日本で子育てしにくい‘3低’構造とは――「自己責任」の国際データ比較
- 日本では子育て世帯に対する税控除の割合、直接給付の額、保育所の入所率のいずれもが先進国のなかで低い水準にある。
- この3低構造の根底には「家族で何とかすべき」という考え方がある。
- 家族に多くが委ねられる結果、日本の子育て世帯は国際的にみて生活が苦しくなりやすい。
教育学者・末冨芳氏の「子育て罰」という言葉は、日本の政治、社会、企業が子育てに熱心であるどころが、むしろそれに冷たいことを浮き彫りにした。政治学でもこの20年間、育児・保育を含む社会保障の分析が発展しているが、さまざまなデータからは、やはり日本の子育てしにくい構造が浮かび上がってくる。
子育てしにくい構造
大詰めを迎えた自民党総裁選挙では、菅政権が創設を打ち出した「子ども庁」や、子どもを含む家族を支援する予算増加も議論されている。
子育て支援というと、とかく低所得世帯への給付金や児童手当の増加といった直接給付が注目されやすい。しかし、こうしたバラマキは「焼け石に水」になりかねない。日本では子育てしにくさが構造化しているからだ。
以下では、これを各国とのデータ比較を踏まえて、3点に絞ってみていこう。
税控除の低さ
その第一は、税制面での優遇措置の低さだ。子育て世帯は所得税の控除によって単身者より優遇されているが、その水準は日本では決して高くない。
図1は労働所得に対する課税(いわゆる「税のくさび」)の水準を、各国ごとに表したものだ。ここでは、「子ども2人/夫婦共稼ぎ/平均的収入の世帯」(A)と「子どもナシ/単身/平均的収入の世帯」(B)で比較している。
これでみると、日本の水準は先進国のほぼ平均的なラインにみえる。
しかし、ここで注目したいのはBマイナスA、つまり単身者に対する課税率と子育て世帯に対する課税率の差である。これは子育て中であることでどのくらい優遇されるかを示している。
これをまとめたものが図2で、日本のスコアは2ポイントほどにとどまり、平均を大きく下回る。ここから、子育て世帯は確かに税制面で優遇されているとはいえ、その水準は国際的にみてかなり低いことがわかる。
給付の水準も低い
第二に、直接給付の水準の低さだ。
さきほどの税控除をふり返ると、イギリスやノルウェーなども日本とほぼ同程度で、なかにはオーストラリアのように子育て世代と単身者に対する税率の差がほとんどない国さえある。これらの国は一見、日本より子育てに関心が薄いようにみえる。
しかし、その多くは児童手当などの直接給付が日本より手厚い。つまり、子育て世帯も単身者と同じように税金を払う一方、政府からの給付でこれを補える。
図3からは、イギリスやノルウェー、オーストラリアなどが、子ども向けの予算のGDPに占める割合だけでなく、直接給付額のGDPに占める割合でも、日本を大きく上回っていることがわかる。とりわけ直接給付の多いイギリスでは、子ども1人の場合、1週間あたり最大179ポンド(約27,000円)が支給される。
日本の場合、給付の水準も低いので、税控除の水準の低さをリカバリーしにくい。
保育所に通えない
そして第三に、保育所に通える子どもの割合の低さだ。日本では税控除も給付も少ないが、国際的にみて子育て世帯が働くハードルは高いのである。
図4は、0~2歳児のうち保育所(無認可を除く)に通えている割合だ。
日本ではその割合が30%を下回っている。これより低いのはラテンアメリカや東欧が多く、そのほとんどが「先進国」であることにクエスチョンマークが付く国だ。
逆に、この点で他の水準の低さをリカバリーしているのが、お隣の韓国だ。
韓国は税控除も直接給付も最下位に近い水準だが、この項目では堂々の5位に入っている。つまり、韓国では働いても税金を持っていかれる割合が高く、政府の補助もあてにできないが、少なくとも子育て世帯が働くチャンスは日本よりはるかに多いといえる。
3低構造を支える思想性
こうしてみた時、3項目全てで高水準の国はルクセンブルクなどごく一部だけで、多くの国は2つ、あるいはせめて1つの項目に重点を置くことで子育てを支援しているといえる。例えば、イギリスは子育て世代に対する税控除の割合は低いが、直接給付と保育所でこれをリカバリーしている。
これに対して、日本はメリハリなく、いずれも総じて低い水準にとどまっている。ここでいう3低構造である。
もちろん、どの国の制度も完璧ではないし、外国のものを移植してもうまくいくとは限らない。しかし、少なくとも、制度のあり方からその国の思想性をうかがうことはできる。
例えば、アメリカでは税控除の水準は平均より高いが、直接給付は乏しい。つまり、社会保障があまり発達していないアメリカでは、子育て世帯への直接支援には熱心でないが、所得税を減額することでこれに替えている。これは連邦政府への警戒心が強く、「人の金をとれば泥棒なのに、なぜ政府が税金としてそれをすることは認められるのか」といった議論がまかり通りやすいアメリカならではの傾向といえるだろう。
一方、イギリス、カナダ、オーストラリアなど、アメリカ以外のいわゆるアングロ・サクソン系諸国では、子ども向けの予算のうち直接給付の割合が高い。これは支給されたものをどう使うかの選択を個人、あるいは親に委ねるという考え方だ。
これに対して、フランスやドイツなどヨーロッパ大陸諸国では、子どもに関する予算の割合は総じて高いが、直接給付の割合はむしろ低い。これは現金給付より教育や保育といったサービスの拡充を優先させるもので、それはそれで「国家が国民一人一人の生活をトータルで支援する」という考え方をうかがえる。
だとすると、日本の3低構造には、どんな考え方を見出せるのか。
「家族でなんとかするべき」
単純化していえば、日本政府のスタンスは「政府の補助に頼るな、税制面での優遇もあてにするな、働きたいなら自分たちでなんとかしろ」となる。
そのため、保育所の利用さえできない子育て世帯が子どもの祖父母を頼ることは珍しくないわけだが、特に都会では夫婦それぞれが実家を離れていて、それさえ難しいことも多い。
そうした場合、結局は無認可の保育所という商業サービスを利用するか、さもなくば(多くの場合母親が)仕事を辞め、生活を切り詰めながら子育てせざるを得なくなる。
デンマークの政治学者E.アンデルセンは福祉国家のあり方を国家中心の社会民主主義モデル(スウェーデンなど)、市場が大きな役割を担う自由主義モデル(アメリカなど)、家族を重視する保守主義モデル(ドイツなど)に分類した。この分類に従うと、日本はアメリカとドイツの中間と位置づけられるが、自由主義モデルと保守主義モデルの欠点としては格差が大きくなりやすいといわれる。
実際、多くの国と比べて日本では、子育て世帯の生活が厳しくなりやすい。
図5は、家計に占める子育て費用の割合を表している。このデータは実支出から児童手当などを差し引いた純額に基づいて表されている。そのため、国によっては5%を下回る国さえあるなか、日本では15%を超えている。
税控除や給付の水準、さらに保育所入所率の低さなどが子育て費用の高さを支えているわけだが、その水準は「自己責任」が通りやすいアメリカをもしのぐ。
国家としての無思想
冒頭に述べたように、「子育て支援」というとどうしても低所得世帯への支援や児童手当が焦点になりやすい。手元に何かがくる、というのが有権者に響きやすいと思っているのかもしれないし、実際にその通りかもしれない。
しかし、都市への人口流入や核家族化といった社会状況の変化を無視して、過剰なまでに家族に依拠した仕組みが続く限り、多少手当を増やしたところで(それさえ実現は定かでないが)、効果は限定的だろう。多くの国が3項目のうち2点に重点を置いていることを踏まえれば、日本の場合、手当を増加するなら、これにさらに税控除の拡張か保育所の増設がなければ、本格的な子育て支援にはならない。
もっとも、財源が無尽蔵でない以上、どこかの項目を優先させるなら、別のどこかを切り捨てることを覚悟しなければならない。それは国家としての考え方を問うものでもある。
それが提示されないまま、自民党総裁選挙や野党の対案において、給付だけが一人歩きしやすい点に、日本における子育てのしにくさの根深さを見出すことができる。
家族は子育ての基本だとしても、それに全てを委ねてやり過ごそうとする姿勢は、国家としての無思想にもつながる。国家としての再生産の危機を打開する考え方を示さないまま、「国家百年の大計」など語ってもらいたくないのだが。