デイル・ボジオ/ミッシング・パーソンズ、マイケル・ジャクソン、愛の遍歴【後編】
自伝『Life Is So Strange: Missing Persons, Frank Zappa, Prince & Beyond』を海外で刊行したデイル・ボジオへのインタビュー全2回の後編をお届けする。
前編記事ではフランク・ザッパやプリンスとの交流について語ってもらったが、今回はデイルに自らの音楽活動、マイケル・ジャクソンとの思い出、さまざまな愛の遍歴まで、じっくり訊いてみよう。
<ジョイ・ディヴィジョンやバウハウスが好きだった>
●“ミッシング・パーソンズ・フィーチュアリング・デイル・ボジオ”名義で発表した最新アルバム『Dreaming』(2020)について教えて下さい。
『Dreaming』では古いカヴァー曲と新しいオリジナル曲を交ぜることで、ミッシング・パーソンズの新旧両面を表現したかった。COVID-19のせいで、アルバムを作るのに時間がかかったのよ。カヴァー曲が多かったし、曲作りのプロセスは比較的短かったんだけどね。レコーディングが完成してからも、流通の問題もあった。アルバムを完成させてすぐに自伝『Life Is So Strange』を書き始めたし、私にとってとてもクリエイティヴな時期だった。『Life Is So Strange』や『Dreaming』は私の公式サイト(https://www.dalebozzio.today)で購入すれば、直筆サインを入れて発送するわ。
●ママズ&パパズやザ・ローリング・ストーンズからジョイ・ディヴィジョン、ザ・ザ、ピーター・ゴッドウィンまで幅広い楽曲がカヴァーされていますが、あなたの選曲ですか?
プロデューサーで親しい友人のアダム・ハミルトンから提案された曲もあるけど、どれも私が個人的に好きな曲ばかりよ。ザ・ザの「ディス・イズ・ザ・デイ」、ジョイ・ディヴィジョンの「ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート」...プロデューサーに選曲を任せっきりにはしなかった。だってそうしたら、自分の好きな曲でもう1枚アルバムを作らなくてはならないでしょ(笑)?いろんなタイプの曲を歌いたかった。ママズ&パパズの「カリフォルニア・ドリーミング」やザ・ローリング・ストーンズの「プレイング・ウィズ・ファイア」とかね。私は1950年代に生まれて、現在に至るまであらゆる時代の音楽に囲まれて過ごしてきた。ポップもソウルもニュー・ウェイヴも、すべて好きだったのよ。アダム・ハミルトンとは既に2枚アルバムを一緒に作ったし、お互いの音楽のツボを熟知しているから、作業はスムーズだった。
●ジョイ・ディヴィジョンは1970年代終わりの活動期間、アメリカではかなりマニアックな存在だったのでは?
うん、でも彼らはミッシング・パーソンズとファン層が被っていたのか、耳にすることが多かった。もちろん、その頃にはバンドは存在しなかったけど、アメリカでも知られていたと思うし、私は「ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート」が好きだったわ。
●自伝『Life Is So Strange』にはボーナス7インチ・レコードとして、バウハウスのケヴィン・ハスキンスによる「メンタル・ホップスコッチ」リミックスが付いていますが、バウハウスのことは以前から知っていましたか?
直接の面識はなかったけど、バウハウスとミッシング・パーソンズは同時期にデビューして、どちらも“ニュー・ウェイヴ”というジャンルに押し込められたから、「ベラ・ルゴシズ・デッド」とかを耳にしていた。音楽的にもヴィジュアル的にもまったく異なっていたけど好きだったし、今回ケヴィンにリミックスしてもらえて嬉しいわ。
●『Life Is So Strange』は本編の自伝はもちろん、後半に収められた詩集もあなたの感情が込められたものですね。
本に収められた詩の多くは、自分の愛する人たちに捧げたものよ。私の両親や家族、友人、テリー・ボジオやウォーレン・ククルロ...私の兄は道を踏み外して銀行強盗で刑務所に入ってしまったし、父親は暴力的になることがあった。母親は家族を置いて出ていってしまったけど、晩年は一緒に暮らすことが出来た。私はみんなを愛しているし、そんな想いがひとつひとつの詩に込められているわ。
●あなた自身だけでなく、ご家族も波瀾万丈の人生なのに驚きました。
私の母は刑務所で生まれたのよ。 大恐慌の時代で、祖母は15歳だった。獄中出産で、母は生まれてすぐに引き離されて施設に入れられた。でも母は世界で一番美しくて、エレガントな女性だった。私たち兄妹を置いて出ていったこともあったけど、恨んだりしなかった。私の人生もそうだけど、自分の意思でやっているのではなく、偉大な意思のままに動いている気がする。神様のあやつり人形みたいにね。愛する人達を大事にして、神様を信じて導かれていけば、人生はきっと良い方に向かっていくのよ。私はホテルの窓から転落して、人生のどん底を味わった。そんな経験を経てしまうと、今の生活は本当に幸せだと思う。常に勇気を持って、ハッピーに生きていきたいわね。
<テリー・ボジオやウォーレン・ククルロとまた昔のことを笑って話せる日が来ると信じている>
●テリー・ボジオやウォーレン・ククルロは『Life Is So Strange』を読んだでしょうか?
どうかしらね。事前に彼らに原稿を送ったりはしなかった。決して良い思い出ばかりではないけど、すべてが事実だし、許可を得たりする必要はないからね。彼らが私にとって大事な存在であることは変わらないし、それは一生変わらないわ。
●あなたの人生の節目において、日本が間接的に重要な位置を占めていることに驚かされます。あなたがロサンゼルスの“ホリデイ・イン”の窓から転落した1976年2月、フランク・ザッパのバンドは日本公演を行っている最中だったし、1979年5月、結婚式の翌日にテリー・ボジオはUKのツアーで日本に向かったのだとか。近年のミッシング・パーソンズには来日経験のあるメンバーが多いし、テリーは日本を活動拠点のひとつとしています。あなた自身は日本に来たことはありますか?
一度もないのよ。ツアーでもプライベートでも、いつか訪れることを夢見てきて、実現していないのが残念でならないわ。もう一生ぶん飛行機に乗ったし、日本に行く機会はもうないかも知れない。私の人生、後悔はないけど、日本に行けなかったのが唯一の悔いかもね。テリーはずっと日本が大好きだと話していたし、今では美しい日本人女性と結婚している。彼が幸せでいることをいつも祈っているわ。
●テリーやウォーレンとは連絡を取り合っていますか?
取っていないわ。テリーもウォーレンも、もう私と話そうとしないのよ。私のことが怖いのか、避けられているのよね(苦笑)。彼らはものすごい才能を持ったミュージシャンなのに、真っ正面から私と向かい合うことが出来ないのは、ちょっと滑稽に感じるわ。私がミッシング・パーソンズを脱退したことで、彼らの人生を台無しにしたと考えているのかも知れない。でも、あのままバンドを続けていたらウォーレンはデュラン・デュランに加入していなかったし、テリーもあんな凄いドラム・キットでプレイしていなかった。自立したミュージシャンとして敬意を持たれて、経済的にも豊かになったんだから、ポジティヴに捉えるべきなのにね。
●...それはとても残念です。
ミッシング・パーソンズの初期、1本のサブマリン・サンドイッチを3人で分けあっていた。『スプリング・セッションM』の歌詞を書くとき私とテリー、ウォーレンの3人で床に座って、「これはどう?」「これが良い!」とか話したのを覚えている。みんな若かったし、自分たちの殻を破って新しい表現を試みてきた。あと、かなり初期のリハーサルで、私がすごく遅刻したことがあった。髪の毛を青く染めていたか何かで遅くなったのよ。テリーとウォーレンはムッとして「遅いよ。新曲を書き上げてしまった」と文句を言っていた。それが「ウォーキング・イン・LA」だったのよ。彼らは本当に才能溢れるミュージシャンだったし、一緒にやることが出来て幸運だった。一生ずっと友人だと信じていたから、今の状況は奇妙にすら思えるし、とても悲しいわ。
●テリーとウォーレンは、どんな人たちでしたか?
2人とも天才肌のミュージシャンだったし、昔から人間として変わり者だった。私はテリーと結婚していたから、自分の伴侶を理解しようとしてフロイトなどの心理学の本を何冊も読んだわ。それが自分の歌詞へのインスピレーションになったから有意義ではあったけど、それでテリーのことがすべて判ったわけではなかった。彼らには、私が“デイルでいる”ことが受け入れられないのかも知れない。でも私は他の誰にもなれないし、自分らしくあるしかないのよ。私は今でもテリーとウォーレンのことを愛しているし、いつかまた昔のことを笑って話せる日が来ると信じている。
<とてつもなく大きかったのは...>
●ミッシング・パーソンズは高度なテクニックを持つミュージシャン達が1980年代初め、ポップな路線に転向して成功を収めたバンドでした。同時期に同じアプローチを取ったバンドにはエイジアがいましたが、テリーはUKでジョン・ウェットンと一緒に活動していましたね。
ジョン・ウェットンと彼のガールフレンドとは、1970年代の終わりに友達だったわ。テリーがUKでやっていた頃、私たちはロンドンに引っ越して、デパートの“ハロッズ”の真向かいにあるプリンセズ・コートというところに住んでいた。ジョンは私たちを愛車のアストン・マーティンに乗せて、ロンドン市内を凄いスピードですっ飛ばしていたわ。素晴らしい思い出よ。ジョンがもういないなんて信じられないわ。
●シン・リジィのスコット・ゴーハムと知り合ったのは、どんな経緯があったのですか?
もう大昔の話よ(1978年)。テリーがシン・リジィのオーディションを受けることになっていたんで、彼を通じて知り合った。私はテリーと結婚する前で、一時的に距離を置いてボストンに住んでいたから、シン・リジィがツアーで来たときに何度か会って、深い間柄になったのよ。スコットは世界を股にかけてツアーするロック・スターだし、長期的な関係を築ける相手ではないことはお互いに判っていた。だから一度だけの関係だったわ。その後、私はテリーと仲直りしたけど、どうも体調が良くないと思ったら、妊娠していることが判った。スコットは私が出産することを望まなかったし、テリーもNOと言った。それで中絶することになったのよ。私は産みたかったけど、1人で育てることは出来なかったし、中絶するしかなかった。このことは今でも悲しいし、後悔しているわ。世界中の女の子に言っておきたいのは、一晩の恋愛でも赤ちゃんが出来ることがあるし、それで傷つくのは女性だということよ。望まない妊娠や病気を避けるためにも、避妊はしておくべきだわ。...スコットとはそれから数年後、ロンドンのキングズ・ロードでたまたま出くわしたことがある。私はテリーと一緒で、「久しぶり、元気?」とか挨拶を交わして、そのまま右と左に別れた。それからずっと会っていないわ。
●テリーをシン・リジィに迎えようとしたのはもう1人のギタリスト、ゲイリー・ムーアだったそうですが、ゲイリーやバンドのシンガーだったフィル・ライノットと会ったことはありますか?
バックステージで一瞬会ったかも知れないけど、特に親しくなる機会はなかったわね。当時はいろんなバンドが世界中をツアーしていて、毎日誰かに「ハロー、よろしくね」と言っていた。もっと時間をかければ彼らのことをよく知ることが出来ただろうけど、それが出来ない時代だったのよ。
●『Life Is So Strange』にはデュラン・デュランのジョン・テイラー、ドリフ・ラングレン、モトリー・クルーのヴィンス・ニール、ラットのスティーヴン・パーシー、ジョン・ウェイトなどとの性的関係が記されていますが、特筆すべき巨根の人はいましたか?
ロック・スターではないけど、私の記憶に残っている中でとてつもなく大きかったのは、プロモーターのロブ・フアレスね。 ミュージシャンや俳優ではいろんなサイズや形をしている人がいたけど、金賞をあげるなら、ロブにするわ。
●男性のサイズは気にする方ですか?
もう20年ぐらいご無沙汰だから、もう何も気にならないわ。こういう話題も久しぶりよ。イヤね、照れちゃうじゃない(笑)。
<マドンナやレディー・ガガのファッションはワン・アンド・オンリー>
●あなたのファッションはレディー・ガガやマドンナなどにも影響を与えたと言われますが、MTVを見て「それ、私が元ネタよ!」と思うことはありますか?
MTVはほとんど見ないけど、マドンナやレディー・ガガは私でも誰でもなく、自分らしくあろうとしていると思う。それは決して楽なことではないわ。私もずっとデイルであろうとしてきて、常にそれを抑えつけようとする連中と戦ってきた。だから彼女たちを応援するし、個性的で斬新なファッションにチャレンジして欲しい。私に似たコスチュームを着ても、私になることは出来ない。私がどう頑張ってもマドンナやレディー・ガガになれないようにね。彼女たちはオリジナルだし、ワン・アンド・オンリーよ。
●アクリル製のブラはミッシング・パーソンズ時代のあなたのトレードマークとなりましたが、それは自分で考案したものでしたか?
そう、アクリル製の観葉植物用の鉢を使ってブラにしたのよ(笑)。作ってくれる業者なんていないから、ホームセンターで買ってきて、自分で作ったわ。最初はステージで歌っているとズレ落ちて困ったけどね!一時期、3枚の7インチ・レコードで大事な部分を隠したこともあったのよ。
●レコードは真ん中に穴が開いているので、大事な部分が隠れていないのでは...?
ハハハ、いちおう真ん中は覆っていたわ(笑)。7インチ・レコードはドライヤーで温めて、カーブを付けたのよ。そのままではブラにならないからね。誰のレコードだったかは忘れたわ。ミッシング・パーソンズだったかも知れないし、手近にあった誰かの聴かないレコードだったかも知れない。これはたぶん誰にも真似されたことがないと思う。フォロワーが出てくるのを待っているわよ!
●喉で“クッ”と声を出すシャックリのようなヴォーカル・スタイルはあなたの個性となっていますが、あなた自身は何と呼んでいますか?
フランク・ザッパは「君のsqueak(甲高い声)が好きだよ」と言っていたし、私もsqueakと呼んでいた。別に特別な歌い方ではないのよ。息を吸い込みながら歌うだけだからね。でも他のシンガーがやっているのは聴いたことがない。効果的な表現スタイルだと思うんだけど...実はテリーはあのスタイルを好きではなかったのよ。「それは止めてくれないか」と言っていた。でも40年経っても好きだと言ってくれる人がいるんだし、やって良かったと思うわ。
●豊胸手術の副作用で橋本病(慢性甲状腺炎)を患ったそうですが、体調はいかがですか?
今は順調よ、どうも有り難う。豊胸手術が私の身体に良くない影響を与えたことは確かね。1970年代の話だし、技術が進歩したかも知れないけど、お勧めはしないわ。私はプレイボーイ・クラブのバニーガールをやっていて、大きな胸が最強だと考えていた。それでお金を貯めて、豊胸手術を受けたのよ。今では薬は処方されていないけど、大麻を吸うことで痛みを和らげている。アメリカの多くの州では大麻は合法だし、酒やコーラ、コーヒーよりも健康だと考えているからね。
<マイケル・ジャクソンは子供みたいにはしゃいでいた>
●マイケル・ジャクソンとの思い出を教えて下さい。
マイケルとは一度も直接会う機会がなくて、電話で話しただけだった。1980年代で、彼はもうスーパースターだった。ミッシング・パーソンズの『ライム&リーズン』(1984)を手がけたプロデューサーのブルース・スウェディンに用事があって、彼のスタジオに電話をしたら、たまたまマイケルがいたのよ。彼はとても穏やかな話し方をしていたけど、「君は世界一美しい女性だ」とか、情熱的な人だった。『ライム&リーズン』のジャケットを気に入っていて、「素敵なイヤリングだね!」と言っていたわ。2つ1組で持っていて、片耳にしか付けないからもう1つをあげると言ったら、すごく喜んでいた。友達を介してクインシー・ジョーンズのスタジオに届けたらすぐ電話してきて、何度も「有り難う、有り難う」って、本当に子供みたいにはしゃいでいた。結局その後、一度も会うことがなかった。あのときイヤリングを直接渡しに行けば良かったけど、ミッシング・パーソンズの人間関係がゴチャゴチャで、心療内科にもかかっていて、あまり人と会う心境ではなかった。きっといつか会う機会があると考えていたけどね。
●その後、マイケルはあまり外界と接触を持たなくなったそうですからね。
その少し後に、彼のお兄さんのジャッキー・ジャクソンと付き合うことになったんだから人生は不思議なものよね。ジャッキーの奥さんから嫌がらせのメッセージをもらったりして、あまり大っぴらにはしなかったから、マイケルがそのことを知っていたかは判らない。...『ライム&リーズン』のジャケット写真はヘルムート・ニュートンに撮ってもらったのよ。MTVや雑誌グラビアではカラフルなイメージがあったけど、私はジーン・ハーロウのモノクロ映画を見て育ったから、白黒で撮って欲しかった。あの写真こそがデイルの真の姿だったのよ。
●1976年2月にロサンゼルスの“ホリデイ・イン”であなたを襲おうとして、あなたが窓から転落するきっかけを作った2人組について、ロサンゼルス周辺で12人(推定)の女性を殺害した連続殺人鬼“ヒルサイド・ストラングラーズ”ではないかとあなたは論じています。ケネス・ビアンキがアンジェロ・ブオノJrと出会ったのが1976年1月、彼らの“活動期間”は1977年から1978年とされているので、かなり最初期にあたりますね?
今でも思い出すだけで身震いするし、何度も悪い夢にうなされてきたわ。ホテルの従業員を装って部屋に押し入ってきた2人の髪の毛の色、鼻の形は鮮明に記憶に残っている。彼らが逮捕されたとき新聞で写真を見て、「この2人組だ!」と思った。彼らの逮捕に大きな役割を果たした刑事は引退してロサンゼルスにいるというから、話を聞いてみたいと考えているわ。
●デビー・ハリーも若い頃、テッド・バンディに誘拐されかかったと主張しているし、スターであることは危険と背中合わせですね。
彼女が無事で、本当に良かったわ。人間はいつ危険が降りかかってくるか判らない。毎日怯えながら暮らすわけにはいかないけど、自分の肩の後ろを見て、注意するのは大事よ。怖い目に遭わないようにね。
●今後の活動予定を教えて下さい。
2022年はライヴをたくさんやるつもりよ。それから私の人生についてのドキュメンタリー映画が制作される予定だわ。『Life Is So Strange』の映画版ともいえるけど、レアな映像もたくさん収録されるから、楽しみにして欲しいわね。2冊目の本も書きたいし、まだまだやりたいことがたくさんあるわ。
●今日は貴重なお話をたくさん、どうも有り難うございました!
もう飛行機に乗らないようにしているし、日本でミッシング・パーソンズのライヴをやるのは難しいけれど、アメリカまで見に来てくれたら嬉しい。“日本から来た”と言ってくれたら、手製のスパゲッティをご馳走するわ。私が生まれ育ったコンサルヴィ家はイタリアの家系で、7代前のご先祖はヴァチカンの枢機卿で、聖ピエトロ大聖堂に葬られているのよ。フランクとイタリアをツアーしたとき、墓廟を見に行ったことがあったわ。一緒に行ったテリーが「君に似ているね」と言っていた(笑)。それを聞いたフランクが大爆笑していたのを忘れられない。どうも有り難う!
【公式ウェブサイト】
【自伝公式サイト】
【関連作品】
『ZAPPA』
フランク・ザッパ初のオフィシャル・ドキュメンタリー映画
4月22日(金)よりシネマート新宿・シネマート心斎橋にて、ほか全国順次公開
公式サイト https://zappamovie.jp/