの歌人によって味わい深い世界観が形作られていった。
■今年皇室の方々が詠まれたお歌
令和となって初めての「歌会始」となった今年の勅題は「望」。
天皇陛下は、幼児施設や学校などを訪問された折、子供たちの将来が明るくなってほしいと願われるお気持ちをお詠みになった。
学舎に ひびかふ子らの弾む声 さやけくあれと ひたすら望む
そして雅子さまは、被災地で出会った高校生などの若者たちが、復興のお手伝いを献身的に行っている姿に、感銘を受けたお気持ちを詠まれた。
災ひより 立ち上がらむとする人に 若きらの力 希望もたらす
天皇皇后両陛下ともに、子どもたちや若者の晴れ晴れとした明るい姿を通して、力強く平和な未来を感じたことが伝わってくる。
■秋篠宮家の内親王がお歌にこめられた思い
一方、若い皇族方で注目を集める、秋篠宮家の佳子さまは、小学生時代の思い出をたどられていた。
六年間 歩きつづけし通学路 三笠山より 望みてたどる
赤坂御用地内にある小高い丘、三笠山から、以前通われていた四ツ谷駅に近い学習院初等科の校舎へ、六年間歩いて通われていたことへの懐かしさをお歌に詠まれたようだ。
三笠山は園遊会などの映像が公開される度、天皇皇后両陛下とともに皇族方がお出ましになる、美しい芝で覆われた築山だ。名前の通り、奈良の三笠山を模して造られたのだろう。
佳子さまは弟の悠仁さまを、ご誕生以来ずっと可愛がって来られた。
平成27年には、「本」という勅題に対して、悠仁さまへの愛情を感じさせる、こんなお歌を詠まれている。
弟に 本読み聞かせゐたる夜は 旅する母を 思ひてねむる
公務で不在の紀子さまに代わって、本を読み聞かせ、悠仁さまのお世話をされる佳子さまの優しさがこめられている。
これは筆者の主観であるが、先述の小学校時代の思い出は、学校は違うものの、毎朝通学する悠仁さまのご様子を、心に思い浮かべつつ詠まれたような気がしてならない。
そして、今年の歌会始の儀で、今、誰もが心を寄せる眞子さまのお歌は、実に意味深なものだった。
望月に 月の兎が棲まふかと 思ふ心を 持ちつぎゆかな
月にウサギがいるという言い伝えを、子どもの頃は信じていたのだが、年齢を重ねるごとに、そうした想像力が乏しくなるように思われる。眞子さまは、月にウサギがいると思い続ける豊かな想像力を失いたくないと詠われているのだ。
この「月」という言葉から連想されるのは、3年前、お相手の方を「太陽」と呼び、そして眞子さまは「月」と例えられていたご婚約内定記者会見だ。
「月」はまさしく眞子さまであり、その「月」にいると信じる「ウサギ」は、幸せな未来を暗示させる。
しかし、お歌の背後に漂う「月にウサギなどいない」という事実は、今の進展しないご結婚が暗礁に乗り上げてしまった、不安感を表しているようにも感じられるのだ。
だからこそ、「月にウサギはいる」と信じたいお気持ちを、あえて強くお持ちになろうと決意していらっしゃるのかもしれない。
来年の「歌会始儀」の勅題は「実」。
眞子さまにとって、新年の「実」は、どんなお歌となられるのだろう。