原爆は落ちたのではなく落とされたけれども
原爆は自然現象ではなく、人が落とし、人が爆発させた。しかし、私たちは恨みではなく、未来への希望を持とうとしている。
■再び問われるオバマ大統領の広島演説
広島原爆兼備の今日。広島を訪問した際のオバマ演説が、再び問われています(被爆者 オバマ氏へ怒りと願い)。
オバマ大統領は、「核なき世界」に向けた国際社会への働きかけによって、ノーベル平和賞を受賞しています。しかし広島、長崎の原爆投下に関しては、日米双方に意見があり、様々な感情があると思います。
オバマ大統領訪日に際し、日本は、アメリカに謝罪を求めていませんでした。だからこそ、大統領の広島訪問が実現したとも言えるでしょう。
オバマ大統領は、広島でのスピーチを叙事詩のように始めています。
「71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです」。
しかしこの言葉に対して、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)は「あたかも自然現象のような言葉で、米国の責任を回避する表現だった」と指摘し、疑問を表しました。
被害者のお気持ちは、当然だと思います。ただ、オバマ大統領の言葉は、文学的な表現であり責任回避ではないようにも思えます。しかし同時に、アメリカの国民感情を考慮し、アメリカを悪者にはしなかったとも言えるでしょう。
■過ちは繰り返しませんから:未来へ向かって
広島の有名な原爆死没者慰霊碑の言葉「安らかに眠って下さい。過ちは 繰返しませぬから」に対しても、一体誰の過ちなのかはっきりしないという批判が以前からありました。
原爆は、落ちたのではなく、明らかに落とされました。原爆は自然現象ではなく、人間が落とし、人間が爆発させました。それは、広島長崎の人々も、オバマ大統領も、よくわかっていることでしょう。原爆投下は、歴史によって裁かれなければなりません。
「人間は、雨に降られた時よりも、特定の誰かに水をかけられた時の方が、深く傷つきます。落ち込んだり、怒ったりします。その怒りが、勇気ある正しい行動を生むこともあれば、復讐の連鎖を生むこともあるでしょう」(困った人との付き合い方:嘘つき、自慢屋、乱暴、失礼な人たちとの人間関係の作り方:Yahoo!ニュース個人有料:碓井)。
碑文もオバマ大統領のスピーチも、未来志向です。大統領演説の主語は「We」ですが、碑文の主語も、「私たち」であり人類全体だとされています。原爆は自然現象ではありませんが、広島の原爆資料館を見ても、「アメリカにやられた」というメッセージは、感じません。
大統領は「(広島を)核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地としなければならない」とスピーチを結びました。
私たちは「罪」を犯し、失敗し、過ちを犯します。原爆のように人類史に残るような過ちから、ちょっとした人間観関係のすれ違いまで。私は人を殺したことはありませんが、私の目や口が、誰かの心を突き通したことは、あるでしょう。私もまた誰かを傷つけ、誰かに許されています。
被爆者の怒りと悲しみは、当然です。その怒りと悲しみと願いが、世界に伝わりますように。心が言葉を生みますが、また言葉は心を生みます。そして、言葉は行動を生みます。
オバマ大統領のあの感動の言葉から、反核の心と平和への希望と、さらに実際の行動が、世界中で生まれますように。