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人はなぜ伊藤美誠の「補欠拒否」に怒るのか メディアによる幻想が生み出した錯誤

伊藤条太卓球コラムニスト
伊藤美誠(スターツ)(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

パリ五輪のメンバーから漏れた伊藤美誠選手が、会見で「私はリザーブ(補欠)には向かないかなって思ってます。なので、たぶん行くことはないと思います」と語ったことが話題になった。

発言の感想を聞かれた渡辺武弘・女子監督が「言ってましたね」と爆笑したことも伝えられ、いかにも伊藤選手らしい奔放な発言として微笑ましく報道されたが、SNSなどで一部(2割程度の印象)の人たちが過剰に反応し、「自分勝手だ」「何様?」「これまでリザーブのサポートを受けて活躍できたのだから行くのが筋だ」などの批判が見られた。

えてして批判する人の声の方が大きいため、実際の比率は見かけより少数だと思われるが、なにしろ母数が大きいので、相当数の人が伊藤選手の発言に憤りを感じたものと思われる。

これに対して、「伊藤選手の発言は、プレースタイルが独特であるために練習相手に向かないという意味であり、我がままで拒否しているわけではない」とする擁護も見られた。

その通りなのか、単純に行きたくないのか、伊藤選手の真意はわからないが、仮に単純に「行きたくない」だったとしても、それを批判するのはそれこそ筋違いである。

もちろん、他に選手がいない状況なら、行かないのを批判されても仕方がないが、実際には行きたい選手はいくらでもいる。将来の出場に備えて会場の雰囲気を知るためとか、刺激を受けて自らを奮い立たせるためとか、選手をサポートできることを光栄に思って総合的に自分のためになると思い、自分の練習を長期間休んででも行きたい選手はいくらでもいるのである。

また、リザーブ選手は、確率が低いとはいえ、正規の選手が故障や病気となった場合には出場しなければならないから、相応の実力が必要であるが、この点も、幸い現在の日本女子のトップ層は実力が拮抗しており、やはり「いくらでもいる」状態である。

伊藤選手が辞退したら、代わりに行けることになった選手が喜ぶだけのことであり、落胆したり憤ったりする関係者など誰一人いるはずもない。だから渡辺監督は笑っていられたのだ。

卓球は個人競技であり、伊藤選手はプロである。プロ選手は自らの選手生活にとって有益ではないと思ったことをする必要はない。他の選手に奉仕をする義務も動機もない。すでに2度も五輪を経験し、今回は五輪を逃したものの新たな目標に向かって始動している伊藤選手が、リザーブに行くメリットがないと考えたとしてもなんら不思議ではないし、そう考えて行かないのは単純にビジネス判断である。その判断に対して、コーチでもスポンサーでもなく、彼女の選手生活に何の責任も持たない人が意見を言うこと自体が筋違いなのである。

プロ選手としてのビジネス判断だと言われても、そこに釈然としないものを感じる人がいる背景には、選手同士の人間関係に関してメディアが作り上げた幻想があると考えられる。選手同士がお互いに仲が良く深い絆で結ばれている、そうでなければならないという幻想である。

人には、自分が好ましいと思う人間たちがお互いに親しく敬意を感じていて欲しいという願望がある。メディアはこの大衆の願望に応えて、ことさらに選手同士の「チームワーク」や「結束力」を強調する。特に視聴者の注目を集める女子選手についてそれが顕著だ。

そうした幻想にもとづいて、彼女らに学校の部活動や職場といった共同体を重ね合わせ、義理や敬意といった人間関係に強いモラルを求める一部の人が怒りを感じたのが、今回の騒動であったと考えられる。

東京五輪での石川佳純(左)と平野美宇
東京五輪での石川佳純(左)と平野美宇写真:ロイター/アフロ

実際には、卓球は個人競技なので、選手たちは団体戦の試合中以外は基本的に敵同士である。下手をすると、団体戦の最中でさえもその人間関係は怪しい。

かつて日本が世界を制覇し、世界チャンピオンを続々と輩出していた時代、ある選手は、団体戦の最中でもチームメイトの試合を応援しながら内心では「負けろ、負けろ」と思っていたという。自分が勝ってチームの勝利を決めたかったからだ。その2人は同じ大学で普段練習をしていた間柄だったのにもかかわらずである。それくらい強烈な競争心と自負心があったからこそ強くなったとも言える。

また世界チャンピオンになったある選手は、ライバルであり大学のチームメイトでもあった選手のノートを偶然見たら自分に対する対策がびっしりと書き込まれていて驚いたが、実は自分も同じことをしていたというエピソードもある。

例外はあるにしても、良くも悪くもこれが卓球のトップ選手たちの実像なのである。

まして、現在のトップ選手たちの多くは異なる母体に属し、コーチも練習場所も練習相手も別々で、試合のときだけ顔を合わせる間柄だ。ダブルスは当然、一緒に練習することがあるが、シングルスは勝てばよいだけなので、一緒に練習をする必要などさらさらない。団体戦の期間中でさえも、コート外では別行動であることも普通だ。

もちろん、団体戦の試合中は献身的にお互いをサポートし、応援やアドバイスをする。チームメイトの勝利はチームの勝利であり、自分の勝利になるのだから当たり前である。彼女らの試合中の信頼関係は強固なものだが、それは通常の人間関係ではなく、ビジネスパートナーとしてのそれなのだ(考えもみて欲しい。彼女らはダブルスを組んだ直後にシングルで対戦したりもするのだ)。こういう点では、卓球選手たちは舞台やドラマでだけ顔を合わせて親友を演じる俳優のようなものと言えるかもしれない。ところが観客は、彼女らの様子にそれ以上の何か、すなわち「チームワーク」や「深い絆」といった「見たいもの」を見て、一緒に勝利を喜び感動に涙する。

こうした幻想は大衆の卓球への関心の高さに大きく貢献しており、卓球界にとって素晴らしいことだが、その副作用として、今回の伊藤選手への批判という錯誤を招いてしまったと言える。筋違いの批判にさらされた伊藤選手には気の毒だが、それだけ幻想が強固に定着していて人々の関心も高いということであり、卓球もここまで来たかと感無量である。

卓球コラムニスト

1964年岩手県奥州市生まれ。中学1年から卓球を始め、高校時代に県ベスト8という微妙な戦績を残す。大学時代に卓球ネクラブームの逆風の中「これでもか」というほど卓球に打ち込む。東北大学工学部修士課程修了後、一般企業にて商品設計に従事するも、徐々に卓球への情熱が余り始め、なぜか卓球本の収集を始める。それがきっかけで2004年より専門誌『卓球王国』でコラムの執筆を開始。2018年からフリーとなり、執筆、講演活動に勤しむ。著書『ようこそ卓球地獄へ』『卓球語辞典』他。NHK、日本テレビ、TBS等メディア出演多数。

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