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[訃報]ハード・バップを開拓しファンキーなピアノで魅了したホレス・シルバーさん逝去

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家

Pianist and composer Horace Silver, who created a rhythmic jazz known as "hard bop" that combined R&B and gospel to go along with his eclectic style of piano playing, has died at age 85, his son confirms.

引用:Jazz Pianist, Composer Horace Silver Dies At 85|the two way breaking news from NPR

ホレス・シルバー『Tokyo Blues』
ホレス・シルバー『Tokyo Blues』

“ハード・バップ”と呼ばれるリズミックなジャズを創出し、R&Bやゴスペルなどを折衷して独自のピアノ・スタイルを確立したホレス・シルバーさんが亡くなられました。享年85歳。

1928年米コネチカット州ノーウォーク生まれ。「アフリカ系ポルトガル人の系譜でカーボベルデ人の父にアイルランド人とアフリカの混血の母を持つカーボベルデ系アメリカ人の出身」(引用:Wikipedia)という血筋が、彼の音楽性に色濃く反映されていると言われています。

カーボベルデとはアフリカ大陸の西にあるバルラヴェント諸島とソタヴェント諸島からなるカーボベルデ共和国のことで、メロディを重視したポルトガルの影響が強いパルラヴェント諸島と、リズムを重視するアフリカ色の強いソタヴェント諸島という、異なる音楽性が存在しています。この地は奴隷貿易の重要な港として活用されたため、カーボベルデの音楽はアメリカ大陸に送られたアフリカンにとってルーツ的な意味合いをもち、とくにカーボベルデ人にとってはアイデンティティに等しいものと言われています。

つまり、音楽を重要なアイデンティティと考える父親のもとで育った彼は、幼少期から音楽的な環境にあったと言えます。

10代のころはブギウギやブルース、さらに当時最先端だったバド・パウエルやセロニアス・モンクらのビバップなどいろいろな音楽に興味を示し、ピアノとサックスを始めます。やがてコネチカットの州都ハートフォードでピアニストとして活動するようになり、そのプレイがスタン・ゲッツの目に留まって、本格的にジャズ・ミュージシャンとしてデビューしたのが1950年のことでした。

1951年にニューヨークへ進出し、1952年と53年にアート・ブレイキーを加えたセッションを録音。ここからハード・バップの時代が始まったと言っても過言ではありません。

また、1965年リリースの『ソング・フォー・マイ・ファーザー』収録の「ソング・フォー・マイ・ファーザー」は、ブラジル・ツアーで体験したカーニヴァルのリズムをヒントに、カーボベルデの音楽を融合させた“アフリカン・アメリカン音楽の結晶”として、その後の多くのミュージシャンたちにもリスペクトされる曲になっています。

♪Horace Silver Quintet- Song For My Father

1968年デンマーク・コペンハーゲンでのライヴ映像。ホレス・シルバー・クインテットのメンバーは、ビル・ハードマン(トランペット)、ベニー・モウピン(テナー・サックス)、ジョン・ウィリアムス(ベース)、ビリー・コブハム(ドラム)です。“人心連合プロジェクト”直前のアコースティックなファンキー・ジャズながら、モウピンのソロはだいぶハード・ブローイングしているあたりが聴きどころでしょうか……。

ご冥福をお祈りいたします。

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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