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「源氏物語」は密通の物語、だからまひろと道長も……大石静が自己分析する「光る君へ」が高評価だった理由

木俣冬フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人
大石静さん 写真提供:NHK

大河ドラマ「光る君へ」(NHK)も残すところあと2回。

当初は視聴者にとって馴染のない平安時代を題材にした大河を不安視する声もあったが蓋を開けてみたら好評。視聴者の興味を掴んで離さない面白い脚本を書いた大石静さんが執筆を振り返った。

インタビューの概要

◆望月の歌の解釈 

◆賢子を道長の子にした理由

◆紫式部と清少納言の違い

◆オリジナルキャラ・直秀、周明、双寿丸の役割

◆戦国時代と平安時代との認識が変わった

「光る君へ」はなぜ高評価だったのか

大石静さんは取材場所に、「光る君へ」のスタッフTシャツを着て現れた。スタッフが描いた登場人物の似顔絵がたくさん並んでいて、チーム「光る君へ」の結束力を感じる。ほかにも乙丸役の矢部太郎さんが描いたものもあるそうだ。

最終回まで脚本を書き終えて、気分爽快なのかと思ったら「ちょっとつまらない気分です」と大石さんは答えた。

「ワーカーホリックなので、執筆作業は苦しかったですが、一つの目標に向かって走り続けている時間が素敵に思えて、それが終わってしまうと、全然幸せじゃないなと思って。年明けから手をつけようとしていた仕事にとりかかりはじめてしまいました(笑)」

「光る君へ」の執筆を通して、それまでまったく知らなかった1000年前の平安時代のことを知ることができて良かったと振り返る大石さん。それは視聴者も同じである。

「源氏物語」「紫式部」「藤原道長」というようなワードは知ってはいても詳しくない人も少なくない。当時の記録もあまり残っておらず、霞のかかった部分を大石さんがオリジナルストーリーに仕立てていった。終盤では、道長(柄本佑)が詠んだ「望月の歌」の解釈にこれまでの一般的な説とは違う説を採ったことに注目が集まった(第44回)。

「歌に対する解釈は私のアイデアというよりは学者の先生がたの解釈です。解釈にもいろいろあり、最も有名なものは道長の傲慢を象徴しているというものですが、それには明確な根拠がありません。この歌を書き残しているのは藤原実資(秋山竜次)の『小右記』ですが、そこには道長は大変機嫌が良く、彼の歌をみんなで唱和したことと月が綺麗であったと書いてあります。実資は時々道長に批判的であったりしますが、この夜の記録に批判的な気持ちは感じられません。当時の貴族たちのなかで道長を『いい気なもんだ』と思った人は、ほとんどいなかったのではないでしょうか」

望月の歌の解釈 道長を『いい気なもんだ』と思った人はほとんどいなかったのではないか

宴の日、道長は、3人の娘を天皇の妻にして、絶頂期にいたとされる。

「『光る君へ』のオリジナルの部分は、3人の娘たちがみんな父に批判的であることです。宴の直前、道長は娘から冷たい反発の言葉を突きつけられます。その前には、親友であるはずの公任(町田啓太)から、左大臣と摂政を兼務し、いつまでも陣定に出ることを批判され、大臣を辞するように言われます。道長は孤立していました。その寂しさと虚しさのピークで、道長はあの歌を詠んだのだと思います。時代考証の倉本一宏先生は酩酊した道長が冗談半分に『良い月だし、俺って偉いよね』みたいな歌を詠んだのではないかとおっしゃっており、京都先端科学大学の山本淳子先生は、ただ今日は良い夜で、いい気分だなぐらいのニュアンスであろうとおっしゃっています。先生方のご意見をふまえた上で、私たちのチームは、道長は虚しい想いに苛まれながら、今日だけはよい夜だと思いたい、という気持ちであの歌を詠んだということにしました」

道長の虚しさを理解できるのはまひろ(吉高由里子)だけというふうに大石さんは書いた。ふたりが抱く「虚しさ」という感情は「光る君へ」全体に通底している。

「すべての人は虚しい人生を生きていると私は思うんですよ。瞬間瞬間には素敵なことはあるし、それに励まされて私たちは辛い仕事も乗り越えることができます。でも基本、意に反して生まれ、意に反して死ぬ人間は悲しく虚しい存在です。とりわけ、道長のように頂点に立った人ほど、思うようにならないことは多いでしょうし、虚しいだろうと想像します。紫式部は、道長のみならず、すべての人の虚しさを描き、道長もそれを理解し、俺の人生も思うようにいかないけれど、今日だけはいい夜だと思いたいと願いながら、まひろと視線を交わし合いました。ふたりには互いの気持ちがわかるからです」

三つの密通を書いた紫式部自身も密通していたらよいのでは


まさに、大石さんが当初より語っていた「ソウルメイト」ならではの強い心のつながり。「光る君へ」が挑戦的であったのは、ふたりを子どもまで成す仲として描いたことだ。賢子(南沙良)がふたりの子どもであったという大胆すぎる展開だが、そこには確かな根拠があった。

「『源氏物語』では、藤壺と光源氏、女三宮と柏木、浮舟と匂の宮と、三つの密通が物語の軸になっています。光源氏は父を裏切り義理の母・藤壺と密通しますが、その罪が自分に返ってきたかのように、やがて嫡妻・女三宮に密通されるという屈辱にあいます。世代を超えた三つの密通をあえて紫式部が書いたとしたら、作者自身も密通していたらよいのではないか。と思い、チーフ演出の中島由貴さんや制作統括の内田ゆきさんと、初期の頃から何度も議論し、ヒロインの密通を決意しました」

大石さんは、ラブストーリーを主軸にこのドラマを書いたつもりはないと言う。にもかかわらず視聴者の多くは、前半は身分差の恋を、後半はふたりの道ならぬ恋のストーリーに注目した。

「まひろと道長の場面は台本で本当に少ないのです。全体の5分の1もないと思います。ほとんどが内裏の権力闘争を描いてきましたが、吉高由里子さんと柄本佑さんのふたりのシーンがあまりにも素敵なので、その部分の印象が強くなってラブストーリー大河と言われるようになったのだと思います。打ち合わせが始まった頃、チーフ演出の中島さんから、今までの大河と違う見せ方として、毎回泣けるような大河にしたいと言われました。そんなこと出来るのかな、と不安でしたが、結局、2回に1回は泣ける大河になったとは思います」

物語(源氏物語)と随筆(枕草子)には歴然とした違いがある


「光る君へ」に書かれた「虚しさ」や「罪」は「源氏物語」の文学的要素を見事に体現している。また、随所に「源氏物語」を彷彿とさせる描写を盛り込み、「源氏物語」ファンに楽しみをもたらした。

その一方で、「源氏物語」を書いた紫式部のライバルとされる清少納言を紫式部とは格が違うという発言をして、清少納言ファンに衝撃を与えたこともあった。それについて大石さんはどう思っているのだろう。

「物語(源氏物語)と随筆(枕草子)には歴然とした違いがあります。随筆は出来事に対する作者の想いを描くものですが、物語は、フィクションゆえに思い切って大胆なエピソードも描けるし、人間の心の深淵にも踏み込めると思うのです。そういう意味で、奥が深いのはやはり物語のほうではないかと思います。物語なら何でもよいという訳ではなく、紫式部の才能がすごかったということですが。ドラマのセリフに書きましたが、清少納言は『定子様(高畑充希)の闇の部分は絶対に描かない。輝かしいところだけを残したい』という意志を貫きました。『枕草子』は『枕草子』でとてもセンスのいい素敵な作品です。でも文学作品としての価値は『源氏物語』のほうが深いと私は今も思っていますし、一方で、そうは思わないかたがおられるのも、また当然のことです」

物語「源氏物語」、随筆「枕草子」、そして歴史物語「栄華物語」、この3つが平安時代に生まれた。それも3人の女性によって(「光る君へ」では「栄華物語」は赤染衛門が書いたこととしている)3種の違った文学スタイルが生まれたという文学史の物語と考えても面白そうと思ったが、大石さんにも文学者の物語の構想もあったとか。

「最初の打ち合わせの頃は、いろいろな文学者たちの葛藤を描きたいなぁと思っていました。それぞれの文学者たちがほかの作家に嫉妬したり、自分のできることはどういうことかとか考えたり。赤染衛門(凰稀かなめ)は『源氏物語』には敵わないと思いつつ自分の道を探して、史実を重視した『栄華物語』を書いていくというようなエピソードも丁寧にやりたかったのですが、ほかに描かなければならないことが多過ぎて、諦めました。あと3話分くらい欲しかったです」

道長とは対局に生きる人間としての直秀、周明、双寿丸

描くことが多いといえば、終盤に出てきた双寿丸(伊藤健太郎)。彼の役割はオリジナルキャラながら重要であった。

「この時代の貴族は1000人くらいしかおらず、民衆の人口と比較したら、極めて少ないのです。それならば、民衆の視点も拾い上げないとならないと感じました。最初に考えたのが、散楽をやりながら義賊でもある直秀(毎熊克哉)です。その次が周明(松下洸平)。周明はかつて口減らしのために海に捨てられたところを、宋の船に助けられ宋人として育ったという苛酷で数奇な運命の青年です。そして3人目が双寿丸。武を信奉する若者は、次の時代の象徴です。高貴な生まれでひもじい思いもしたことのない道長とは、対局に生きる人間として、直秀、周明、双寿丸を配置しました」

貴族と違う生き方をする人物たちのなかで双寿丸は次代を担う武士の先駆け。直秀や周明のように貴族に対して遠慮があるふうでもなく、貴族たちと価値観の違いにも堂々としている。「死を恐れない」と為時(岸谷五朗)に言われたのも印象的だった。

演じる伊藤健太郎さんについて、大石さんは「体もよく動くし、表情も魅力的」と述べた。

双寿丸が関わる刀伊の入寇は、この時代唯一の戦である。

「大宰府の帥となった隆家(竜星涼)は、昔から武闘派だったので、地元の人たちを組織して、攻めてきた大陸の女真族を撃退します。これこそが武力を持たなければ国も民も守れないという認識が広がってゆくきっかけです。朝廷は気づいていないけれど、九州や関東、三重のあたりでも、武力を使って国を統一していこうとする者達が出てきます。刀伊の入寇は長期ロケで撮影しましたので、時代の変化を感じていただけると思います」

戦国時代と平安時代の認識が変わった

女性の文学の萌芽、貴族から武士の時代への変化と、大河ドラマらしい河の流れがある。

「はじめて書いた大河ドラマ『功名が辻』(06年)は司馬遼太郎先生の原作ものでしたが5話分くらいしかないと思ったので、ほとんどオリジナルだと思って書きました。それに戦国時代に関して言えば基礎知識もあったので、楽しく書くことが出来ました。脱稿も早かったんですよ。6月には書き終えていたし、また大河を書きたいと思いました。ところがまったくお声がかからず、ようやく声をかけていただいたら、何も知らない平安時代が題材で、最初は途方に暮れましたね(笑)」

一から歴史や文化を勉強したことで、戦国時代と平安時代の認識が変わったと大石さんは言う。

「倉本先生のお書きになったものを読むと、平安時代を、いわゆる怠惰な貴族の時代というように位置づけたのは明治政府なのだそうです。士農工商を廃止し、富国強兵を国策としたため、すべての男子を兵士にしなくてはいけなかった。兵士たちが全員、国のために命を懸けなければ困るので、忠義のため突撃して死ぬ戦国時代の生き方を美化し、それと対照的に、怠惰な時代として平安時代を位置づけたと。戦後生まれの私たちさえも、未だ明治政府の洗脳に侵されているのです。倉本先生は『だから僕は平安時代を研究し続け、平安時代はもっと勤勉で素敵な時代だったと言いたい』のだとおっしゃっていて、なるほどと深く感じ入りました。私達チームの平安時代への考え方は、倉本史観に基づいています」

教科書に載っていること以外にも知るべきことがたくさんある。

「学者の先生たちは『光る君へ』を学生たちに見せたいとおっしゃいます。中学や高校の先生もです。なじみのない平安時代を舞台にした大河ドラマによって、小さいお子さんから大人まで1000年前を知る喜び、歴史を学ぶ喜びを感じていただけたのではないでしょうか。脚本を書いた私も含め、楽しみながら、知らないことを知るという喜びが『光る君へ』にはあったのではないかと思います」

権謀術策からラブストーリー、貴族の時代から武士の時代への変遷と人間の光と闇のすべてを取り込んで描いた大作「光る君へ」には「源氏物語」における「もののあはれ」があった。やっぱり大石さんの目指すものも紫式部的なものなのであろうか。

「天才・紫式部と自分を比べるようなおこがましいことは考えたことはないです。けれど、ドラマってそういうものでしょう。生きることの楽しさだけでなく、生きることの哀しさも描いてこそ面白いドラマになると思います。人間も人生も立体的なものですから、その様々な側面を描いてこそドラマだと信じて長年やってきました。なので今回特別なことをやったつもりはないです。評判が高いと言って下さるなら、1000年前の貴族の暮らしが視聴者の皆さんにとって新鮮だったのと、登場人物が一面的でなく多面的な顔を見せたから、戦はなくともスリリングな物語になったのではないでしょうか」

大石静さん 写真提供:NHK
大石静さん 写真提供:NHK

最終回は12月15日(日)

大河ドラマ「光る君へ」(NHK)
【総合】日曜 午後8時00分 / 再放送 翌週土曜 午後1時05分【BS・BSP4K】日曜 午後6時00分 【BSP4K】日曜 午後0時15分
【作】大石静
【音楽】冬野ユミ
【語り】伊東敏恵アナウンサー
【主演】吉高由里子
【スタッフ】
制作統括:内田ゆき、松園武大 
プロデューサー:葛西勇也、大越大士、高橋優香子
広報プロデューサー:川口俊介
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう ほか

フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人

角川書店(現KADOKAWA)で書籍編集、TBSドラマのウェブディレクター、映画や演劇のパンフレット編集などの経験を生かし、ドラマ、映画、演劇、アニメ、漫画など文化、芸術、娯楽に関する原稿、ノベライズなどを手がける。日本ペンクラブ会員。 著書『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』、ノベライズ『連続テレビ小説 なつぞら』『小説嵐電』『ちょっと思い出しただけ』『大河ドラマ どうする家康』ほか、『堤幸彦  堤っ』『庵野秀明のフタリシバイ』『蜷川幸雄 身体的物語論』の企画構成、『宮村優子 アスカライソジ」構成などがある

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