投資信託の実演販売
金融機能は目に見えません。しかし、住宅が見えているから、見えない住宅ローンが成立し、大切な我が子の顔が見えているから、自分に対する死亡保障が成立するのです。では、投資信託において、何が見えているのでしょうか。
虚業の金融が成立するわけ
誰しも欲しいものがあるからこそ、ローンを利用します。一般に、住宅購入等の消費目的には正の価値がありますが、その実現にローンが利用されるときは、利息の支払いという負の価値を発生させるのですから、差し引きしても正の価値が残るときにのみ、ローンは利用されます。資金不足でローンの利用が不可欠だとすれば、確かにローンにも価値があるように思えますが、それは錯覚で、価値は消費目的だけにあり、ローン自体に価値はない、あるいは負の価値しかないのです。
同じことは、ローンに限らず、金融一般についていえます。金融機能のみによっては何も価値を創造できないという意味では、金融は確かに虚業です。しかも、金融機能は決して目に見えません。ところが、金融機能を使って実現されるものには価値があり、住宅ロ-ンにおける住宅のように、はっきりと目に見えます。故に、金融は虚業でも成立するのです。
見えない保険から、見える事故処理へ
例えば、自動車保険は、事故による損失の金銭補償という金融機能を目的としたものですが、顧客の立場からすれば、事後的な事故処理費用の清算よりも、事故の渦中における適切な処理のほうが圧倒的に重要な課題ですから、保険会社として、顧客本位を徹底していけば、金銭補償という金融から、事故処理という非金融へと、軸足は自然に移動していきます。
また、営業戦略としても、見ることのできない概念としての保険機能より、生々しい具体性をもっている事故処理を強調するほうが便利ですし、何よりも、保険そのものにおいては他社との差別優位を競う余地が極めて小さい以上、事故処理能力を競うようになるのは理の当然です。
顧客による価値創造
損害の金銭補償という金融機能は、失われたものを回復するだけですから、何ら新しい価値を創造していません。より重要なのは、自動車保険などの損害保険では、事故の実績に応じて保険料が変動するので、保険料は、契約者が事故を起こさないように努めれば下がり、逆に事故を起こせば上がることです。
こうして事故と保険料の関係が顧客に見えていることは、実は、事故の抑制という社会的価値を創造していて、そこに自動車保険の真の意義があるといえます。しかし、その価値が創造されるのは、損害保険という金融機能によってではなく、顧客の自助努力によってなのです。
高度な生命保険の営業
生命保険の死亡保障においては、契約者である被保険者にとって、保険料の支払いという不効用は目に見えて明瞭であるのに対して、その対価として得られる保障は目に見えない抽象概念であって、保障が保険金として具現化するときには、自分は死んでいて、その有意義な効果を見ることはできないのです。
故に、生命保険の営業とは、顧客の理性の働きを促して、目に見えない保障の必要性を理解させることになりますが、それだけでは不十分で、多少とも感性に訴える要素は不可欠なのであって、真の営業の技術は、むしろ、理詰めの説得を超えた工夫にあるのだと考えられます。
その工夫の代表は、保障が実際に機能した実例の紹介です。例えば、頭では保障の意味を理解していても、感情的には乗り気でなく、それでも渋々と契約した顧客がいたところ、不幸な事故により死亡して、幼い子供を抱えた未亡人から大変に感謝されたという事例を紹介すれば、同様に躊躇している見込み顧客は、自分自身の幼い子供を直ちに想起することで、生々しい実感をもって保障の意味を体得するわけです。
金融機能の実演販売
消費の多様化と高度化が進むにつれて、かつてない高度な機能を備えた新商品が多方面で大量に投入されるようになりましたが、いかに新しく優れた機能でも、その優位性が消費者に明瞭に見えなければ売れません。そこで、テレビの通信販売に加えて、インターネット上の動画という新形態の実演販売が多用されるようになったわけです。
この構図は金融と全く同じで、金融は、いかに重要な機能を演じていようとも、その効果が顧客に見えなければ売れないので、実演販売と同じ仕組みを必要とします。例えば、この家が住宅ローンの利用によって購入されたという具体的な事実こそ、住宅ローンの機能を端的に示すものであり、それだけによって住宅ローンは成立するわけです。
そして、かつては、真の生命保険の営業とは、実演販売の高度な技術によって、死亡保障の必要性を目に見えるように描き出すことだったのであり、今や、自動車保険の営業は、事故処理や保険料の無事故割引の実績を使った実演販売にほかならないのです。
投資信託において見えるもの
金融の最も重要な機能は、時間の調整です。つまり、人の生活においては、常に手元資金の過不足が生じていて、差し迫った使途に対して資金が不足するときには、資金調達の需要があり、逆に、差し迫った使途のない資金が滞留するときには、資金運用の需要があるわけであって、金融は、顧客の資金の過不足を時間軸上で平準化するために、ローンによって資金調達の需要に応え、投資信託によって資金運用の需要に応えているのです。
さて、ここでの難問は、住宅ローンにおける住宅に該当するものは、投資信託においては何なのか、また、住宅ローンの営業とは、住宅購入の実演であるのに対し、投資信託の営業とは、何の実演なのかということです。別のいいかたをすれば、住宅ローンでは住宅が見えているのに対し、投資信託では何が見えているのかという問いです。
投資信託の目的
投資信託において、顧客の見るべきものが運用成績であるとすれば、その目的は投資収益を得ることになります。同様の論理をローンに当てはめれば、ローンの目的は利息を払うことになり、非常識な帰結を生じます。また、投資収益の利用目的もなく、端的に投資収益を得ようとすることは、投資ではなく投機です。
投資信託が常識に適う投資であるためには、投資収益を得る目的を必要とします。実際、資産運用を業務として行う投資家においては、必ず投資収益の利用目的があります。それは、例えば、年金基金であれば給付原資の形成であり、金融機関であれば資金調達費用を超過する純利益の創造であり、学校法人であれば事業費の捻出であり、個人富裕層であれば生計費の稼得です。
では、投資信託を使って、投資収益を得る目的は何か。金融庁は個人投資を資産形成と呼ぶのですが、投資信託は資産形成に使われる重要な道具です。ローンの目的は、利息を支払うことで、より早く消費することですが、資産形成の目的は、逆に、消費時期を遅らせることで、投資収益を得て、より豊かに消費することです。より豊かな消費とは、預金によっても購買力は保存できますが、投資信託を使えば、投資収益によって購買力を強化できるという意味です。
投資信託の実演販売
3年後に自動車を買い替えるために用意している資金を運用するとき、ある投資信託で使うと、最悪の場合には中古の軽自動車になり、最良の場合には高級車に化けると期待され、別の投資信託を用いると、最悪の場合にも今の車と同じ格のものが買え、最良の場合には一つ上の格になると期待される、こうした説明こそ、投資信託の実演販売にほかなりません。
これに対して、2019年6月、金融庁は、かの有名な2000万円報告書を公表し、豊かな老後生活のためには、公的年金に加えて、2000万円の資産形成が望ましいと述べたことから、公的年金だけでは貧しい老後生活しか送れないとする解釈が引き出されて、政治問題を起こしたのですが、それは、実演販売の能力を欠いていたために、豊かな老後生活の絵を描き得ず、逆に、国民に貧しい老後の絵を描かせてしまったからです。
国民は、貧しい老後生活の絵のもとでは、老後の不安にとらわれて、最低限の購買力保存手段として、預金を選好します。これは、経済合理的な行動であって、巷の自称専門家がいうように、金融知識の欠如によるものではありません。投資信託の課題は、投資教育などでは決してなく、豊かな老後生活の実演なのです。