カンヌ映画祭:「ウーマン・イン・モーション」ケイト・ブランシェット、ミシェル・ヨーの名言と新しい風
今年のカンヌ国際映画祭では、役所広司さんが最優秀主演男優賞、坂元裕二さんが最優秀脚本賞に選ばれるという、日本人としてはとても嬉しいニュースが聞かれました。
最高賞の「パルムドール」を獲得したのは、『Anatomy d’une chute (Anatomy of a Fall)』。フランス人女性監督Justine Triet(ジュスティヌ・トゥリエ)さんの作品でした。カンヌ国際映画祭は今年で76回を数えますが、過去に女性監督が「パルムドール」を受賞したのはたった2回。今回が3度目という快挙でした。
カンヌ国際映画祭というと、レッドカーペットでフラッシュを浴びるスターたちの華やかなシーンが連想されますが、カンヌ市内の10数カ所で毎日朝から晩まで、世界中から集まった新作映画が上映されます。鳴り物入りのハリウッド作品あり、自主制作あり。とにかく町中が映画祭一色に染まります。
期間中、スペシャルイベントとして「Women In Motion(ウーマン・イン・モーション)」が開催されました。これは、映画祭のオフィシャルパートナーである「Kering(ケリング)」が、女性の活躍の場を提供し、才能のある女性を讃えることを意図して2015年に立ち上げたもの。毎年トークイベント、そしてカンヌ国際映画祭と共催でアワードの授賞式を開催しています。
「ケリング」といえば、グッチ、サンローラン、ボッデガ・ヴェネタ、ブシュロンなどを傘下に抱えるグローバルラグジュアリーグループ。フランスでは、ラグジュアリーブランドが経済面でも、文化的にも目覚ましい活動を展開しており、「ケリング」はその一翼を担っています。ちなみに、以前ご紹介したパリの新しい美術館「ブルス・ドゥ・コメルス ピノー・コレクション」は、「ケリング」を創業したピノーファミリーのコレクションが元になったものです。
「ウーマン・イン・モーション」と、タイトルにあえて「女性」を謳うことの意義。それは、「パルムドール」に女性監督作品が選ばれたのが76回中3回ということからも明らかでしょう。この世界では女性の活躍の場がまだまだ少ないのです。
今年のアワードは、ミシェル・ヨーさんに授与されましたが、有色人種女性として2人目、アジア人女性として初めてのアカデミー主演女優賞に60歳で輝いたことも記憶に新しいのではないでしょうか。
アカデミー賞受賞時の彼女のスピーチは、女性という立場だけでなく、人種、年齢という問題も含んだダイバーシティー(多様性)への新しい扉を開くメッセージとして象徴的です。
今年の「ウーマン・イン・モーション」で、私はこの彼女をはじめ、ケイト・ブランシェット、リリー・グラッドストーンという夢のような豪華な顔ぶれのトークを直に聴く幸運に恵まれましたので、心に響いた彼女らの名言をみなさんにお届けしたいと思います。
「映画界の“女性について”のインタビューが必要なくなる日が来ることを楽しみにしています」 (ケイト・ブランシェット)
ケイト・ブランシェット
1969年オーストラリア・メルボルン生まれ
『エリザベス』(1998年公開)でゴールデングローブ賞主演女優賞受賞。『ブルージャスミン』(2013年公開 ウッディ・アレン監督作品)でゴールデングローブ賞主演女優賞、アカデミー主演女優賞受賞他、受賞多数。3男1女の母。夫のアンドリュー・アプトンは劇作家。夫妻一緒にシドニーの劇団の監督を務めたり、プロデューサーとしても活動をしている。
主演としてだけでなく、制作にも携わったドラマ『ミセス・アメリカ~時代に挑んだ女たち~』について、彼女はこう語ります。
「多様性は最重要課題」だとケイトは明言します。
華やかなスポットライトを浴びる女優のイメージが強いケイトですが、4人の子を持つ母親で庭仕事も大好き。さらに夫と共にプロデューサー業をするなど、映画制作の最初からプロモーションに至るまで、裏方としての難しさもよく知っている人ならではの言葉です。
「私が成功すれば、あなたも成功する」 (ミシェル・ヨー)
ミシェル・ヨー
1962年マレーシア・イポー生まれ
15歳でロンドンにバレエ留学。21歳でミス・マレーシア。香港映画界で活躍した後、1997年ハリウッドに進出。『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』でボンドガールに。『グリーン・デスティニー』『SAYURI』『クレイジー・リッチ』など、アクション、コメディ、文芸映画と幅広い活躍を展開し、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』でゴールデングローブ賞主演女優賞、アカデミー主演女優賞受賞。2004年からは、フェラーリCEO、国際自動車連盟会長を歴任したフランス人男性ジャン・トッド氏がパートナー。
ここ数年、業界で見た最大の変化とは? という質問に答えて、ミシェルもまた「多様性」と明言しました。
40年のキャリアを経て、ハリウッドのトップに上り詰めた彼女。60歳でますます生き生きと輝く女性の姿は、私たち日本人にとっても希望の光です。
「ネズ・パース民族の家族が、どれほど興奮してくれているかを知るのは、私にとってとても素晴らしいことです」 (リリー・グラッドストーン)
リリー・グラッドストーン
1986年アメリカ・モンタナ州ブローニング生まれ
ネイティブ・アメリカンの血をひく。
2012年から俳優として活動。『Certain Women(邦題/ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択)』(2016年公開)により、アメリカ各地の映画賞(助演女優賞)を受賞。
彼女は今回初めてレッドカーペットを歩きました。しかもマーティン・スコセッシ、レオナルド・ディカプリオ、ロバート・デニーロという映画界の大スターたちと肩を並べてです。
というのも、2023年10月公開予定の『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン(Killers of the Flower Moon)』(マーティン・スコセッシ監督作品)で、レオナルド・ディカプリオの妻役に大抜擢され、実在したネイティブ・アメリカンの女性を演じたのです。トークイベントはこの映画のプルミエ上映の数時間前に行われました。
映画は、デヴィッド・グランの同名の著書をもとにしたもの。1920年代、石油の富で豊かになっていたネイティブ・アメリカンのオーセージの人々が次々と殺されてゆく史実がテーマになっています。
彼女自身がネイティブ・アメリカンの血を引いていますが、この史実については家族から聞かされて育ったようで、撮影中にも、自分の祖母の気配を感じるようなことがあったのだとか。この役を演じることになったのは魔法の力に導かれたかのよう、とも語ります。
スコセッシ監督作品で、ディカプリオ、デニーロと共演することになった時の気持ちを尋ねられると、彼女は「アンナプルナ山を見て、(よし、あれに登らなくちゃ)と思うような感じだった」と語ります。
ヒマラヤ山脈の8000メートル級の山、アンナプルナ。ディカプリオ、デニーロとの最初の頃のテイクでは手が震えていたけれど、高山病を克服するように、次第にその震えも出なくなったと言います。
大物たちの仕事ぶり、クリエイティビティーに感銘を受けつつ、彼女自身もどんどん自分を高みへと引き上げていったことでしょう。
この映画が彼女のキャリアにどんな意味をもち、世界に発信され、長い賞レースシーズンが待っていることについてどう考えるか、という問いに対する答えは次のとおりです。
彼女自身がどんどん昇華していったことは、このカンヌの数時間でも感じられます。トークイベントで白いスーツに身を包み、思慮深げに言葉を紡いでいた女性が、レッドカーペットの上、さらに上映後の喝采の中と時間が経つにつれて、明らかに輝きを増していきました。
とかく露出の多いセクシーなドレスが多いレッドカーペットですが、彼女の衣装は胸元をきっちり覆った、どこかエキゾチックでとてもグラフィックなドレス。上質な生地が見てとれ、ファッショナブルであると同時に、ネイティブ・アメリカンという出自が作り出す彼女の独特の個性とピッタリとマッチしていて、彼女でなくては出せない雰囲気を醸し出していました。
「先住民として初のオスカーの期待」と、気の早いフランスのメディアの見出しもあながち…、と思わせるものあり。多様性がことに重要視されている今だからこそ、彼女の存在価値が光ります。
この映画でのリリー・グラッドストーンの登場は、映画界のみならず、現代社会にとって、また新しい扉を開くことになるでしょう。