那覇最大の歓楽街に対し、2週間の休業要請へ
1991年、タイの国務大臣に就任したミーチャイ・ウィラワイタヤ氏は、担当するエイズ予防において目覚ましい活躍をしました。いまもタイの人たちが、コンドームのことを「ミーチャイ」と呼ぶほどです。
その実績は確かなものでした。ただ、当時、セックスワーカーの支援活動に関わった私の目には、大きな失敗があったとも感じていました。それは、ミーチャイ大臣が、バンコクの夜の街で働く女性たちに、定期的なエイズ検査を義務付けたことにありました。
彼女たちにとって、エイズの陰性証明とは、単に「来月も仕事を続けていいですよ」という売春許可証にすぎません。検査には、現実を踏まえた健康教育とサポート体制が伴うべきだったのです。しかし、感染が明らかになると、彼女たちは解雇されるだけでした。
それから数年後…、タイの地方県やラオスなどの周辺国において、急速にエイズが増え始めました。開発が進んだこともありましたが、バンコクで働けなくなった女性たちが流れ出て、働き始めていたことも後押ししたと私は考えています。
さて、本題に入ります。
昨日、沖縄県の玉城知事は、那覇最大の歓楽街・松山地区の「接待をともなう飲食店」に対して、今週土曜日から2週間、休業を要請する方針を示しました。要請に応じた事業者に対しては、20万円の協力金が支給されます。さらに、県民に対して、飲食を伴う会合を可能なかぎり控えるよう呼びかけられました。
私たち専門家が示した危機感を共有し、重い決断をしてくださいました。ありがとうございます。議会や市町村からも結束した呼びかけがあったと聞いております。ありがとうございます。松山地区では、次々にクラスターが発生しており、いま決断しなければ、手の付けられない状態になった可能性が高かったのです。
足元の課題に対して、打つべき手が打たれたと思います。ただし、この先を見据えたとき…、本当にこれで良かったのかとの迷いもあります。20万円の協力金は事業者に支払われますが、そこで働く女性たちの生活はどうでしょうか?
そもそも、なぜ、これほどに急速に、沖縄の夜の街で新型コロナが流行し始めたのでしょう?
すでにメガクラスターへと発展している米兵へとリンクしている可能性もあります。しかし、東京での流行により働くことが困難になった女性たちが、沖縄へと流れてきていた事情もあるようです。
リゾートバイトと言えば、聞こえは良いのですが…、生き抜くためにギリギリの女性たちが、GOTOキャンペーンに照準をあわせて働き始めていました。
感染症の流行は、いつも社会の弱い部分をさらけ出します。外出自粛、ソーシャルディスタンス、三密回避… これらが呼びかけられた結果、コロナは夜の街へと逃げ込んだのです。社会保障による支えがなく、生き抜くために「密」であることが避けられぬ場所へ…。
これから2週間にわたって松山地区が休業するとともに、住民全体が不要不急の外出を自粛することが徹底できれば、那覇の流行は沈静化へと向かうことが期待されます。とくに、夜の街に限らず宴会を控えること。そして、お盆は少人数とし、里帰りは延期してもらうことも必要です。さらに、高齢者施設や病院において、アウトブレイクが生じることがないよう、私たちは力を合わせなければなりません。まだまだ苦しい戦いが続きますが、しかし、いずれは終わります。
ただ、松山で働いている女性たちは、これからどこへ流れていくのでしょうか? 社会の現実を直視したサポート体制を重ねなければ、いつまでも問題は先送りされ、終わりを迎えることはありません。そして、コロナもまた拡散していくことでしょう。