『週刊文春』編集長が現場をはずされた10月8日会議での社長と現場の緊迫応酬
総合週刊誌トップを続ける『週刊文春』の新谷編集長が突然現場をはずされてから約1カ月がたった。同誌10月8日号に掲載されたカラーグラビアの春画が、文藝春秋・松井社長の反発を招いてしまったのだが、当時、もっぱら春画ブームと性表現の問題として議論されたこの問題、その後いろいろなことが判明しつつある。
この問題が編集部に説明されたのは10月8日(木)の会議だったが、その日の会議には松井社長や役員が突然参加し、編集者らとやりとりが行われた。現場がその時どんな反応をしたのかはこれまで全く知られていなかったが、発売中の月刊『創』12月号に「『週刊文春』編集長『休養』編集会議での社長と現場の緊迫応酬」と題して詳細なやりとりが掲載されている。少し紹介しておこう。考えてみれば当然のことだが、社長からの説明に対して、現場からは反発の意見が出て、緊迫した応酬がなされたのだった。
『週刊文春』は家に持って帰れる週刊誌という方針でやって来たのに、今回のグラビアはその信頼関係を傷つけた。そういう趣旨の説明を社長が10分ほどした後、集まっていた編集者や記者との議論になったのだが、最初に発言したのはグラビア班のデスク。そして次に女性デスクが発言した。
《次に手を挙げたのはある女性デスク。ここから部会はより緊張感を増していく。
「私たちデスクも昨日知らされ、大変驚くとともに、いまだ納得できないでいます。
その上でお聞きしたいことがあります。今回、読者や作家からクレームなど、春画を問題視する声はあったのでしょうか。あったならば具体的に教えて下さい。それが今回の休養という処分の判断基準になったのかどうかも教えて下さい」
女性デスクの目は血走っていた。自由闊達な出版社とはいえ、社長に物申すのは緊張を強いられるのだろう。最後まで声は震えていた。》
《次に挙手したのは中堅デスクだった。
「これは更迭という意味なのでしょうか」
彼の目にもやはり猜疑心が漲っている。
「違います! あくまで休養です。新谷君には3カ月休んで、また戻ってきてもらいます」
「ほかに理由があるのではないでしょうか」
「他に理由?」
松井は一瞬気色ばんだようにも見えた。
「そんなものありません。春画が『週刊文春』のクレディビリティを毀損したと私が判断した、それがすべてです」
社長の強い口調に座は凍りつくようだった。だが、その重苦しい空気に怯むことなく、次々と部員たちは手を挙げ始めた。》
《「これまで編集権は編集長に帰属するという不文律があったはずです。今回の判断は、経営陣による編集権への介入と取ってよいでしょうか」
ストレートに社長に切り込んだのは中堅社員である。
松井はより一層声を高くして切り返した。
「編集権は編集長にあります。ただ、人事権は経営陣にあります!」》
《続いて出たのは「処分ではないのならば、3カ月というのはどういう基準なのでしょうか」という質問だった。》
やりとりはまだ続く。ここに全文引用はできないので詳細は『創』の特集記事を読んでいただきたいのだが、NHKの「クローズアップ現代」やらせ問題など、数々の問題を発掘し追及してきた『週刊文春』だから、現場は当然、ジャーナリズムのあり方をめぐってもそれなりの経験と見識を持っている。だからその日の議論が、社長と現場という関係でなかったら、もっと紛糾した可能性もある。
(ついでながらその記事で一部、10月8日の日付を6日と誤植している箇所があることをお詫びしたい)
そのレポートを執筆したのは『創』のスタッフでなく外部の人間で、当日の文春社内の経緯については正確なはずだが、この事件の評価や総括については、私とは少し見方が異なる。例えば、『週刊文春』では新谷編集長をはずした3カ月間、他の編集者でなく、幹部役員が編集長業務を代行するという措置をとった。これも現場には反発を招き、経営の介入と受け止められたようなのだが、私が関係者に聞いた印象では、どうもそうではなく、新谷編集長を必ず3カ月で戻すというために役員が兼務という異例な形にしたというのが会社側の思惑らしい。ただ、この措置を含めて、今回の『週刊文春』の問題、ジャーナリズムに関わるいろいろな問題を提起しているように思える。
今後の問題は、残り2カ月となった「休養」という名の謹慎期間を経て、新谷編集長を無事に現場復帰させることが可能かどうかだろう。『週刊文春』がこの何年かスクープを連発し、他誌をしのぐ圧倒的なパワーを誇示してきたのは確かで、雑誌ジャーナリズムの世界への新谷編集長の貢献度を考えれば、それが今回の事件を機に頓挫ということになってしまうのは何としても残念だ。そうならないような対応を、ぜひ文春上層部にお願いしたい。
なお『創』12月号の内容については下記を参照いただきたい。