「異次元の少子化対策」に思う。
新年早々、国も東京都も少子化対策を競い合っている。
そうしたなか、小池都知事が矢継ぎ早に少子化対策を繰り出し、「「所得制限なし」の月5000円子育て支援」を表明してすぐ、「0~2歳の第2子保育料を無償化」を打ち出した。なお、月5千円の子育て支援に関しては、都知事選が行われる来年2024年1月に一括支給とのことである。折角の施策も選挙目当てと勘繰られないようにした方がよいのではないか?
18歳以下の全都民に月5000円給付、来年1月開始…初年度は計6万円一括で
(2023/01/12 22:12 読売新聞)
東京都が0~2歳の第2子保育料を無償化、全世帯対象…新年度予算案に関連経費200億円(2023/01/12 16:00 読売新聞)
こうした小池都知事による一連の少子化対策に対しては、美濃部都政が全国に先駆けて老人医療費無償化を進めた結果、国も追随せざるを得ず、後の財政非常事態宣言と現在の社会保障給付肥大化のきっかけになったのを思い出してしまう。果たして歴史は繰り返すだろうか?
それはさておき、現在の多くの少子化対策は、今生まれている子どもへのご褒美であって、この施策を呼び水に新しく子どもを持とうとする若者がどの程度増えるかが成否のカギとなるだろう。現在の日本では、第2子を持つハードルよりも第1子を持つハードルが高いので、それをいかにして下げていくのが少子化対策として重要だ。
現在の少子化対策の多くは、言ってみれば、現在婚姻し子どもを育てている家庭への補助であり、子を持たない若者(つまり結婚予備軍)や、結婚や子どもを持てなかった者、子育てが終わった家庭からの援助であるし、人によっては「子なし税」「独身税」と感じても不思議ではない。しかも、結婚予備軍の若者の負担が過重になれば、若者の結婚離れそして少子化が加速する。特に、東京都ではすでに0~2歳児の保育料は低所得世帯では無償化されているので、今回の施策は中高所得世帯向けの施策となる。低所得のため結婚も子どもも諦めた世代から見れば逆再分配でしかない。
少子化対策としては、やはり若者の雇用、所得など生活の安定を図るのが王道で、そのためには社会保障のスリム化などによる手取り所得の増加策が不可欠。若者の社会保険料負担を1万円減らせば手取り所得が確実に1万円増えるのだから、なぜ、政治家がこの問題に真正面に取り組まず、枝葉末節の対策ばかりドヤ顔で打ち出すのかが理解できない。取って配るのは対処療法に過ぎず、それだけでは豊かにはならない。
そしてこれは何も岸田総理や小池都知事だけの責任ではないが、日本の少子化対策は、実行するには30年は遅すぎた。思い起こせば1990年の「1.57ショック」がタイムリミットだったのではないか。日本では残念ながら少子化対策の端緒となったに過ぎなかったが。
日本のこれまでの少子化対策の1番の敗因は団塊ジュニアを核とする就職氷河期世代にバブル崩壊以降の日本経済・社会の矛盾を全て押し付け知らんぷりしたことにある。当時、団塊の世代が退場し、いまの就職氷河期世代が安定した雇用に就けていたら、第3次ベビーブームとまでは言わないが、現状ほどの少子化は進まなかったはずだ。
彼ら彼女らは、就職期には日本型雇用にガッチリ守られた親世代の団塊世代の調整弁にされ、不安定な雇用環境と低い所得に留め置かれ、結婚はおろか子どもももてなかった。そして今度は異次元の少子化対策で、すでに多くは出産・育児の適齢期を過ぎているため、負担だけ負うことになるし、年老いた親の面倒を見させられても、自分たちが年老いる2、30年後には、社会保障制度の持続性からも介護・福祉労働者数の確保の面からも面倒を見てもらえるか定かではない。
すでに手遅れになったいまになってから「異次元の少子化対策」とやらで主導権争いに興じるのもポピュリスト的には重要なことなのかもしれないが、戦後日本に見捨てられ、人身御供にされた就職氷河期世代をいかに助けていくのかがこれからの日本の行く末を考える上では絶対に避けては通れない課題のはずである。
一番の少子化対策は、子育て家庭に配る金額の多寡を競うことではなく、若者から必要以上に取らないで自由に使える額を増やすこと、そして戦後日本の犠牲として切り捨てられた団塊ジュニア世代の老後の保障をいかに図るか、つまりは、団塊の世代がひたすら自己保身のために実現できなかった、スリムで効率的な社会保障制度の確立にほかならない。